baku 幕末年表 3 matu
明治元年〜明治十年
幕末、明治維新 年号表                          ページが全て表示されるまで、リンクに少し時間が掛かってしまいます。

      享和年間 1801〜1803                文化年間 1804〜1817                文政年間 1818〜1829
天保元年 1830  天保二年 1831  天保三年 1832  天保四年 1833    天保五年 1834    天保六年 1835    天保七年 1836
天保八年 1837  天保九年 1838  天保十年 1839  天保十一年 1840  天保十二年 1841  天保十三年 1842   天保十四年 1843
弘化元年 1844  弘化二年 1845  弘化三年 1846  弘化四年 1847
嘉永元年 1848  嘉永二年 1849  嘉永三年 1850  嘉永四年 1851   嘉永五年 1852    嘉永六年 1853
安政元年 1854  安政二年 1855  安政三年 1856  安政四年 1857    安政五年 1858   安政六年 1859
万延元年 1860
文久元年 1861  文久二年 1862  文久三年 1863
元治元年 1864
慶応元年 1865  慶応二年 1866  慶応三年 1867
明治元年 1868   明治二年 1869  明治三年 1870  明治四年 1871   明治五年 1872   明治六年 1873
明治七年 1874  明治八年 1875  明治九年 1876  明治十年 1877       明治十一年〜 1878〜
明治二十年〜 1887〜    明治三十年〜 1897〜    明治四十年〜 1907〜    大正元年〜 1912〜
明治元年 1868

    ?    A.J.ボードワン 神戸初代蘭国領事として赴任
  1月 1日 徳川慶喜 「討薩の表」を発する
  1月 2日 幕府軍一万五千 陳情を名目に京に向け進軍
    同    幕府軍先鋒、井伊家 薩摩藩の交渉により非戦へ
  1月 3日 
鳥羽伏見の戦い 朝廷、薩摩、長州、土佐に官軍の称を与える
    同    木戸準一郎 品川弥二郎に西郷吉之助、大久保一蔵の失策を指摘する手紙を書く
    同    西郷吉之助 大久保一蔵に初戦に勝利した喜びを伝える手紙を書く
    同    仁和寺宮嘉明親王 征討大将軍に任命
  1月 4日 薩摩屋敷焼討
    同    仁和寺宮嘉彰親王 征夷大将軍となり錦旗と共に東寺に入る
    同    新選組 鳥羽街道で戦闘後、淀城下に宿陣
  1月 5日 井上源三郎(38歳)戦死、山崎烝重傷、佐川官兵衛右目下に炸裂弾を受け負傷
    同    会津藩、新選組 淀城に入れず大坂橋本に敗走  薩長軍淀城に入る
    同    徳川慶喜 佐川官兵衛を呼び歩兵頭並を任命
    同    朝廷 山陰、東海道、東山道、北陸道、中国、四国、九州の鎮撫総督を定める
  1月 6日 神保修理 松平容保に招かれ徳川慶喜に拝謁、東帰を言上
    同    徳川慶喜、松平容保、松平定敬、板倉勝静 「開陽丸」で大坂を脱出
    同    橋本の戦い 佐々木只三郎、腰に被弾重傷
    同    山崎守備の藤堂藩 薩長軍に寝返る
    同    長州藩主、毛利敬親 朝廷に木戸準一郎病気のため上京の猶予を奏請
    同    新選組 天満橋西詰代官屋敷に入る
    ?    山本覚馬 薩摩兵に捕縛される
  1月 7日 長岡藩主一行 大坂を脱出
    同    木戸準一郎 藩主より備前行きを命じられる
    同    新選組 大坂城二の丸に入る
    同    幕府若年寄、永井尚志 大坂城内の将兵に解軍を命じる
    同    朝廷 徳川慶喜追討令を発布
    同    会津、桑名藩兵 紀州に向かい乗船
  1月 9日 新政府軍 大坂城に無血入場
    同    新政府 北陸に鎮撫使差遺を決める
    同    長崎 土佐商会全焼
    同    木戸準一郎 山口より備前に向う
    同    新選組 永倉新八他の隊士と「順動丸」に乗船し天保山を出港
    ?    陸奥宗光 大坂でパークスと面会し京の岩倉具視に意見書を提出
  1月10日 新政府 征討大号令を発布 徳川慶喜、松平容保の官位剥奪を決める
    同    新政府 旧幕領は朝廷が直管すると布告
    同    西郷吉之助 鹿児島の桂久武に官軍の大勝を伝える手紙を書く
    同    相楽総三 近江愛知郡金剛輪寺で赤報隊結成
    同    「開陽丸」品川沖に到着
    同    新選組 近藤勇、土方歳三負傷者と介護の隊士と「富士山丸」に乗船し兵庫に停泊

  1月11日 井上聞