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享和元年〜万延元年
幕末、明治維新 年号表              ページが全て表示されるまで、リンクに少し時間が掛かってしまいます。

      享和年間 1801〜1803               文化年間 1804〜1817                文政年間 1818〜1829
天保元年 1830  天保二年 1831  天保三年 1832  天保四年 1833   天保五年 1834    天保六年 1835   天保七年 1836
天保八年 1837  天保九年 1838  天保十年 1839  天保十一年 1840 天保十二年 1841  天保十三年 1842  天保十四年 1843
弘化元年 1844  弘化二年 1845  弘化三年 1846  弘化四年 1847
嘉永元年 1848  嘉永二年 1849  嘉永三年 1850  嘉永四年 1851   嘉永五年 1852    嘉永六年 1853
安政元年 1854  安政二年 1855  安政三年 1856  安政四年 1857   安政五年 1858   安政六年 1859

万延元年 1860
文久元年 1861  文久二年 1862  文久三年 1863
元治元年 1864
慶応元年 1865  慶応二年 1866  慶応三年 1867
明治元年 1868  明治二年 1869  明治三年 1870  明治四年 1871   明治五年 1872   明治六年 1873
明治七年 1874  明治八年 1875  明治九年 1876  明治十年 1877       明治十一年〜 1878〜
明治二十年〜 1887〜    明治三十年〜 1897〜    明治四十年〜 1907〜    大正元年〜 1912〜
享和元年 1801

  2月 5日 
享和に改元
  4月 2日 伊能忠敬 伊豆より東北の測量を開始
  4月25日 川路聖謨 豊後に生まれる
 12月 7日 伊能忠敬 伊豆東北の測量を終える

享和二年 1802

  2月15日 三条実万 生まれる
  6月 3日 伊能忠敬 羽越海岸、越後沿海の測量を命じられる
  6月11日 伊能忠敬 羽越海岸、越後沿海の測量に出発
    ?    伊能忠敬 子午線一度の長さを算出する

享和三年 1803

    ?    会津藩校日新館完成
    ?    武田耕雲斎 水戸に生まれる
  2月     伊能忠敬 東海北陸の海岸線の測量を命じられる
  4月     伊能忠敬 東海北陸の海岸線の測量に出発

文化元年 1804

    ?    露国レザノフ長崎来航
  2月11日 
文化に改元
  5月10日 二宮敬作 宇和島に生まれる
  2月19日 間部詮勝 生まれる
  5月 5日 高野長英 生まれる
  8月     伊能忠敬 幕府に地図を献上
  9月 6日 伊能忠敬の地図 江戸城大広間で公開される
  9月10日 伊能忠敬 徳川家直参に登用される
 12月25日 伊能忠敬 西日本地図作成を命じられる







維新の道石碑
京都東山 維新の道石碑

霊山歴史館
霊山歴史館の石碑
日本で唯一の幕末維新総合資料館






島津斉彬 銅像
鹿児島市照国寺
島津斉彬 銅像



緒方洪庵 銅像
大阪市中央区
緒方洪庵 銅像
文化二年 1805

  2月     伊能忠敬 東海道より伊勢、紀伊半島、備前までの海岸線を測量に出発
  2月21日 山田方谷 岡山に生まれる
 12月     伊能忠敬 岡山に入る

文化三年 1806

    ?    島津忠剛 薩摩藩主島津斉宣の七男として生まれる
  1月     伊能忠敬 山陽海岸、瀬戸内海、山陰若狭海岸、隠岐の島の測量に出発
  3月16日 藤田東湖 水戸に生まれる
  9月 6日 野村望東尼 筑前に生まれる
 11月     伊能忠敬 江戸に戻る

文化四年 1807

  4月20日 藤井竹外 摂津国高槻に生まれる
  7月 3日 中根雪江 福井に生まれる
    ?    徳弘考蔵 生まれる

文化五年 1808

    ?    天然理心流創始者 近藤内蔵助、死亡
  1月     伊能忠敬 四国淡路の海岸、伊勢街道などを測量に出発
  3月     間宮林蔵 宗谷に入る
  3月25日 小林良典 生まれる
  4月13日 間宮林蔵 樺太探索に出発
  8月     英国「フェートン号」 長崎来航、薪水を要求

文化六年 1809

  1月     間宮林蔵 二度目の樺太探索に出発
  6月     遠藤胤統 家督を継ぎ三上藩五代藩主となる
  8月     伊能忠敬 中山道、山陽道を測量に出発
  8月13日 横井小楠 肥後に生まれる
  9月28日 島津斉彬 江戸に生まれる
 12月     伊能忠敬 九州小倉に入る
 12月     遠藤胤統 徳川家斉に拝謁し従五位下但馬守に叙任される

文化七年 1810

  1月     伊能忠敬 九州の海岸線の測量を開始
  7月14日 緒方洪庵 吉備郡足守に生まれる
  8月 1日 堀田正睦 江戸に生まれる

文化八年 1811

  1月     伊能忠敬 九州より中国の街道、信濃街道、甲州街道を測量に出発
  2月28日 佐久間象山 松代に生まれる
  5月     伊能忠敬 江戸に戻る
 11月     伊能忠敬 九州に向かう

文化九年 1812

  1月     伊能忠敬 九州筑前、筑後、種子島、屋久島、諸街道を測量開始
  3月17日 白石正一郎 下関に生まれる
  4月26日 伊能忠敬 種子島に入る
  8月     川路聖謨 子普請組川路光房に養子に入り
 12月     伊能忠敬 佐世保で年を越す

文化十年 1813

    ?    月照 生まれる
    ?    川路聖謨 元服し川路家を相続
  1月     伊能忠敬 壱岐、対馬、五島の島部、中国地方の諸街道を測量開始
  3月 7日 真木和泉 筑後久留米に生まれる
 12月     伊能忠敬 姫路に入る

文化十一年 1814

    ?    坂本権平 土佐に生まれる
  1月     伊能忠敬 近畿、中国地方の諸街道を測量開始
  5月     伊能忠敬 江戸に戻る
  9月22日 間部詮勝 鯖江藩相続
 12月 7日 鍋島閑叟 江戸に生まれる

文化十二年 1815

    ?    日根野弁治 生まれる
  2月     伊能忠敬 江戸府内を測量開始
  4月15日 酒井忠進 老中になる
  6月 7日 梅田雲浜 小浜に生まれる
  8月28日 福原越後 生まれる
 10月16日 長野主膳 生まれる
 10月29日 井伊直弼 彦根に生まれる


文化十三年 1816

    ?    吉田東洋 高知に生まれる
    ?    神保内蔵助 生まれる
 11月 3日 永井尚志 生まれる
    ?    伊能忠敬 江戸府内の細部を測量
    ?    伊能忠敬 「大日本沿岸輿地全図」の作成を開始する

文化十四年 1817

    ?    坂本千鶴 土佐に生まれる
  3月14日 日柳燕石 讃岐に生まれる
  4月18日 杉田玄白 死去
 10月24日 島津久光 鹿児島に生まれる
 11月29日 大久保一翁 江戸に生まれる
井伊直弼 銅像
彦根市
井伊直弼 銅像
島津久光 銅像
鹿児島市照国寺
島津久光 銅像

文政元年 1818

    ?    英国ゴルドン 通商求め浦賀来航
  3月     川路聖謨 支配勘定出役に登用
  4月13日 伊能忠敬(74歳)江戸八丁堀で死亡
  4月22日 
文政に改元
  8月 1日 伊達宗城 生まれる

文政二年 1819

    ?    二宮敬作 長崎に遊学
  2月10日 毛利敬親 江戸に生まれる
  5月 1日 長井雅楽 生まれる
 10月16日 阿部正弘 生まれる
 11月25日 安藤信正 江戸に生まれる

文政三年 1820

  1月 1日 清水次郎長 生まれる
  4月     宮部鼎蔵 生まれる

文政四年 1821

  2月28日 山片蟠桃(73歳)死亡
  6月     川路聖謨 支配勘定本役兼評定所留役となる
  7月     2頭のラクダ 長崎出島に入港
  7月     伊能忠敬の「大日本沿岸輿地全図」弟子によって完成
  8月 9日 2頭のラクダ 江戸で見世物にされる

文政五年 1822

  3月 3日 栗本瀬兵衛(鋤雲) 江戸神田に生まれる

文政六年 1823

  1月     川路聖謨 勘定評定所留役となり旗本に列する
  1月 6日 板倉勝静 生まれる
  1月30日 勝海舟 江戸本所亀沢町に生まれる
  3月23日 周布政之助 生まれる
  8月11日 シーボルト出島の医官として来日
 11月28日 シーボルト出島外で病人治療と植物採集を始める

文政七年 1824

    ?    シーボルト 「鳴滝塾」開塾
  3月 1日 千葉重太郎 江戸杉の森に生まれる(天保5年か?)
  3月15日 徳川慶勝 江戸に生まれる
  4月 8日 徳川家定 徳川」家慶の四男として生まれる幼名政之助
  5月 3日 大村益次郎 周防国鋳銭司村に生まれる
  7月 2日 秋月悌次郎 会津若松城下米代に生まれる
 10月15日 島津邦丸 江戸城で将軍徳川家斉に拝謁、斉彬と改名
 10月17日 関鉄之助 生まれる
 10月25日 河田小龍 生まれる

文政八年 1825

  2月     幕府 異国船打払い令を出す
  4月     田沼意正 徳川政之助(家定)の傅役となる
  5月26日 頼三樹三郎 京都三本木に生まれる
  9月15日 岩倉具視 堀河康親の第二子として生まれる
 11月 6日 大山綱良 鹿児島に生まれる
 11月 7日 有馬新七 生まれる
    ?    徳川政之助(家定) 将軍家慶の世子となる
    ?    島津忠剛 今和泉島津家の養子となる

文政九年 1826

    ?    芹沢鴨 常陸国行方郡芹沢村に生まれる(?天保元年か)
  1月 9日 長崎出島商館長一行 江戸に向うシーボルト同行
  1月16日 長崎出島商館長一行 下関に入る
    ?    シーボルト 下関阿弥陀寺に絵馬額を奉納
  1月24日 長崎出島商館長一行 下関出港
  2月 1日 長崎出島商館長一行 姫路に入る
  2月 2日 長崎出島商館長一行 加古川に入る
  2月 3日 長崎出島商館長一行 兵庫に入る
  2月 4日 長崎出島商館長一行 大坂に入る
  2月10日 長崎出島商館長一行 京に入る
  2月24日 長崎出島商館長一行 掛川に入る
  2月25日 長崎出島商館長一行 金谷に入り大井川を渡る
  3月 3日 長崎出島商館長一行 川崎に入る
  3月 4日 長崎出島商館長一行 江戸に入り島津重豪と斉彬に面会
  3月25日 長崎出島商館長一行 徳川家斉に謁見
  4月     高橋作左衛門 シーボルトを紅葉山文庫に密かに案内する
  4月 9日 シーボルト 天文方、高橋作左衛門と日本地図受け渡しの密約を結ぶ
  4月12日 長崎出島商館長一行 江戸出立
    同    最上徳内 シーボルトに間宮林蔵の樺太計測地図「黒龍江中之洲并天度」の写しを手渡す
  4月14日 長崎出島商館長一行 小田原に入る
  4月22日 長崎出島商館長一行 四日市に入る
  4月27日 長崎出島商館長一行 京に入る
  5月 2日 長崎出島商館長一行 京を出る
  5月23日 長崎出島商館長一行 下関に入る
  6月 3日 長崎出島商館長一行 出島に入る

文政十年 1827

    ?    佐藤彦五郎 生まれる
  1月 1日 ジョン万次郎 土佐に生まれる
    同    河井継之助 長岡に生まれる
  5月 5日 楠本イネ 長崎に生まれる
  6月22日 シーボルトに高橋作左衛門より日本地図届く
    同    小栗忠順 江戸駿河台に生まれる
 10月 9日 山内容堂 土佐に生まれる
 12月     川路聖謨 寺社奉行吟味物調役に昇進
 12月     徳川政之助(家定) 家祥に改名
 12月 7日 西郷隆盛 鹿児島下鍛冶屋町に生まれる
 12月30日 町野主水 会津に生まれる

文政十一年 1828

    ?    調所広郷 薩摩藩財政改革主任に抜擢される
    ?    中谷正亮 生まれる
  1月11日 山本覚馬 会津に生まれる
  1月15日 島田魁 生まれる
  2月     吉井友実 鹿児島に生まれる
  3月13日 酒井忠順 小浜藩相続
  4月     二宮敬作 富士山を測量
  4月     徳川家祥(家定) 元服し従二位権大納言に叙任
  6月10日 伊地知正治 鹿児島に生まれる
  6月18日 大浦慶 長崎に生まれる
  8月10日 長崎を大型台風が襲い蘭国「ハウトマン号」座礁
  8月11日 「ハウトマン号」積荷改め開始
  8月15日 シーボルト事件
  8月23日 長崎をまたも台風が襲う
  9月 2日 松平春嶽 江戸城内田安邸に生まれる
  9月 9日 副島種臣 佐賀に生まれる
 10月10日 高橋作左衛門 幕府に捕縛され日本地図譲渡を自白
 10月20日 篠原泰之進 生まれる
 11月 1日 長崎奉行所に江戸より早飛脚
 11月10日 長崎奉行所 出島シ−ボルト邸家宅捜索

文政十二年 1829

    ?    お登勢 生まれる
  1月25日 二宮敬作 投獄される
  2月 3日 西周 島根に生まれる
  2月 5日 青木弥太郎 江戸小石川三百坂に生まれる
  2月26日 高橋作左衛門(45歳)獄死
  3月 1日 井上源三郎 日野に生まれる
  6月28日 二宮敬作 釈放される
  9月 3日 吉川経幹 岩国横山仙鳥館に生まれる
  9月25日 幕府 シーボルトを国外追放処分とし帰国を許す
  9月27日 武市半平太 土佐吹井村に生まれる 
 10月16日 徳川斉昭 水戸藩主になる
 11月11日 由利公正 福井に生まれる
 11月15日 松前崇広 松前福山城下に生まれる
 12月 2日 来原良蔵 生まれる
 12月 5日 シーボルト 帰国のため出島より「ハウトマン号」乗船
 12月 6日 「ハウトマン号」 出港
伊達宗城 銅像
宇和島市
伊達宗城 銅像
中浜万次郎 銅像
足摺岬
中浜万次郎 銅像

西郷隆盛 銅像
鹿児島市
西郷隆盛 銅像

由利公正 銅像
福井市
由利公正 銅像
天保元年 1830                                             幕末、明治維新 年号表へ
  2月 1日 小島鹿之助 多摩小野路に生まれる
  2月 2日 広沢安任 会津に生まれる
  3月24日 西郷頼母 会津に生まれる
  3月26日 シーボルト事件の関係者に処罰の判決下る
閏 3月 1日 四国阿波より、おかげ参り始まる
  5月     近藤周助 天然理心流三代目継承
  7月 2日 京都 文政の大地震
  8月 4日 吉田松陰 萩に生まれる
  8月10日 大久保利通 鹿児島に生まれる
 10月10日 清河八郎 庄内藩領清河村に生まれる
 10月12日 佐々木高行 土佐に生まれる
 12月10日 
天保に改元
    ?    芹沢鴨 常陸国行方郡芹沢村に生まれる(文政9年か)
    ?    大塩平八郎 私塾「洗心洞塾」開設

天保二年 1831

  1月20日 楠本イネの母滝再婚する
  2月     緒方洪庵 江戸の坪井信道に入門
  2月18日 印藤聿 長府南ノ浜で生まれる
  5月28日 間部詮勝 寺社奉行加役本務就任
  6月14日 孝明天皇 生まれる
  9月     川路聖謨 勘定組頭格に昇進
  9月 5日 佐川官兵衛 会津に生まれる
 11月 1日 三吉慎蔵 生まれる
    ?    勝海舟 睾丸を犬に噛まれる
    ?    天野八郎 生まれる
    ?    楠本イネ 寺子屋に通い始める

天保三年 1832

  1月 1日 坂本乙女 土佐に生まれる
  1月20日 ヘンリー ヒュースケン 生まれる
  2月11日 海江田信義 鹿児島に生まれる
  5月23日 寺島宗則 生まれる
  6月16日 松本良順 江戸麻布で佐倉藩医佐藤泰然の次男に生まれる
  8月     楠本イネ 蘭語を習い始める
    ?    調所広郷 家格を引き上げられ薩摩藩家老格に昇進
    ?    大凶作「天保の大飢饉」
    ?    青木弥太郎 父の死亡により跡目を相続

大久保利通 銅像
鹿児島市
大久保利通 銅像


桂小五郎 銅像
京都市中京区 長州藩邸跡
桂小五郎 銅像
天保四年 1833

  2月25日 大鳥圭介 生まれる
  6月26日 木戸孝允 漢方医和田昌景の長男として萩に生まれる
 10月16日 土方久元 生まれる
 11月22日 東久世通禧 京都に生まれる
 12月29日 広沢直臣 萩に生まれる
    ?    佐々木只三郎 会津に生まれる
    ?    山南敬助 仙台に生まれる(?天保7年か)
    ?    沖田光 生まれる
    ?    島津重豪 没
    ?    二宮敬作 宇和島卯之町で開業
    ?    千葉栄次郎 千葉周作の次男として生まれる
    ?    岩倉具視 岩倉具康の養子になる
    ?    秋月悌次郎 会津藩校日新館に入学

天保五年 1834

    ?    杉大次郎 叔父吉田大助の養子となる
  2月 9日 江藤新平 佐賀に生まれる
  3月 1日 浜松藩主、水野忠邦 老中になる
  3月11日 橋本左内 福井に生まれる
  3月24日 前原一世 生まれる
  5月11日 川路利良 生まれる
 10月 9日 近藤勇 多摩に生まれる
 11月25日 河上彦斎 熊本城下新馬借町に生まれる
 12月11日 岩崎弥太郎 土佐安芸郡井ノ口村に生まれる
 12月12日 福沢諭吉 大坂中津藩蔵屋敷長屋に生まれる
    ?    島村衛吉 生まれる
    ?    長岡謙吉 生まれる


天保六年 1835


    ?    吉田大助 病死、吉田松陰、吉田家の当主となる
    ?    玉木文之進 吉田松陰の無給教師となる
  1月 7日 前島密 上越に生まれる
  2月     福岡孝弟 土佐に生まれる
  2月17日 高橋泥舟 江戸に生まれる
  2月25日 松方正義 鹿児島に生まれる
  5月 5日 土方歳三 多摩石田村に生まれる
  6月 1日 三島通庸 薩摩に生まれる
  7月     徳川美香子 生まれる
  7月 4日 世良修蔵 周防に生まれる
  9月27日 佐柳高次 生まれる
 10月14日 小松帯刀 鹿児島肝付家に生まれる
 11月     川路聖謨 勘定吟味役に抜擢される
 11月15日 坂本龍馬 土佐に生まれる
     同   島津斉彬 江戸を出発、鹿児島に向う
 11月28日 井上馨 山口湯田に生まれる
 12月19日 天璋院篤姫 指宿今和泉島津家に生まれる
 12月26日 五代友厚 生まれる
 12月29日 松平容保 江戸高須藩松平家に生まれる
    ?    月照 清水寺の住職になる
    ?    伊東甲子太郎 常陸国志筑に生まれる

天保七年 1836

  1月22日 大野右仲 江戸に生まれる
  2月     緒方洪庵 長崎に蘭学修行
  5月29日 大塩平八郎 江戸平松楽斎に手紙を書く
  6月10日 山岡鉄舟 江戸に生まれる
  8月25日 榎本武揚 江戸に生まれる
  9月     西町奉行矢部駿河守 洗心洞の大塩平八郎を訪問
 11月 3日 村田新八 鹿児島に生まれる
 12月 5日 篠原国幹 鹿児島に生まれる
    ?    平井収二郎 生まれる
    ?    山南敬助 生まれる(?天保4年か)
    ?    新見錦 生まれる
         天保の大飢饉 各地で打ちこわし発生

天保八年 1837

  1月     大塩平八郎 挙兵を決意し近隣の村々に檄文を配る
  1月13日 吉川経章 岩国藩を相続、第十一代藩主となる
  2月 1日 児島惟謙 宇和島に生まれる
  2月 8日 三条実美 京都に生まれる
  2月12日 谷干城 土佐に生まれる
  2月19日 大塩平八郎の乱 鴻池、三井などの商家を焼き討ち
  3月     嵯峨根良吉 丹後宮津に生まれる
  3月27日 大塩平八郎、格之助 大坂油懸町美吉屋で自害
  4月 5日 入江九一 生まれる
  4月 8日 吉村寅太郎 土佐に生まれる
  4月17日 板垣退助 土佐に生まれる
  5月     「モリソン号」事件
  7月12日 鈴木三樹三郎 常陸国に生まれる
  7月20日 間部詮勝 大坂城代になる
  9月 2日 徳川家慶 第十二代将軍就任
  9月24日 大倉喜八郎 新潟に生まれる
  9月26日 福原乙之進 生まれる
  9月29日 徳川慶喜 江戸小石川水戸藩邸に生まれる
  9月     徳川家祥(家定) 右近衛大将を兼従一位叙任
橋本左内 銅像
福井市
橋本左内 銅像


近藤勇 銅像
京都市
近藤勇 銅像


坂本龍馬 銅像
高知 桂浜
坂本龍馬 銅像


板垣退助 銅像
岐阜市
板垣退助 銅像
川路利良 銅像
鹿児島市
川路利良 銅像


小松帯刀 銅像
鹿児島市山下町
小松帯刀 銅像


五代友厚 銅像
鹿児島市泉町
五代友厚 銅像


児島惟謙 銅像
宇和島市
児島惟謙 銅像
天保九年 1838

    ?    吉田松陰(8歳) 藩校明倫館の見習教授となる
  1月 1日 時山直八 生まれる
  1月15日 赤根武人 生まれる
  2月 2日 中島登 多摩小田野に生まれる
  2月 5日 坂本八平 土佐藩に先祖書を提出
  2月26日 大隈重信 生まれる
  3月     緒方洪庵 大坂に「適塾」を開く
  3月 7日 近藤長次郎 土佐に生まれる
  3月10日 江戸城西の丸 焼失
  3月19日 後藤象二郎 土佐に生まれる
  4月 4日 長崎で大火
  4月11日 間部詮勝 京都所司代に栄転
  4月13日 中岡慎太郎 土佐安芸郡北川郷に生まれる
  4月28日 松平七郎麿 水戸で養育されるため水戸城に入る
閏 4月22日 山県有朋 萩川島庄に生まれる
  5月     中根雪江 平田篤胤の門人になる
  6月     土方歳三の姉周(16歳)死亡
  6月 6日 トーマス グラバー 生まれる
  7月     勝海舟 家督を相続
  7月     緒方洪庵 結婚する
  8月27日 上野彦馬 長崎銀屋町に生まれる
 10月20日 松平慶永 福井藩相続
 11月29日 中井弘 鹿児島に生まれる
 12月 2日 桐野利秋 吉野村美方に生まれる
 12月28日 有村次左衛門 鹿児島に生まれる
    ?    調所広郷 薩摩藩家老になる
    ?    岡田以蔵 土佐に生まれる
    ?    新宮馬之助 生まれる
    ?    永山弥一郎 生まれる
天保十年 1839

    ?    吉田松陰 藩校明倫館で山鹿流兵学の講義を始める
    ?    近藤勇の母(38)病没
    ?    島津忠剛 今和泉島津家の家督を相続
  5月     蛮社の獄
  5月14日 渡辺崋山 捕縛される
  5月18日 高野長英 自首し捕縛される
  8月     吉川経章 江戸参府
  8月20日 高杉晋作 萩に生まれる
  9月12日 永倉新八 江戸松前藩邸内表長屋に生まれる(4/11か?)
  9月22日 毛利元徳 徳山に生まれる
 10月     近藤周助 江戸市ヶ谷柳町に試衛館を開く
 11月 8日 石田栄吉 生まれる
 11月 9日 加納道之助 伊豆に生まれる
 12月     吉川経章 岩国に帰国

天保十一年 1840

    ?    吉田松陰 藩主毛利敬親に山鹿流兵学の講義をする
    ?    土方歳三の母恵津(48歳)死亡
    ?    土方歳三 大洪水のため被災現在地に移転
  1月     長岡藩主、牧野忠雄 京都所司代に就任
  1月13日 間部詮勝 西の丸老中に昇進
  2月13日 渋沢栄一 武蔵国榛沢郡血洗島村に生まれる
  3月7日  楠本イネ 宇和島の二宮敬作の許へ修行に行くため長崎を旅立つ
  3月10日 楠本イネ 熊本に入る
  3月16日 楠本イネ 臼杵に入る
  3月22日 楠本イネ 伊予八幡浜に入る
  3月25日 楠本イネ 二宮敬作と会い宇和島卯之町の自宅に入る
    ?    和田小五郎 桂家の養子となる
  4月     徳川家祥(家定) 天然痘に罹る
  4月21日 島津忠義 生まれる
  5月     久坂玄瑞 萩に生まれる
  5月 2日 小笠原長守 勝山藩相続
  6月     川路聖謨 佐渡奉行に栄転
  6月10日 岩村通俊 土佐に生まれる
 10月     渡辺崋山 切腹
 10月16日 黒田清隆 鹿児島城下新屋敷町に生まれる
    ?    永岡久氏 生まれる
    ?    原田左之助 伊予に生まれる
    ?    相楽総三 江戸に生まれる

天保十二年 1841

  1月     印藤聿 長府藩校敬業館に入学
  1月 7日 中浜万次郎 嵐により漂流
    同    水野忠邦 川路聖謨にアヘン戦争を伝える手紙を書く
  1月13日 中浜万次郎 鳥島に漂着
閏 1月24日 吉田稔麿 萩に生まれる
  3月11日 中根雪江 福井藩勝手掛になる
  3月23日 福地桜痴 長崎に生まれる
  5月     池内蔵太 生まれる
  5月15日 老中、水野忠邦 天保の改革を開始
  6月     川路聖謨 小普請奉行になる
  6月     中浜万次郎ら五名 米国捕鯨船「ジョンホーランド号」に救助される
  6月 6日 坂本龍 京都富小路六角に生まれる
  8月     水戸藩校 弘道館開設
  8月14日 遠藤胤統 若年寄になる
  9月 2日 伊藤博文 周防熊毛郡に生まれる
 11月     徳川家祥(家定) 西ノ丸に入る
 11月 3日 野津道貫 鹿児島に生まれる
 11月10日 唐人お吉 生まれる
 11月15日 香川敬三 蓮田孝定の三男として常陸国下伊勢畑に生まれる
 11月21日 徳川家祥(家定) 鷹司任子(有姫)と結婚
 12月     川路聖謨 従五位下左衛門尉に任じられる
    ?    島津斉宣 没

天保十三年 1842

    ?    玉木文之進 「松下村塾」を開く
    ?    武市半平太 千頭伝四郎の道場に通い始める
    ?    村田蔵六 防府の蘭医梅田幽斎に入門
    ?    岩崎弥太郎 小牧明山の塾に入門
  4月     河井継之助 元服
  5月29日 酒井忠義 寺社奉行就任
    同    高橋秋帆 江戸赤塚村徳丸ヶ原で銃陣演習を行う
  6月15日 国司信濃 生まれる
  7月     幕府 異国船打払い令を廃止し薪水食料給与令を制定
  8月 6日 野村靖 萩に生まれる
  8月17日 林有造 宿毛に生まれる
 10月10日 梶原平馬 生まれる
    同    大山巌 鹿児島に生まれる
    同    近江、野洲、栗太軍の農民四万余人 大規模一揆を起こす
 11月 1日 高松太郎 土佐に生まれる
 11月21日 菅野覚兵衛 生まれる
    ?    沖田総司 江戸に生まれる
    ?    藤田小四郎 水戸に生まれる

天保十四年 1843

    ?    玉木文之進 官職につくため「松下村塾」閉鎖
    ?    村田蔵六 広瀬淡窓の「咸宜園」に入塾
  1月     印藤聿 許田伊左衛門から槍術を学び始める
  1月14日 新島襄 江戸神田に生まれる
  4月     徳川家慶 日光東照宮に参拝
  5月 4日 西郷従道 鹿児島に生まれる
  5月12日 伊藤祐亨 鹿児島に生まれる
    ?    川路聖謨 普請奉行に就任
  9月     間部詮勝 病気を理由に老中職解任
  9月16日 人見勝太郎 生まれる
閏 9月13日 老中首座 水野忠邦辞任 老中堀田正睦罷免 阿部正弘老中になる
閏 9月25日 田中光顕 土佐に生まれる
閏 9月29日 品川弥二郎 萩に生まれる
 10月 2日 幾松 小浜に生まれる
 11月     長岡藩主、牧野忠雄 老中になる
 11月13日 酒井忠義 京都所司代に就任
 11月19日 吉川経章(50歳)岩国で病死
    ?    沢村惣之丞 土佐に生まれる
高杉晋作 銅像
下関市日和山公園
高杉晋作 銅像



弘化元年 1844                                                       幕末、明治維新 年号表へ
    ?    中浜万次郎 米国マサチューセッツに上陸
  1月     印藤聿 中川兵右衛門から剣術を学び始める
  1月 1日 斉藤一 江戸に生まれる
  1月14日 吉川経幹 岩国藩の家督相続を許される
  2月26日 間宮林蔵(65歳)江戸で死亡
  3月     小島龍三郎(雲井龍雄) 生まれる
  5月 6日 徳川斉昭 幕命により隠居謹慎
  5月 8日 野村辰太郎 生まれる
  6月14日 水野忠邦 老中に復職
  6月29日 小伝馬町の獄舎失火 高野長英切り放しを利用し脱獄
  6月     蘭国王ウィリアム二世 幕府に神国の惨状を通告
  7月 7日 陸奥宗光 生まれる
    同    長崎出島に蘭国艦「パレンバンク号」入港
  7月16日 伊達宗城 宇和島藩相続
  7月     高野長英 板橋宿の門人水村玄洞宅に入る
  7月     高野長英 北足立郡尾間木村の高野隆仙宅に入る
  8月20日 長崎奉行所 蘭国国王の国書を受け取る
  8月21日 長崎奉行所 国書を江戸に送る
  9月12日 藤堂平助 江戸に生まれる
  9月22日 蘭国の国書江戸に届く 鎖国政策の破棄を求める
 12月 2日 
弘化に改元
    ?    伊庭八郎 江戸に生まれる
    ?    土方歳三の姉のぶ(14歳)日野宿名主の佐藤彦五郎に嫁入

弘化二年 1845

    ?    沖田勝次郎 病死
    ?    土方歳三 江戸上野松坂屋呉服店に丁稚奉公に出るが程なく店の者と喧嘩をし家に戻る
  2月     老中、水野忠邦 罷免される 天保の改革の推進者達一掃される
  2月     阿部正弘 老中首座になる
  3月11日 米国捕鯨船「マンハッタン号」漂流民を乗せ浦賀来航
  3月14日 漂流民18名浦賀に上陸
  3月27日 伝馬町牢獄火災 高野長英逃亡
  6月22日 宇和島藩 大砲鋳造場完成
  7月 2日 二宮敬作 宇和島藩より帯刀を許される
  7月 4日 楠本イネ 卯之町より長崎に向う
    同    長崎に英艦「フワアラヌイ号」入港 測量と薪水を要求
  7月10日 英艦「フワアラヌイ号」出港
    同    楠本イネ 長崎に入る
  7月19日 立見鑑三郎 江戸桑名藩邸に生まれる
  8月13日 幕府 長崎奉行を通じ蘭国国書の返書を出島商館長に渡す
  9月     楠本イネ 岡山、石井宗謙のもとへ旅立つ
  9月     楠本イネ 岡山石井宗謙宅に入る
  9月 2日 水野忠邦 隠居蟄居し一万石を没収され出羽山形五万石に転封される
 11月     岩村高俊 土佐に生まれる
 11月 3日 新島八重 会津に生まれる
 12月     「適塾」 拡張のため現存の場所に移転
    ?    中山忠光 生まれる

弘化三年 1846

    ?    坂本龍馬 「楠山塾」に入るが、すぐに退塾
    ?    村田蔵六(22歳)大坂「適塾」入門(入門帳52番)緒方洪庵(36歳)
    ?    秋月悌次郎 幕府昌平坂学問所に留学
  1月     川路聖謨 奈良奉行に赴任
  1月16日 小松宮彰仁親王 生まれる
  1月26日 任考天皇 崩御
  2月     岩崎馬之助 土佐藩校教授館より学業優秀者として表彰される
  2月13日 孝明天皇 践祚
  4月     ジョン万次郎 捕鯨船「ブランクリン号」でヌウベットホールド港出港
  4月27日 高須松平家六男 _之允、会津松平家養子となる
  5月     米国軍艦「コロンブス号」「ヴィンセンス号」浦賀に来航、司令官ビッドル通商を求める
閏 5月 8日 紀伊藩主、徳川斉順 死亡 弟斉彊が藩を相続
閏 5月10日 和宮 生まれる
閏 5月24日 徳川菊千代(家茂) 江戸紀州藩邸に生まれる
閏 5月28日 建春門門前に京都学習所建立
    ?    松平慶永 阿部正弘と島津斉彬を対面させる
  6月 8日 島津斉彬 江戸より鹿児島に向う
  6月10日 坂本龍馬 母幸(49歳)病没
  7月25日 島津斉彬 二度目の鹿児島入り
  8月15日 松平_之允 将軍徳川家慶に拝謁
    同    中島作太郎 土佐に生まれる
  9月23日 孝明天皇 即位礼
 12月 2日 松平定敬 美濃高須藩江戸藩邸に生まれる
 12月16日 松平_之允 従四位下に任じられ容保と改名
    ?    薩摩藩 青銅砲の生産を開始し海岸ぶ要衡に砲台を築く

弘化四年 1847

    ?    村田蔵六 長崎、奥山静叔のもとに向う
  1月13日 彦根藩世子 井伊直元、病死
  2月     幕府 彦根、川越、会津、忍の親藩に相模、安房、上総の沿岸警備を命令
  2月 1日 井伊直弼 彦根埋木舎を出、江戸に向う
  2月10日 井伊直弼 外桜田の彦根藩邸に入る
  2月18日 井伊直弼 彦根藩主、井伊直売の養子となる
  2月28日 井伊直弼 将軍徳川家慶に拝謁
  3月 9日 京都学習所 開講式
  3月15日 島津斉彬 江戸に向う
  3月24日 信州善光寺平地震
  4月     輪王寺宮公現法親王 生まれる
  4月     岩崎弥太郎 土佐藩校教授館で口頭試問を受け詩を提出する
  4月22日 徳川菊千代(家茂) 紀州藩主徳川斉彊の養嗣となる
  4月23日 中井庄五郎 十津川野尻郷に生まれる
  5月10日 島津斉彬 江戸到着
  5月20日 岩国藩 藩校養老館を開設し玉乃九華を学頭に任じる
  6月     岩崎弥太郎 土佐藩校教授館より表彰され報奨金を授与される
  7月     吉川経幹 江戸参府
  7月13日 森有礼 鹿児島に生まれる
  7月26日 一橋家当主 昌丸(2歳)死去
  9月     水戸 徳川七郎麿、一橋家養子となり相続
  9月25日 大江卓 生まれる
    ?    土佐藩主山内豊煕 土佐東部の諸郡を視察
    ?    岩崎弥太郎 山内豊煕に奉迎の詩を捧げる
 10月25日 徳川七郎麿 水戸藩邸から一橋邸に移る
 11月     吉川経幹 岩国に帰国
 11月 1日 中江兆民 土佐に生まれる
 11月28日 桂太郎 萩に生まれる
 12月 1日 一橋七郎麿 登城元服、従三位左近衛中将に叙任、慶喜と改名
 12月22日 東郷平八郎 鹿児島に生まれる
    ?    別府晋介 鹿児島に生まれる
    ?    永倉新八 神田小川町岡田十松の撃剣館入門
東郷平八郎 銅像
鹿児島市
東郷平八郎 銅像
嘉永元年  1848                                                      幕末、明治維新 年号表へ

  2月28日 
嘉永に改元
    ?    坂本龍馬 日根野弁治道場入門
    ?    岩崎弥太郎 岡本寧浦の紅友舎に入塾
  4月 1日 高野長英 宇和島に入る
  5月     島津斉彬の次男 寛之助死亡
  6月10日 徳川家祥(家定)正室任子 死亡
  7月     小島鹿之助 天然理心流入門
  7月     吉田松陰 「剣の説」を書く
  7月27日 徳川家祥(家定)正室任子に従二位が追贈される
  7月28日 林昌之助 生まれる
 10月     吉田松陰(18歳)長州藩学制改革の意見書を藩主に提出
 11月11日 宮川勝太 天然理心流入門
 11月26日 山内豊信 土佐藩を相続
 12月     幕府 水戸斉昭の謹慎を解く
 12月 4日 将軍徳川家慶 一橋慶喜に大納言、一条忠香の娘千代との婚約を命じる
 12月 6日 高杉晋作 疱瘡にかかる
 12月18日 薩摩藩家老 調所笑左衛門広郷 服毒自決

嘉永二年 1849

    ?    橋本左内 「適塾」に入門
    ?    松本良順 幕府医官松本良甫の養子となる
  1月     高野長英 宇和島を去る
  2月     長州藩校 明輪館新築
  2月     阿部正弘 老中首座に就任
  2月23日 京都学習所 学習院と改称する
閏 4月 2日 徳川菊千代(家茂) 紀州徳川藩を相続
  5月15日 吉川経幹 木下備中守利恭の妹と婚姻
  6月     吉田松陰 長州藩内の海岸を巡視
  6月     宮川勝太 天然理心流の目録を授かる
  6月     青木弥太郎 御勘定出役になる
  6月     松前崇広 松前藩を相続
  6月     島津斉彬の四男 篤之助死亡
  7月     桂小五郎 吉田松陰の兵学門下となる
  9月     幕府 諸藩に沿岸の里程と水深の測量を命じる
 10月 1日 桂小五郎 「松下村塾」入門
 10月10日 吉田松陰 城東羽賀台で藩重臣 益田弾正を大将とした実地演習を行う
 10月19日 宮川勝太 近藤周助の養子となる
 10月23日 西園寺公望 京都に生まれる
 11月11日 乃木希典 江戸長府藩邸に生まれる
 11月13日 池田七三郎 生まれる
 11月22日 徳川家祥(家定) 一条英子と結婚
 12月 6日 島津斉興 斉彬擁立派の弾圧を開始
 12月     幕府 諸藩に兵備の充実を命じる
    ?    緒方洪庵 種痘を始める

嘉永三年 1850

    ?    村田蔵六 故郷に帰り開業 琴と婚礼
    ?    河井継之助 すがと結婚
    ?    佐藤彦五郎 天然理心流入門
    ?    河上彦斎 熊本藩公花畑邸のお掃除坊主になる
  2月     神道無念流撃剣館、岡田十松利貞死亡 利章に相続される
  3月     徳川菊千代(家茂) 大奥に登城
  3月 8日 吉川経幹 種痘を受ける
  4月     星亨 江戸に生まれる
  4月17日 一条美子 生まれる
  5月27日 吉田松陰 藩主に講義
  6月24日 徳川家祥(家定)正室英子 死亡
  7月28日 酒井忠義 京都所司代を免じられる
  8月20日 吉田松陰 藩主に「籠城大将の必定の条」を講義
  8月23日 吉田松陰 平戸葉山佐内のもとへ最初の旅に出る
  8月26日 吉田松陰 下関に入る
  8月27日 吉田松陰 発熱
  8月29日 吉田松陰 関門海峡を渡る
  9月     彦根12代藩主、井伊直亮 死亡
  9月 4日 勝小吉(49歳)死亡
  9月 5日 吉田松陰 長崎長州藩邸に入る
  9月11日 吉田松陰 長崎出発
    同    山内豊信 結婚
  9月14日 吉田松陰 平戸城下に入り葉山佐内と会う
  9月18日 吉田松陰 山鹿万助と会う
  9月     高野長英 勝海舟を訪問し筆写した萩生徂徠の兵書を渡す
 10月30日 高野長英(46歳)江戸青山で捕縛しようとする幕史と格闘中に自害
 11月     井伊直弼 彦根藩主となり掃部守と称す
 11月 6日 吉田松陰 平戸を出発
 11月14日 ホノルル ポリネシアン新聞にジョン万次郎他漂流民帰国義援金募集の広告出る
 11月25日 ジョン万次郎 オハオを出港
 12月     吉田松陰 熊本で池辺啓太、宮部鼎蔵に会う
 12月29日 吉田松陰 松本村に帰る
嘉永四年 1851

    ?    佐久間象山 江戸木挽町に砲術塾を開設
  1月     印藤聿 小一原長蔵から算術を学び始める
  1月 5日 ジョン万次郎 沖縄に上陸
  1月15日 吉田松陰 藩主毛利慶親に山鹿流兵学皆伝を授ける
  1月30日 島津斉興 幕府に隠居願い提出
  2月 2日 島津斉彬(43歳)薩摩新藩主となる
  2月10日 水野忠邦 死亡
  2月12日 吉田松陰 藩主毛利慶親に孫子を講義
  2月20日 吉田松陰 藩に「文武稽古万世不朽」の長文の意見書を上書
  3月 5日 吉田松陰 中谷正亮と江戸に向かう
  3月18日 吉田松陰 湊川で楠木正成の墓に参拝
  3月27日 坂本八平 郷士職を権平に譲る
  4月 9日 吉田松陰 江戸長州桜田藩邸に入る
    ?     吉田松陰 佐久間象山に入門
  5月     松平容保 初めて江戸を出、会津に入る
  5月     篠崎小竹(71歳)死亡
  5月 9日 島津斉彬 藩主として鹿児島に初入部
  6月10日 吉田松陰 宮部鼎蔵らと鎌倉に向かう
    同    奈良奉行、川路聖謨 召還命令で奈良より江戸に向う
  6月22日 吉田松陰 江戸に帰る
  6月24日 川路聖謨 江戸城に登城し大坂町奉行に任命される
  7月     銭屋五兵衛 河北潟埋め立ての許可を得る
  7月16日 吉田松陰 長州藩に東北旅行願い提出
  7月12日 有栖川宮熾仁親王 和宮と婚約
  7月30日 ジョン万次郎 鹿児島に護送
  9月 9日 菊屋峰吉 生まれる
  9月16日 ジョン万次郎 長崎に護送されるため鹿児島出発
  9月29日 ジョン万次郎 長崎到着
 10月 9日 徳川菊千代(家茂) 元服、従三位左近衛中将に叙任し将軍家慶により慶福と改名する
 12月14日 吉田松陰 友人との約束を守るため脱藩水戸に向かう 来原良蔵が罪を被る
 12月19日 吉田松陰 水戸に入る
    ?    土方歳三 江戸大伝馬町に奉公に出るが奉公先の女性と関係を持ち暇を出される
    ?    土方歳三 天然理心流近藤周助に入門

嘉永五年 1852

    ?    西郷吉之助 結婚
  1月20日 吉田松陰 会津、新潟、佐渡、秋田、弘前、青森、盛岡、仙台、米沢、日光、足利、館林などを遊歴するため水戸出発
  2月 7日 松平容保 会津藩相続を許される
    同    楠本イネ 石井宗謙の子を生む
  2月10日 会津藩主 松平容敬(47歳)病没 
閏 2月25日 松平容保(18歳)会津藩九代藩主となり肥後守を称す
  2月29日 島津斉彬 伊達宗城に将軍正室として送込む姫が側室になる可能性が有るので幕府に実子として届出たと手紙を書く
    ?    河井継之助 江戸に留学
  4月     井伊直弼 長野主膳を藩士として登用
  4月 5日 吉田松陰 江戸に入る
  4月18日 吉田松陰 江戸出発
  5月11日 吉田松陰 山口着
  5月12日 吉田松陰 萩着
  5月22日 江戸城西ノ丸焼失
  6月 5日 蘭国新商館長クルチウス長崎赴任 蘭国東印度総督の書簡を届け米国艦隊の来航が近日にあることを伝える
  6月25日 ジョン万次郎 長崎出港土佐に向かう
  6月30日 ジョン万次郎 浦戸入港
  7月     河田小龍 土佐藩よりジョン万次郎の取調べを命じられる
    ?    河田小龍 「漂巽紀略」を藩主山内容堂に提出
  7月18日 西郷吉之助の祖父、龍右衛門 死去
  8月     銭屋五兵衛 河北潟に投毒の嫌疑で捕縛される
  8月17日 蘭国東印度総督の書簡、幕府に届く
  9月     斉藤新太郎 桂小五郎他、長州藩の修行生5名を連れ長州より江戸に向う
  9月     楠本イネ 岡山より長崎に戻る
  9月10日 川路聖謨  公事方(訴訟)勘定奉行に任命される
  9月22日 明治天皇 生まれる
  9月28日 西郷吉之助の父、吉兵衛 死去
 10月 5日 ジョン万次郎 12年ぶりに中浜に帰る
 10月13日 ペリー 米国を出港
 10月15日 山本権兵衛 鹿児島に生まれる
 10月18日 斉藤新太郎一行 伊賀上野に入る
 10月29日 銭屋五兵衛 三度目の訊問を受ける
 11月 8日 斉藤新太郎一行 鳥羽に入る
 11月     斉藤新太郎一行 江戸九段坂下、斉藤弥九郎道場練兵館に入る
 11月     佐久間象山 勝海舟の妹と結婚
 11月21日 銭屋五兵衛(80歳)獄死
 11月29日 西郷吉之助の母、政子 死去
 12月     松平容保 左近衛権少将に任じられる
 12月     徳川家祥(家定) 再建された西ノ丸に入る
 12月 9日 吉田松陰 長州追放罪になる士籍剥奪、家禄没収
 12月25日 遠藤胤統 二千石の加封を受け城主格となる
    ?    河井継之助 長岡に帰国
    ?    児玉源太郎 徳山に生まれる
嘉永六年 1853

  1月11日 島津斉彬 近衛忠熈に手紙を書く
  1月12日 伊藤利助 藩公祈念祭連歌の会の給仕として働き始める(2/21まで)
  1月16日 吉田松陰に10年間の他国遊学の許可出る
  1月26日 吉田松陰 遊歴の旅に出る
  2月 6日 大納言 一条忠香の娘千代、疱瘡を患ったため一橋慶喜との婚約を破約
  2月10日 吉田松陰 大坂に入る
  2月23日 吉田松陰 五条、森田節斎と会う
  3月     坂本龍馬 日根野弁冶より「小栗流兵法目録」伝授
  3月     桂小五郎 練兵館に住み込む
  3月 4日 坂本龍馬 江戸修行を土佐藩に願い出る
  3月10日 今和泉島津家の娘一子 島津斉彬の養子となり名を篤姫と改める
  3月17日 坂本龍馬 父八平に訓戒書をもらい溝淵広之丞と江戸に向う
  4月     坂本龍馬 江戸築地土佐藩中屋敷に入る
  4月     坂本龍馬 江戸京橋桶町、千葉貞吉道場入門
  4月21日 千葉貞吉 鳥取藩江戸藩邸に剣術師範として任官
  5月18日 一橋慶喜 一条忠香の養女美賀子と婚約
  5月10日 吉田松陰 伊勢、斎藤拙堂を訪問
  5月24日 吉田松陰 江戸練兵館、斉藤新太郎を訪問
  5月26日 ペリー艦隊 那覇入港
  5月28日 篤姫 歌道入門誓詞を書く
    ?     坂本乙女 岡上新輔に嫁ぐ
  6月     篤姫 鶴丸城に入る
  6月 1日 米国水師提督ペリー 艦隊を率い江戸湾口に入る
  6月 3日 
ペリー 4隻の艦隊で浦賀へ米国フィルモア大統領親書の江戸での受取と開国通商を求める
          浦賀奉行所与力、中島三郎助、副奉行と偽り通史、堀達之助と乗船、長崎での会見を求めるが拒否される
    同    吉田松陰 「佐久間象山塾」に入る
  6月 4日 浦賀奉行所与力、香山栄左衛門、浦賀奉行と偽り、ブキャナン艦長と対面
    同    米艦水夫 浦賀湾の測量をする
    同    吉田松陰 黒船来航を知り瀬能吉次郎に手紙を書く
  6月 5日 吉田松陰 浦賀へ向かう
  6月 6日 幕府 諸大名を江戸城大広間に招集し意見を求める
    同    徳川家慶 病に倒れる
  6月 7日 長州藩 幕府より大森海岸の警備を命じられ深夜に出発
  6月 8日 長州藩主、毛利慶親 大森海岸、厳正寺本営に入る
  6月     坂本龍馬 藩命により品川海岸警備につく
  6月 9日 ペリー 久里浜の応接館で幕府代表と対面し親書を渡す
  6月12日 ペリー 再来を告げ浦賀出港
  6月14日 川路聖謨 駒込水戸藩邸で徳川斉昭訪問(18日も同じく)
  6月15日 幕府 諸大名に撤兵を指示する
  6月22日 12代将軍 徳川家慶(61歳)病死
  6月23日 松平慶永 徳川斉昭を次期将軍の後見とするように建白
  6月     吉田松陰 長州藩主に「急務発議」の意見書を建言
  7月     徳川家祥(家定) 江戸城本丸に入る
  7月     島津藩 篤姫の出府首途式を行う
  7月 3日 徳川斉昭 海防参与に任じられる
     ?     吉田松陰 藩主に意見書「将及私語」を提出
    ?    シーボルトの弟子 二宮敬作、伊予宇和島藩に村田蔵六を紹介
  7月10日 島津斉彬 近衛忠熈と江戸家老、末川久平に予定通り篤姫参府と手紙を書く
  7月18日 露国使節 プチャーチン艦隊4隻で長崎来航
  7月23日 幕府 内海御台場御普請役を設定
  7月27日 老中 阿部正弘に露国艦隊長崎入港の報届く
  7月29日 吉田東洋 土佐大監察に起用される
  8月 3日 ペリー 蘭国の姿勢を批判し日本の階級社会を分析した書簡をドッビン海軍長官宛てに書記官に記載させる
  8月 8日 吉田松陰 杉梅太郎に幕軍の姿を嘆く手紙を書く
  8月19日 プチャーチン長崎上陸 奉行所で筒井政憲rと会談し国書を渡す
  8月21日 江戸内海に11箇所の台場築造始まる 桂小五郎、江川太郎左衛門の奴僕として見学
    同    篤姫 鹿児島を出発し江戸に向う
  9月15日 幕府 大船建造の禁止を解除
    同    露国国書 江戸に届く
  9月18日 吉田松陰 長崎に向かうため江戸出発 ロシア密航を企てる
  9月23日 坂本龍馬 父八平に異国人の首を討ち取って帰国すると手紙を書く(龍馬最古の手紙)
  9月28日 村田蔵六 宇和島に向かう
 10月 1日 吉田松陰 京に入る
 10月 2日 篤姫 京近衛家に参殿
 10月 6日 篤姫 伏見から草津本陣に入る
 10月 8日 老中、阿部正弘 露使節の応接掛を任命
 10月19日 吉田松陰 熊本城下に入る
 10月21日 徳川家祥(家定) 江戸城本丸に入る
 10月23日 徳川家祥(家定)に征夷大将軍と内大臣を任命
    同    プチャーチン長崎出港
 10月27日 吉田松陰 長崎に入るが時すでに遅し
 10月29日 篤姫 江戸の三田薩摩藩邸に入る
 10月31日 幕府応接掛 プチャーチンに面会するため川路聖謨他、江戸出発
 11月     下村百合平(印藤聿) 印藤家の養子となり名を弁介と改める
 11月 6日 ジョン万次郎 幕府御普請役に取り立てられる
    ?    宇和島藩主伊達宗城 蒸気軍艦の製造を村田蔵六と嘉蔵に命じる
 11月13日 吉田松陰 萩に入る
 11月20日 宮部鼎蔵 萩に入る
 11月23日 勅使、三条実万 徳川家定(家祥より改名)に13代将軍宣下
 11月24日 吉田松陰 宮部鼎蔵と共に萩を出る
 11月     遠藤胤統 御用掛を命じられる
 12月 1日 坂本龍馬 佐久間象山に入門し砲術を学ぶ
 12月 3日 吉田松陰 大坂に入る
 12月 4日 吉田松陰 京に入る
 12月 5日 プチャーチン 再び長崎入港
 12月 8日 吉田松陰 京を出る
    同    幕府応接掛 長崎到着
 12月14日 プチャーチン 長崎西役所で幕府応接掛と初会談
 12月17日 プチャーチン 応接掛を「パルラダ号」に招く
 12月18日 幕府応接掛 西役所でプチャーチンに幕府回答書をわたす。
 12月20日 長崎西役所で幕府回答書について協議(22日、24日、26日、28日も)
 12月27日 吉田松陰 江戸に入る
    ?    永倉新八 神道無念流切紙を授けられる                                幕末、明治維新 年号表へ
安政元年 1854

  1月     阿部正弘 土佐藩主山内豊信(容堂)にジョン万次郎登用についての書状を書く
  1月 2日 水戸藩 軍艦製造に着手
  1月 4日 幕府応接掛 露艦「パルラダ号」で歓送会
    ?    吉田松陰 長州藩主に意見書「海戦策」を提出
  1月 8日 露艦隊 長崎出港
  1月16日 
ペリー 7隻の艦隊で浦賀に再来
  1月18日 川路聖謨 応接掛と長崎出発
  1月21日 川路聖謨 佐賀に入る
    同    島津斉彬 西郷吉之助と参勤のため江戸に向かう
  1月22日 川路聖謨 佐賀藩兵器施設見学
  1月23日 川路聖謨 佐賀出発
  1月28日 幕府 諸大名に登城を命じ対策を討議
  2月     清河八郎 北辰一刀流の町道場を開く
  2月     島津忠剛(49歳) 病没
  2月 6日 川路聖謨 尾道で黒船再来の急用状を受け取る
  2月10日 幕府 ペリーと第一回会談 横浜村の応接所
  2月19日 幕府 ペリーと第二回会談
  2月22日 川路聖謨 江戸城登城
  2月26日 幕府 ペリーと第三回会談 下田、箱館開港で妥結
  3月 3日 西神奈川横浜村 
日米和親条約締結
  3月 5日 吉田松陰 友人と別離の宴の後江戸を出発横浜に向かう
  3月 6日 吉田松陰 保土ヶ谷でペリーに渡す手紙を書く
    同     島津斉彬 江戸到着
  3月     島津斉彬 西郷吉之助を庭方役に任命する
  3月13日 黒船艦隊 下田に向かう
  3月18日 吉田松陰 下田に入る
  3月21日 黒船艦隊 下田港視察のため沖合いに停泊
  3月23日 プチャーチン 長崎入港 幕府宛の国書を長崎奉行所に提出
  3月24日 幕府 廃止になっていた下田奉行所を復活させる
  3月25日 吉田松陰 弁天島の祠に入る
  3月27日 吉田松陰 上陸中の米水夫に手紙を託す「投夷書」
    同    桂小五郎、来原良蔵 江戸より三浦半島に向う
  3月28日 吉田松陰 黒船への密航失敗 下田奉行所に自首、拘禁される
    ?    ペリー 下田奉行所に吉田松陰に対する処置を寛大にするように申し入れる
  3月29日 プチャーチン 長崎出港
    同    桂小五郎、来原良蔵 宮田の長州藩警護陣地に入る
  4月 6日 京都御所焼ける
  4月10日 吉田松陰 金子重輔と手錠、足かせで江戸に送られる
    同    西郷吉之助 水戸藩邸で藤田東湖に会う
  4月11日 杉梅太郎 長州江戸藩邸で謹慎
  4月15日 吉田松陰 北町奉行所で取り調べを受けた後、伝馬町の獄に入る
  4月29日 杉百合之助 蟄居謹慎
    ?    ペリー艦隊 箱館入港
  5月11日 杉梅太郎 萩に入り謹慎
  5月12日 ペリー下田入港
  5月22日 嵯峨根良吉 適塾に入門
  5月29日 島津斉彬 久光に幕府より正式な婚礼の沙汰なしはペリー再来や
                御所炎上が原因と今泉島津家に伝えるよう手紙を書く
  5月     下田了仙寺 日米和親条約付録下田条約調印
  5月     坂本龍馬 江戸より土佐に向う
  6月 1日 ぺりー下田を去る
  6月 5日 徳川慶福(家茂) 藩政に対する意見を公募
  6月23日 坂本龍馬 土佐帰国
  7月29日 西郷吉之助 叔父椎原与右衛門、権兵衛に藤田東湖の印象を手紙に書く
吉田松陰 銅像
下田市
吉田松陰 銅像


吉田松陰 金子重輔 銅像
吉田松陰 金子重輔 銅像

ぺりー 銅像
下田市
ぺりー 銅像
閏 7月15日 英国スターリング 軍艦四隻で長崎入港
閏 7月     坂本龍馬 「小栗流和兵法十二箇条」「小栗流和兵法二十五箇条」を受ける
閏 7月27日 高橋是清 江戸に生まれる
    ?    岩崎弥太郎 江戸出国願いを出す
  8月     河田小龍 藩命により薩摩に出張
  8月13日 スターリング 長崎奉行と会談
  8月20日 宇和島藩 小型蒸気船研究のため村田蔵六、二宮敬作らを長崎に向わせる
  8月23日 日英和親条約締結
  8月26日 スターリング 長崎出港
  8月30日 プチャーチン 箱館入港
  9月     土佐藩 海防のため民兵を募集
  9月13日 日英 役定締結、長崎、箱館開港
  9月18日 幕府 吉田松陰に国許で蟄居の栽決(老中、阿部正弘及びペリーの配慮といわれている) 
    同     プチャーチン 大坂入港
  9月23日 吉田松陰 金子重輔、檻籠に入れられ萩に向かう
  9月27日 岩崎弥太郎 奥宮慥斎の従者として江戸に向う
 10月     村田蔵六、二宮敬作 嘉蔵と長崎に入る
 10月14日 プチャーチン 「ディアナ号」で下田入港
 10月     会津藩 将軍の命により駒場野で長沼流兵学の調練
 10月18日 川路聖謨 下田に向かう  10月22日 川路聖謨 下田到着
 10月24日 吉田松陰 萩の野山獄、金子重輔、岩倉獄に入る
    ?    岩崎弥太郎 京で梁川星巌を訪問
  11月    坂本龍馬 河田小龍に世界情勢を聞く
 11月     杉梅太郎 謹慎を解かれ郡奉行勤務を拝命
 11月 1日 プチャーチン 下田上陸
 11月 2日 幕府 応接掛「ディアナ号」乗船
 11月 3日 下田玉泉寺 第一回日露会談
 11月 4日 下田地震 津波発生 「ディアナ号」損傷、水夫1名死亡 露水兵、下田住民を多数救助
 11月 5日 土佐地震(寅の大変)
 11月 6日 下田玉泉寺に「ディアナ号」水夫ソボレフの遺体埋葬
 11月13日 第二回日露会談
 11月14日 第三回日露会談
 11月23日 岩崎弥太郎 江戸築地土佐藩下屋敷に入る
 11月26日 「ディアナ号」 戸田港で修理するために下田出港
 11月27日 
安政に改元
 11月28日 「ディアナ号」 座礁し損傷拡大
 11月29日 露乗組員 「ディアナ号」を放棄し宮島村上陸
 11月     村田蔵六、二宮敬作 楠本イネと宇和島に向う
    ?    長崎出張 宇和島藩士帰藩
 12月 2日 「ディアナ号」 沈没
 12月 6日 プチャーチン 宮島村より戸田村に向かう
 12月 7日 プチャーチン 戸田村に入る 「ディアナ号」代用船の建造を決定
 12月 8日 米「ポウハタン号」 下田入港
 12月12日 仏「ナポレオン号」 下田入港
 12月21日 日露和親条約調印
 12月23日 幕府奏請により朝廷「太政官符」発令
安政二年 1855

    ?    村田蔵六 宇和島藩命により洋学塾を開く
    ?    武市半平太 道場を開く
    ?    中岡慎太郎 武市半平太道場入門
    ?    永倉新八 元服し名を栄治より改める
    ?    肝付尚五郎(小松帯刀) 薩摩藩奥小姓御近習番になる
  1月     江川太郎左衛門 病死
  1月 3日 川路聖謨 江戸に戻る
  1月 7日 川路聖謨 江戸城登城、徳川家定に拝謁
  1月11日 吉田松陰の弟子 金子重輔(25歳)岩倉獄で病死
  1月12日 宇和島藩 蒸気船建造開始
  1月13日 岩崎弥太郎 安積良斎の見山塾に入門
  1月18日 川路聖謨 勝海舟 下田取締手付に任命される
  1月27日 二宮敬作 宇和島藩準藩士の資格を与えられる
  2月 1日 楠本イネ 二宮敬作の甥、三瀬周三と蘭語の講義を村田蔵六より受け始める
  2月 2日 坂本権平 家督を継ぐ
  2月12日 川路聖謨 下田に向かう
  2月18日 川路聖謨 下田海善寺に入る
  2月24日 川路聖謨 プチャーチンと会見
    ?     所郁太郎 京へ上る
  3月     吉田松陰 「士気七則」を書き甥の玉木彦助の元服祝いに与える
  3月 9日 露艦新造船 完成進水「戸田丸」と命名
  3月10日 川路聖謨 江戸に向かう
  3月13日 川路聖謨 江戸に入る
  3月19日 プチャーチン 「戸田丸」で本国に向う
  3月20日 川路聖謨 下田に向かう
  3月24日 川路聖謨 下田に入る
  4月     桂小五郎 萩に帰国
  4月20日 犬飼毅 備前に生まれる
  4月23日 川路聖謨 江戸に向かう
  4月27日 川路聖謨 浦賀に立ち寄り防備状況視察
  4月29日 川路聖謨 江戸に入る
  5月 7日 桂小五郎 萩より江戸に向う
  5月14日 幕府海防状況巡視
    同    薩摩藩建造蒸気船「昇平丸」幕府献上のため品川沖香回航
  5月15日 川路聖謨 徳川家定に謁見
  5月23日 桂小五郎 大坂に入る
  6月     幕府 諸大名、旗本に洋式調練を命じる
  6月 9日 徳川家定 昇平丸を見学
  6月29日 桂小五郎 相模の長州藩警護陣地に入る
  7月     幕府 長崎海軍伝習所開設、蘭軍艦「スンビン号」(観光丸)寄贈
  7月     桂小五郎 下田奉行、中島三郎助を訪問し造船術を学び始める
  8月     勝海舟 長崎海軍伝習所開設に赴任
  8月 7日 武市半平太 土佐藩命により藩校、田野学館に出張(9月4日まで)
  8月 9日 川路聖謨 禁裏御所方御普請御用を命じられる
  8月11日 桂小五郎 長州江戸藩邸に長崎行きの願書を出す
  9月     肝付尚五郎(小松帯刀) 薩摩小松家の養子になる
  9月 7日 川路聖謨 江戸出立、京に向かう
  9月11日 徳川家定 南禅寺に領土安堵状を発給する
  9月15日 一条忠香 養女美香子、一橋慶喜との婚儀のため京を出発
  9月23日 川路聖謨 京に入り奉行所、二条城、御所に立ち寄る
    同    岩崎弥次郎 庄屋島田便右衛門宅の宴会で喧嘩重傷を負う
  9月29日 川路聖謨 参内
 10月     堀田正睦 老中に就任
 10月 2日 
安政の大地震 藤田東湖(50歳)圧死 町屋1万4千3百余焼失、死者4千
 10月     篤姫 江戸三田薩摩藩邸被災のため渋谷別邸に移る
 10月 4日 西郷吉之助 樺山三円に藤田東湖の訃報を伝える手紙を書く
 10月 6日 川路聖謨 京を出、大坂に向かう
 10月 7日 川路聖謨 大坂に入る
 10月 9日 川路聖謨 大坂海岸線を巡視、尼崎に泊まる
 10月10日 川路聖謨 西宮海岸巡視、御影村嘉納家に泊まる
    同    桂小五郎 長州江戸藩邸の警備を命じられる
 10月11日 川路聖謨 兵庫和田岬を見分、船で大坂に戻る
 10月15日 一条美香子 江戸到着
 10月18日 川路聖謨 京に入る
 10月25日 ヘンリー ヒュースケン ニューヨークを出発
 11月 3日 新御所引渡式
 11月 5日 川路聖謨 新御所参内
 11月 6日 坂本龍馬 土佐藩の砲術調練に参加(7日も)
 11月 7日 川路聖謨 京を出、江戸に向かう
 11月11日 一条美香子 一橋邸に移る
 11月15日 一橋慶喜 一条美香子と結納を交わす
 11月21日 川路聖謨 江戸に入る
 11月22日 川路聖謨 江戸城登城、阿部正弘に報告
 12月     西郷吉之助一家 生活苦のため加治屋町の家を売り上之園町に引越し
 12月     岩崎弥太郎 故郷より父弥次郎重傷との手紙を受ける
 12月 3日 一橋慶喜(19歳) 一条美香子(21歳)と結婚、参議に任じられる
 12月 4日 坂本龍馬 父八平(59歳)死去
 12月 9日 川路聖謨 将軍に謁見
 12月10日 千葉周作 死亡
 12月14日 岩崎弥太郎 江戸を出て帰郷に向う
 12月15日 吉田松陰 野山獄を出、松本村自宅蟄居
 12月19日 老中 阿部正弘、孝明天皇より皇居造営の功として真御太刀と三十六歌仏の手鑑を賜る
 12月20日 桂小五郎 戸田浦の船大工、高橋伝蔵を訪問
 12月27日 西郷吉之助 橋本左内と会う
 12月29日 岩崎弥太郎 井ノ口村に帰郷
    ?    宇和島藩 樺崎砲台築造                                         幕末、明治維新 年号表へ
安政三年 1856

    ?    西郷吉之助 妻と離別
  1月     岩崎弥太郎 郡奉行所に訴状を提出
  2月15日 ヒュースケン ペナン島でハリスと対面
  2月19日 長州藩主、毛利慶親 軍艦を築造するため萩に向う 高橋伝蔵従う
  2月22日 朝廷 篤姫と近衛家の養子縁組の許可を出す
  2月28日 朝廷 島津斉彬に篤姫縁組の内意書を出す
  3月     村田蔵六 藩主伊達宗城の参勤交代に従い江戸に向う
  3月24日 幕府 講武所創設令
  4月     島津斉彬 近衛忠熈に養女内諾のお礼の手紙を書く
  4月     武市半平太 土佐藩藩命により香美郡奉行所へ出張
  4月     島津斉彬養女篤姫 右大臣近衛忠熈の養女となり敬子と名を改める
  4月     敬子(篤姫) 近衛忠熈に口上書を書く
  4月25日 将軍 徳川家定、講武所視察
  5月     久坂玄瑞 吉田松陰に手紙を送る
  5月     長州藩 軍艦の築造を開始
  5月16日 嵯峨根良吉 越前大野洋学館に留学
  5月22日 中岡慎太郎 土佐藩砲術指南、吉村賢次郎に入門
    ?    岩崎弥太郎 郡奉行所の壁に「官以賄賂成 獄囚愛僧決」と墨書する
  6月     佐倉藩 堀田正睦、老中首座に着く
  6月24日 岩崎弥太郎 逮捕され入獄
  7月 1日 幕府 江戸薩摩藩邸に婚儀の日程を内示する
  7月21日 下田に米総領事ハリス到着
  7月25日 ハリス 下田奉行と会見
  7月28日 幕府 島津家に老中奉書を出す
  7月29日 坂本龍馬 再度の江戸修行を土佐藩に願い出る
  8月     印藤聿 槍術の免許皆伝を受ける
  8月 4日 土佐藩 坂本龍馬の江戸修行を許可する
  8月 5日 米国領事館開設
  8月 7日 ハリス 下田柿崎村玉泉寺に日本で最初に星条旗を掲揚
    同    武市半平太 江戸に向かう
    同    英水師提督シーモーアー軍艦3隻で長崎入港、条約改定を迫る
  8月     武市半平太 岡田以蔵をつれ江戸土佐藩鍛冶橋藩邸に入る
  8月     武市半平太 桃井春蔵の鏡新明智流「士学館」に入門
  8月20日 坂本龍馬 江戸に向かう
  8月22日 吉田松陰 幽室で孟子の講義を始める
  8月24日 プチャーチン 長崎入港、条約改定を迫る
  9月     坂本龍馬 江戸土佐藩中屋敷に入る
  9月 4日 吉田松陰 「松下村塾記」を書く
  9月12日 吉川経幹 岩国より萩に向かう
  9月17日 川路聖謨 水戸藩江戸屋敷で徳川斉昭と会見
  9月19日 松平容保 敏姫と婚儀
  9月     坂本龍馬 土佐実家近くの豪商相良屋源之助に礼状を書く
  9月     吉川経幹 萩に入り毛利慶親に謁見
    ?    伊藤利助 来原良蔵の従者として相模の警備に付く
    ?    高松千鶴 坂本龍馬に手紙を書く
 10月     敬子(篤姫) 平和を願う和歌を短冊に書く
 10月     吉田栄太郎(稔麿) 松浦亀太郎(松洞)「松下村塾」入門
 10月     来原良蔵 桂小五郎の妹、治子を妻にする
 10月 4日 吉川経幹 岩国に帰国
 10月14日 吉田松陰の釈放運動により野山獄の過半数釈放される
 10月17日 老中堀田正睦 外国事務取扱を命じられる
 11月     村田蔵六 江戸で「鳩居堂」開塾
 11月     坪内主馬 御番入りを命じられ御小姓組新見豊前守組に入る
 11月10日 島津斉彬 敬子(篤姫)に密命を伝える
 11月11日 近衛忠熈養女敬子(篤姫) 江戸城大奥に入る
    同    嵯峨根良吉 越前大野洋学館での留学を終える
 12月     長州藩 軍艦完成「丙辰丸」と命名
 12月     遠藤胤統 御婚礼御用掛に任ぜられる
 12月 1日 西郷吉之助 妹婿市来正之丞政清に離別について手紙を書く
 12月18日 近衛忠熈養女敬子(篤姫) 徳川家定と婚礼
    同    梅田雲浜 京より萩に入り吉田松陰と会見、「松下村塾」の額面を書く
 12月19日 遠藤胤統 近衛忠熈に婚礼の祝儀とし五百八十の餅と一種七荷を贈呈
 12月     島田魁 坪内主馬道場に入門
    ?    箱館弁天台場着工
    ?    永倉新八 神道無念流本目録を授けられる
松下村塾
萩市 松下村塾
安政四年 1857

    ?    秋月悌次郎 藩命により全国視察旅行を行う
    ?    松本良順 幕命で長崎に留学蘭医ポンペの指導を受ける
    ?    永井尚志 勘定奉行になる
    ?    野村靖 「松下村塾」入門
    ?    土佐参政吉田東洋 江戸土佐藩邸で宴会の席上喧嘩更迭される
  1月     坂本龍馬 土佐藩より江戸留学1年延期の許可を受ける
  1月14日 梅田雲浜 萩を出る
  1月18日 江戸九段下 蕃所調書開所
  1月20日 岩崎弥太郎 家名削除、居村追放、高知城下立入禁止の判決を受け釈放される
    ?    高杉晋作(18歳)明倫間入学
    ?    岩崎弥太郎 井ノ口村より鴨部村に移る
    ?    吉田東洋 謹慎処分を受け土佐で少林塾を開く
  3月     久坂義助(玄瑞)眼病治療のため筑前、田原哲のもとへ行く
  4月     岩崎弥太郎 鴨部村より神田村に移り寺子屋を開く
    ?    池内蔵太、近藤長次郎 岩崎弥太郎の塾に入る
  4月     島津斉彬、西郷吉之助 帰国に向かう
  4月 5日 ハリス 下田奉行と和親条約改定
  4月17日 坂本龍馬 斉藤弥九郎の練兵館を訪問
  5月 8日 阿部正弘 病のため登城せず
  5月26日 下田条約調印 貨幣交換率を定める
  6月     韮山反射炉 完成
  6月17日 幕府筆頭老中 阿部正弘(39歳)急死
  7月     韮山反射炉 溶解に成功
  7月23日 徳川斉昭 幕政参与に拝命
  8月 4日 土佐藩士 山本琢磨、酒に酔い商人の時計を奪う
  8月 5日 蘭軍艦「ヤパン号」(咸臨丸)長崎入港 医師ポンペ同行
  8月12日 坂本龍馬 山本琢磨を逃がす
  8月23日 長岡藩主、牧野忠雄(60歳)病没
  9月     吉田稔麿 長州江戸藩邸記録所小役人に就任
  9月     品川弥二郎 「松下村塾」入門
  9月     武市半平太 土佐帰国
  9月 3日 吉田松陰 「煙管を折るの記」を書く
 10月 3日 鍛冶橋土佐藩邸 安政諸流試合
 10月 7日 ハリス 下田出発
 10月14日 ハリス 江戸着、蕃所調所に宿泊
 10月15日 ハリス 将軍より贈物を賜る
 10月16日 松平慶永 幕府に一橋慶喜の将軍継嗣決定を迫る建言書を提出
 10月18日 ハリス 堀田備中守正睦邸訪問
 10月21日 ハリス 江戸城で将軍徳川家定に謁見、国書を拝呈
 10月25日 牧野忠恭 長岡藩主となる
 10月26日 ハリス 堀田正睦に国力を貿易で強化することを勧告
 11月     五稜郭着工
 11月 1日 西郷吉之助 江戸に向うため鹿児島を出発 熊本まで大久保一蔵同行、長岡監物を訪問
    同    幕府 諸大名に米大統領親書を示す
 11月 5日 「松下村塾」 納屋を改造し増築
 11月10日 永倉新八 江戸松前藩屋敷で父母に勘当願いを書き家出
 11月12日 入江九一 「松下村塾」入門
 11月15日 徳川斉昭 建言書を老中に提出
 11月26日 松平慶永 幕府へ開国通商論を提出
 11月     二宮敬作、楠本イネ、三瀬周三 長崎に入る
    ?    岩崎弥太郎 高知城下の河田小龍を訪問し後藤象二郎と初対面する
 12月     久坂玄瑞 吉田松陰の妹、文と結婚
 12月 2日 幕府 外交官の江戸滞在を許可する
 12月 6日 西郷吉之助 江戸到着
 12月11日 幕府 米国総領事と日米通商条約の交渉に入る
 12月29日 幕府 諸大名に登城を命じ通商条約締結やむなしの旨伝える
 12月     岩崎弥太郎 追放処分の赦免、家名回復の沙汰を受ける
安政五年 1858                                                       幕末、明治維新 年号表へ

    ?    伊藤利助 萩に戻り「松下村塾」に出入りを始め俊輔と名乗る
    ?    上野彦馬 長崎海軍伝習所に入門する
  1月     幕府 14箇条の条約案を作成
  1月      坂本龍馬 北辰一刀流「長刀兵法目録」を受ける
  1月     吉川経幹 江戸参府
  1月 6日 吉田松陰 「狂言の言」を書き藩主に上呈
  1月11日 井伊直弼 長野主膳を江戸に送る
  1月14日 幕府条約交渉妥結 ハリス病気になる
  1月17日 吉田東洋 土佐藩参政に返咲く
  1月21日 老中 堀田正睦、勅許を得るため京にむかう 川路聖謨同行
  2月     久坂玄瑞 長州藩の許しを得、江戸遊学に向う
  2月 5日 堀田正睦 京、寺町二条本能寺に入る 川路聖謨は天称寺
  2月 9日 堀田正睦 参内
  3月     岩崎弥太郎 吉田東洋の「少林塾」入門
  3月     敬子(篤姫) 近衛忠熈に一橋慶喜将軍擁立を朝廷に働きかけるよう手紙を書く
  3月     勝海舟 鹿児島で島津斉彬に拝謁
  3月 1日 吉川経幹 水戸藩邸で徳川斉昭に拝謁
  3月11日 「松下村塾」増築完成
    同    岩倉具視 久我建通訪問
  3月     西郷吉之助 京に入り近衛忠熈に敬子(篤姫)の手紙を渡す
  3月12日 宮中八十八人列参
  3月20日 調印拒否の勅許下る
    同    西郷吉之助 近衛忠熈より敬子(篤姫)宛ての返書を持ち京より江戸に向う
  4月     吉川経幹 岩国に帰国
  4月 5日 堀田正睦 江戸に向う
  4月 7日 横井小楠 松平慶永の招きにより福井に入る
    同    高杉晋作 椋梨藤太の訪問を受ける
  4月 6日 久坂玄瑞 江戸に入る
  4月13日 高杉晋作 吉田松陰に遊学希望の手紙を書く
  4月19日 川路聖謨 江戸に入る
  4月20日 堀田正睦 江戸に入る
  4月22日 堀田正睦 将軍に謁見
  4月23日 彦根藩主、井伊直弼 大老に就任
  4月24日 堀田正睦 ハリスに交渉、調印期日3ヶ月延期
  4月25日 幕府 諸大名に勅書を示す
  5月 1日 井伊直弼 新将軍に徳川慶福内定の通達を出す
  5月 5日 川路聖謨 西の丸留守居役に左遷
  5月17日 西郷吉之助 江戸より鹿児島に向かう
  5月21日 米軍艦「ミシシッピー号」長崎入港 コレラを流行させる
  6月     伊藤俊輔 山県狂介らと京に入る
  6月     永井尚志 外国奉行に抜擢される
  6月 1日 幕府 新将軍決定を正式に通達する
  6月 7日 西郷吉之助 鹿児島に帰国し島津斉彬に拝謁、松平慶永の書簡を渡し井伊直弼大老就任後の情勢報告をする
  6月11日 島津斉彬 近衛忠熈に天運に任せると手紙を書く
  6月17日 ハリス 堀田正睦を通じ条約調印急務を告げる
  6月18日 西郷吉之助 島津斉彬の命により大坂に向う
  6月19日 米軍艦「ポーハタン号」艦上で勅許を得ぬまま「日米修好通商条約」調印
  6月22日 井伊直弼 諸大名に登城を命じ、条約調印を通達
  6月23日 一橋慶喜 井伊直弼を問責
    同    老中堀田正睦 罷免 間部詮勝 老中に返咲く
  6月24日 押しかけ登城
  6月25日 徳川慶福 継嗣に決定
  6月26日 幕府 老中間部詮勝を上洛させ酒井忠義を再び京都所司代に任命
  6月28日 孝明天皇 幕府の専断に激怒、譲位を表明
    ?    ポンペ 長崎の町を奔走コレラ患者の治療に当たる
    ?    敬子(篤姫) 近衛忠熈に家定が老中の対応に立腹している様子を伝える手紙を書く
  7月     伊藤俊輔 萩に戻り来原良蔵と長崎に行く
  7月 1日 吉田松陰 「松下村塾」塾生の軍事調練をする
  7月 3日 徳川家定 重体
  7月 5日 幕府 押しかけ登城の処分発表、一橋慶喜、登城停止、徳川斉昭、謹慎、松平慶永、強制隠居
         水戸藩内の人事権停止、手紙の往復禁止 安政の大獄始まる
    同    吉田松陰 周布政之介に高杉晋作の江戸遊学を推薦する手紙を書く
  7月 6日 将軍 徳川家定(35歳)病死
  7月 7日 西郷吉之助 大坂に入る
  7月 8日 朝廷伝奏役 万里小路正房、水戸藩京都留守居役、鵜飼吉左衛門を自邸に招き勅諚と別勅を渡す
    同    島津斉彬 天保山で諸隊連合大操練を行う 後発病
  7月     西郷吉之助 吉井友実と京に入る
  7月11日 吉田松陰 条約調印を知る
    同    入江九一 江戸に向う
  7月13日 吉田松陰 「大義ヲ議ス」を書き幕府を討滅誅戮せよと主張
  7月14日 西郷吉之助 梁川星巌を訪問し情勢を島津斉彬に手紙で報告
  7月15日 島津斉彬 久光の子忠義を継嗣にすると遺言
  7月16日 島津斉彬(50歳)赤痢で死亡
  7月18日 吉田松陰 萩郊外大井浜で軍事調練 勅諚降下を知る
    同    高杉晋作 昌平黌入学のため江戸に向う
  7月20日 吉田松陰 長州藩家学教授の指令出る
  7月21日 徳川家定 正一位太政大臣を追贈される
    同    徳川慶福 家茂に改名する
  7月24日 西郷吉之助 島津斉彬の訃報を京で聞く
  8月     高杉晋作 「大橋訥庵塾」に入門
  8月     近藤周助 日野八坂神社に額を奉納
  8月     長野主膳 九条関白家の家臣島田左近から将軍と皇女の縁組についての内談を受ける
  8月 2日 西郷吉之助 京より江戸に向かう
  8月 7日 朝廷 水戸藩への勅状降下を決定
    同    西郷吉之助 江戸に入る
  8月 8日 水戸藩京都留守居役 鵜飼吉左衛門に勅状下る
    同    鵜飼幸吉 勅状を持ち水戸に向う
    同    幕府 徳川家定の死亡を公表
    同    田安家徳川慶頼 徳川家茂の後見となる
  8月     西郷吉之助 水戸藩邸の安島帯刀を訪問
  8月 9日 幾島 近衛家老女村岡に敬子(篤姫)の家定死後の様子を伝える手紙を書く
  8月11日 西郷吉之助 月照に島津斉彬を失った心境を手紙に書く
  8月16日 戊午の密勅
  8月18日 「日蘭修好通商条約」締結
  8月19日 「日露修好通商条約」締結
  8月24日 水戸藩より勅状の写し長州藩に入る
  8月25日 西郷吉之助 橋本左内訪問後、江戸より京に向う
  8月26日 島津斉興 江戸より鹿児島に向う
    同    「日英修好通商条約」締結
  8月29日 徳川家定夫人敬子(篤姫) 落飾し天璋院と号す
  8月30日 西郷吉之助 京に入る
  9月 2日 梁川星巌(70歳) コレラで死亡
  9月 3日 京都所司代 酒井忠義、着任
    同    老中 間部詮勝、朝廷内粛清の任務を帯び京に向う
  9月 4日 坂本龍馬 土佐に帰国
  9月 5日 久坂玄瑞 「鳩居堂」入塾(1ヶ月で退塾)
  9月 7日 京都所司代 酒井忠義 若狭小浜藩士、梅田雲浜を逮捕
    同    西郷吉之助 江戸より京に入った有馬新七より情勢報告を受けた後、月照に手紙を送る
  9月 8日 島津斉興 伏見に入る
    同    月照 西郷吉之助を訪問
  9月 9日 月照 西郷吉之助を再び訪問し梅田雲浜の捕縛を伝える
  9月10日 越前藩、土佐藩にも勅状下る
    同    西郷吉之助 近衛家に入り月照護衛の依頼を受け有村俊斎と伏見まで護衛
  9月11日 西郷吉之助 月照と有村俊斎を伏見より乗船させ大坂で潜伏させる
  9月16日 老中、間部詮勝 大津に京都西町奉行を呼び鵜飼父子の捕縛を指示
  9月17日 老中、間部詮勝 京に入る
  9月18日 水戸藩京都留守居役 鵜飼吉左衛門、幸吉親子逮捕
  9月22日 池内大学 頼三樹三郎逮捕(池内は、10月26日京町奉行所自首か?頼は、11月か?)
  9月23日 吉田松陰 梅田雲浜逮捕を知る
    同    西郷吉之助 月照と大坂より乗船
  9月24日 江戸水戸藩邸に鵜飼父子逮捕の報入る
  9月25日 長野主膳 江戸の彦根藩公用人宇津木六之丞に皇女降嫁の必要を献策
  9月30日 西郷吉之助、月照 下関に入る
 10月     青木弥太郎 御勘定本役に昇進
 10月     山県狂介 「松下村塾」入門
 10月 6日 西郷吉之助 鹿児島に入る
 10月 9日 「日仏修好通商条約」締結
 10月10日 水戸藩士 住谷寅之助、江戸出発
 10月11日 水戸藩士 関鉄之助、江戸出発
 10月13日 松平慶永 春嶽と号す
 10月17日 河井継之助 品川遊郭事件
 10月23日 橋本左内 江戸で逮捕
 10月24日 徳川家茂 正二位権大納言叙任
 10月25日 第十四代将軍宣旨 徳川家茂、征夷大将軍内大臣に叙任
 11月 1日 関鉄之助 福井城下に入る
 11月 4日 高杉晋作 昌平黌入学
 11月 6日 吉田松陰 藩重臣、周布政之助に大砲、弾薬の供与を願い出る手紙を書く
 11月 8日 月照 平野国臣と鹿児島に入る
 11月11日 月照 西郷吉之助宅を訪問
 11月15日 薩摩藩 西郷吉之助に月照を日向に潜伏させることを命じる
    同    西郷吉之助 月照上人(46歳)と入水自殺 月照死亡、西郷、平野国臣に助けられ蘇生
 11月18日 水戸藩士、住谷寅之助 坂本龍馬に手紙を書き土佐入国の便宜を依頼
 11月20日 平野国臣 薩摩領外に追放
 11月23日 坂本龍馬 土佐と伊予の国境近くで住谷寅之助と会見
 11月25日 印藤聿 長府藩主毛利元周の近習となる
 11月29日 関鉄之助 鳥取城下に入る
 12月     桂小五郎 萩に帰国
 12月     天璋院篤姫 従三位を叙任
 12月 1日 江戸城 勅使下降
 12月 6日 米公使館を下田より江戸麻布善福寺に移す
 12月 8日 住谷寅之助 宇和島に入る
 12月11日 高杉晋作、久坂玄瑞 連名で吉田松陰に手紙を書く
 12月15日 横井小楠 三岡八郎と福井出立
 12月21日 江戸城で将軍宣旨の伝達
 12月25日 梅田雲浜 頼三樹三郎ら江戸に送られる
 12月26日 吉田松陰 野山獄に投獄される
 12月28日 河井継之助 江戸遊学に出発、塵壺を書き始める
    同    西郷吉之助 奄美大島に送られるため乗船山川港に向う
    同    大久保一蔵 西郷吉之助に手紙を書く
 12月29日 関鉄之助 萩に入る
 12月30日 間部詮勝 参内し条約調印了承の勅諚を得る
    同    水戸徳川斉昭の密命、長州藩に届くが藩要人これを拒否
安政六年 1859                                                       幕末、明治維新 年号表へ

    ?    二宮敬作 脳溢血の発作で倒れる
    ?    A.J.ボードワン 長崎蘭国貿易会社で働くため来日
  1月 2日 伊地知正治 山川港で西郷に大久保の手紙を渡す 西郷吉之助 大久保一蔵に返書を書く
  1月 5日 土佐藩 山内豊範、家督を継ぐため江戸に向う
  1月 6日 河井継之助 江戸に入り、「古賀塾」(久敬舎)に入る
  1月11日 吉田松陰 間部詮勝の暗殺自重せよとの高杉晋作、久坂玄瑞らの手紙を読む
    同    吉田松陰 死の意義についてと忠義よりも功業なのかと某に宛て手紙を書く
    同    西郷吉之助 山川港出港
  1月12日 西郷吉之助 奄美大島に到着
  1月17日 住谷寅之助 水戸に帰る
  1月27日 宇和島藩 蒸気船完成
    ?    河井継之助 父、代右衛門隠居により家督を継ぐ
    ?    大久保一蔵 碁を習い始める
    ?    有馬新七 鹿児島に戻る
  2月     長崎海軍伝習所閉鎖
  2月     久坂玄瑞 萩に帰る
  2月     永井尚志 軍艦奉行になる
  2月10日 山内豊範 江戸に入る
  2月15日 吉田松陰 高杉晋作に手紙を書く
  2月24日 長州藩士 野村和作脱藩
  2月26日 土佐藩主 山内豊信隠居、容堂と号す
  2月27日 関鉄之助 水戸に帰る
    ?    村田蔵六 桂小五郎を訪問
  3月 9日 土方歳三 天然理心流に正式入門
  3月12日 間部詮勝 江戸に帰る
  3月22日 野村和作、入江九一 岩倉獄投獄
  4月12日 沖田総司 日野、児島鹿之助邸に出稽古
  4月14日 吉田松陰 野村和作に藩を相手にしたのは一生の誤りと手紙を書く
  4月19日 長州江戸藩邸に幕府より吉田松陰を江戸に送れの命令届く
  4月21日 長井雅楽 吉田松陰に対する命令伝達のため長州江戸藩邸出発
  5月13日 長井雅楽 江戸より萩に入り吉田松陰の召還状を届ける
  5月14日 長州に吉田松陰、江戸送りの一報入る
  5月16日 「松下村塾」門人 松浦松洞(無窮)吉田松陰の肖像画を八枚書く、内六枚は現存
  5月24日 吉田松陰 一夜だけ杉家に帰る
  5月25日 吉田松陰 江戸に向う
  5月26日 英領事オールコック 高輪東禅寺に入る
  5月28日 幕府 横浜、長崎、箱館の開港と米英露蘭仏との貿易を許可する
  5月29日 長崎奉行所 出島、唐人屋敷の開放を通達
  6月     長州藩 軍艦「庚申丸」完成
  6月     岩崎弥太郎 郷廻役に抜擢され長崎出張を命じられる
  6月 4日 河井継之助 「久敬舎」退塾
  6月 7日 河井継之助 江戸出発、備中松山に向う
  6月25日 吉田松陰 長州藩江戸屋敷に入る
    同    横井小楠 福井に入る
  6月 8日 筒井政憲(82歳) 死亡 新宿常圓寺に埋葬される
    ?    伊藤俊輔 萩に帰る
  7月 6日 シーボルト 英艦「イングランド号」で30年振りに再来日、息子アレキサンデル同行
  7月 7日 二宮敬作 出島商館長邸でシーボルトと再会
  7月 8日 楠本イネ、滝 シーボルトと再会
  7月 9日 吉田松陰 幕府評定所に入り評定後、伝馬町の獄に入る
    同    シーボルト親子 奉行所より本蓮寺一乗院を居宅にすることを許される
  7月14日 河井継之助 赤穂に立ち寄る
  7月     吉田松陰 高杉晋作の死生観の問いに手紙で答える
  7月16日 河井継之助 松山に入る
  7月17日 河井継之助 備中松山藩、山田方谷に入門
  7月18日 露艦隊 日露修好通商条約の批准と樺太の国境画定を目的に品川沖に入る
  7月24日 露使節ムラビヨフ 三田大中寺に入る
  7月25日 遠藤胤統、酒井飛騨守 江戸西久保天徳寺で露使節ムラビヨフと樺太境界の均衡に当る
  7月28日 露海軍少尉モフエト 水夫と共に斬殺される
  8月     楠本イネ ポンペの講義を受け始める
  8月13日 ポンペ 罪人の腑分けをする
  8月19日 印藤聿 印藤家の家督を継ぐ
  8月23日 高杉晋作 久坂玄瑞に攘夷には富国強兵が必要と手紙を書く
  8月26日 仏領事ベルクール 聖坂済海寺に入る
  8月27日 幕府 一橋慶喜に隠居謹慎を命じる
    同    幕府 小石川水戸藩邸に上使を送り徳川斉昭に永蟄居を命じる
    同    幕府 川路聖謨に隠居、蟄居を命じる
    同    水戸藩 安藤帯刀、茅根伊予之助、鵜飼父子、処刑
  9月 1日 徳川斉昭 永蟄居のため水戸に向う
  9月 5日 吉田松陰 吟味
  9月12日 島津斉興(69歳)病死
  9月13日 小栗忠順 遺米使節監察を命じられる
  9月14日 梅田雲浜 獄死
  9月15日 桂小五郎 江戸詰を命じられ江戸に向う
  9月19日 トーマス グラバー 来日
  9月22日 坂本龍馬 徳弘考蔵に入門、砲術を習う
    同    桑名藩主松平猷(26歳)急死
  9月23日 桑名藩 高須藩の松平定敬を養子に向い入れる内約を得る
  9月26日 河井継之助 岩国の錦帯橋を見物
    ?    山田方谷 江戸に向う
 10月     三条実万 病死
 10月 3日 松平定敬 江戸高須藩邸より江戸桑名藩邸に移る
 10月 5日 河井継之助 長崎に入る その後、熊本、四国を遊歴
    同    吉田松陰 吟味
 10月 7日 橋本左内(26歳)頼三樹三郎(35歳)処刑される
 10月11日 山内容堂 謹慎を命じられる
    同    桂小五郎 伊藤俊輔を連れ江戸に入る
    同    仏国神奈川領事館使用人の清国人 横浜で西洋人と間違われ斬殺される
 10月16日 吉田松陰 吟味
    同    松平定敬 桑名藩を相続
 10月17日 高杉晋作 藩命で江戸より萩に向う前に桂小五郎と会見
    同    江戸城本丸を焼失
 10月20日 吉田松陰 遺書を書く、父、叔父、兄に「永訣の書」
 10月25日 吉田松陰 「留魂録」を書く (萩、松陰神社に保管)
 10月27日 吉田松陰(30歳)伝馬町獄舎で処刑される
 10月29日 村田蔵六 千住小塚原で女処刑囚の解剖をする
    同    桂小五郎、伊藤俊輔、飯田正伯、尾寺新之允 吉田松陰の遺体を千住回向院に埋葬
 11月     西郷吉之助 愛加那と結婚
 11月 3日 河井継之助 松山に戻る
 11月 4日 大久保一蔵 島津久光に拝謁
 11月 5日 薩摩藩主 島津忠義、精忠組に論告書を書く
 11月 6日 精忠組 薩摩藩主島津忠義への請書に署名血判し提出、総数49名
 11月 9日 島津久光 薩摩藩人事改革に着手
 11月12日 関鉄之助 役職罷免、蟄居
 11月13日 桂小五郎 有備館、御用掛を命じられる
 11月16日 高杉晋作 萩の自宅に入る
 11月19日 小林良典 死亡
 11月21日 小栗忠順 諸大夫に任じられ豊後の守を名乗る
 11月24日 勝海舟 米国派遣を命じられる
 11月26日 高杉晋作 周布政之助に吉田松陰の仇は討つと手紙を書く
 11月27日 高杉晋作、久坂玄瑞 吉田松陰の霊を弔う
 11月28日 山田方谷 江戸より松山に戻る
 12月 1日 遺米三使節 将軍徳川家茂に拝謁
 12月 2日 川路聖謨 小石川の屋敷を差し出せの命令を受ける
 12月 6日 岩崎弥太郎 長崎に入る
 12月15日 水戸藩主徳川慶篤 登城、勅命返納を要求される
 12月24日 間部詮勝 老中を辞任
 12月28日 ジョン万次郎 「咸臨丸」に通訳としての乗船が決定
万延元年 1860                                                       幕末、明治維新 年号表へ

  1月 6日 徳川家茂 遣米使節団に全権委任状を渡す
  1月 7日 英国総領事館雇用人伝吉 背後から刺殺される
  1月19日 浦賀より「咸臨丸」、米軍艦「ポーハタン号」に遺米使節団乗船し出港
  1月23日 高杉晋作 結婚
    ?     関鉄之助 水戸藩脱藩、江戸に向う
    ?    大久保一蔵 西郷吉之助召還の建白書を提出
  2月 4日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  2月 5日 蘭国商船のフォスとデッケル 横浜の大通りで斬殺される 蘭国の抗議に幕府両遺族に対し各一万両の賠償金を支払う
  2月 7日 吉田松陰 没後百日に遺言通り「二十一回猛子」の墓、誕生地に遺髪を埋葬して建つ
  2月14日 遺米使節 ハワイ上陸
  2月27日 遺米使節 ハワイ出港
  2月28日 西郷吉之助 大久保一蔵に橋本左内処刑を嘆く手紙を書く
    ?     河井継之助 山田方谷のもとを去り江戸に向う
  3月 2日 脱藩浪士 品川土蔵相模に集結
    同    林権助 会津で生まれる
  3月 3日 
桜田門外の変 井伊直弼(46歳)水戸17名、薩摩1名により斬殺される
    同    老中、安藤信正 井伊家に井伊大老は生存、病気届けを出させ嫡子、直憲に相続させる
    同    高杉晋作 長州軍艦教授所に入る
    ?    会津藩、正使外島機兵衛、副使秋月悌次郎 水戸に出張し武田耕雲斎に面会
  3月 5日 関鉄之助 京に向う
  3月 9日 遺米使節 サンフランシスコ上陸
    ?     「咸臨丸」 サンフランシスコ入港
  3月11日 大久保一蔵 島津久光に拝謁
  3月12日 サンフランシスコ市長 遺米使節の歓迎会を開く
  3月13日 島津忠義 参勤の途につく
  3月17日 土佐に桜田門外の変伝わる
  3月18日 
万延に改元
    同    遺米使節 サンフランシスコ出発
  3月25日 薩摩に桜田事変の報届く
  3月29日 近藤勇 松井ツネと結婚
    ?    有村雄助 切腹
    ?    島津忠義 病気を理由に参勤を取止め引き返す
閏 3月     大久保一蔵 薩摩藩勘定方小頭格に昇進
閏 3月 5日 遺米使節 パナマで蒸気機関車に乗り換え
閏 3月 7日 高杉晋作 藩主より蒸気機関修行のため江戸行きを命じられる
閏 3月18日 「咸臨丸」 サンフランシスコより帰国に向う
閏 3月20日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
閏 3月23日 遺米使節 ワシントンに入る
閏 3月28日 遺米使節 米15代大統領ジェームスブカナン(68歳)に謁見
閏 3月30日 幕府 井伊直弼の死亡を発表
    ?    村田蔵六 長州藩出仕
  4月     岩崎弥太郎 公金を浪費し任務に行き詰まり土佐に無断帰国、罷免される
  4月 2日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  4月 3日 関鉄之助 鳥取に入る
    同    遺米使節 条約交換
  4月12日 幕府 京都所司代酒井忠義を通じ九条関白に和宮降嫁を要請
  4月13日 高杉晋作 「丙辰丸」で江戸に向う
  4月15日 「丙辰丸」下関寄港
  4月17日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  4月21日 遺米使節 ワシントン出発、フェアデルフェアに向う
    ?    遺米使節 フェアデルフェアで交換レート交渉
  4月28日 遺米使節 ニューヨークに向う
    ?    大久保一蔵 薩摩藩小納戸役になる
  5月 1日 九条関白 和宮降嫁を奏上するが孝明天皇おだやかに拒絶
  5月 2日 「丙辰丸」 多度津寄港
  5月 3日 「丙辰丸」の乗組員 金毘羅宮参拝
  5月 5日 「咸臨丸」 浦賀に帰港
  5月 7日 関鉄之助 熊本に入る
  5月13日 遺米使節 ニューヨーク出港、帰国に向う
  5月15日 徳川家茂 軍艦奉行木村摂津守と勝海舟を引見
  6月     「丙進丸」 江戸に入る
  6月     シーボルト親子 鳴滝に移り住む
  6月 4日 高杉晋作 萩の母に江戸到着を知らせる手紙を書く
  6月 8日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  6月13日 関鉄之助 兵庫に入る
  6月20日 孝明天皇 蛮夷の拒絶を条件に和宮の降嫁を許諾
  6月24日 勝海舟 蕃所調所頭取に任命
  7月     村田蔵六 横浜ヘボンと会見
  7月     ジョン万次郎 江戸江川代官家で写真を撮影する
  7月 1日 関鉄之助 江戸に入る
  7月 8日 桂小五郎、松島剛蔵 水戸藩士、西丸帯刀らと会合
  7月22日 品川沖「丙進丸」で長州藩、水戸藩「成破の盟」結ぶ
  7月29日 幕府 朝廷に十年以内に条約破棄、攘夷実行を約束
  8月 6日 孝明天皇 橋本実麗と観行院に和宮の説得を命じる
  8月14日 孝明天皇 橋本家に縁組不成立なら譲位の覚悟と勅使を送る
  8月15日 水戸城内 徳川斉昭(61歳)病没 水戸藩これを秘匿
    同    和宮 徳川家茂への降嫁を五ヵ条の条件を示し承諾する
  8月18日 孝明天皇 九条関白に幕府に和宮降嫁の条件七ヵ条を命じさせる
    ?    九条関白 勅命により有栖川宮に和宮との婚約辞退を申し入れる
  8月19日 幕府 水戸藩主、徳川慶篤の帰国を許可し徳川斉昭の謹慎を解除
  8月23日 有栖川宮 官邸の手狭を表向きの理由に和宮輿入れの延期を願い出る
  8月28日 高杉晋作 東北遊歴に出る 小塚原で吉田松陰の墓参をする
  8月29日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問し明神額揮毫を依頼
  9月 3日 高杉晋作 加藤有隣と会見
  9月 4日 一橋慶喜、山内容堂、松平春嶽 謹慎を解かれるが文通、面会は禁止
  9月 8日 高杉晋作 日光東照宮を見学
  9月12日 遺米使節 香港上陸
  9月17日 徳川斉昭 常陸太田瑞龍山に埋葬
    同    三田清海寺仏国公使館前で旗番の伊国人ナタール 武士二人に襲われ傷を負う
  9月18日 遺米使節 香港出港
  9月21日 高杉晋作 信州松代城下、佐久間象山に会う、22日も
  9月23日 高杉晋作 善光寺に参拝
  9月28日 遺米使節 横浜入港
  9月30日 近藤周助 府中六所宮で天然理心流献額の神事、土方歳三型試合を披露
 10月     天璋院篤姫 江戸城大奥取締のため本丸に移る
 10月     和宮 天璋院篤姫に大奥入りの条件を伝える
 10月 1日 高杉晋作 福井、横井小楠訪問
    同    土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問し一泊
 10月10日 高杉晋作 大坂に入る
 10月14日 近藤勇、土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
 10月15日 徳川家茂 遣米使節団を引見
 10月18日 和宮降嫁の勅許下る
 10月23日 一橋家 慶喜の謹慎解除の内祝い
 10月27日 高杉晋作 吉田松陰の教えを実践できぬことを嘆く七言絶句を書く
 10月28日 嘉納治五郎 兵庫に生まれる
 11月 1日 幕府 徳川家茂と和宮の縁組、正式発表
    同    酒井忠義 和宮下向御用掛拝命
 11月 6日 外国奉行、堀織部正 江戸城内で安藤信正に詰問され自宅で切腹
 11月 8日 小栗忠順に外国奉行の辞令出る
    同    高杉晋作 明倫館に復帰
 11月 9日 江戸城 本丸御殿再建、徳川家茂、西の丸より移る
 11月20日 外国総奉行 堀織部、条約文面の不備を理由に引責自刃
 11月23日 幕府 日露条約締結
 12月     印藤聿 近習職を退く
 12月     歌川芳幾 「いこくことば らんご」 を描く
 12月 2日 土方歳三 小島キクに見舞状を書く
 12月 5日 米公使館通訳 ヒュースケン(28歳)七名に襲われ斬殺される
 12月 8日 ヒュースケン 麻布光林寺に埋葬される
 12月10日 高杉晋作 明倫館指導掛になる
 12月12日 松平容保 左近衛権中将に任じられる
 12月19日 高杉晋作 江戸の久坂玄瑞に手紙を書く
 12月25日 和宮 納采の礼
 12月29日 千葉重太郎 江戸鳥取藩邸で剣技を披露
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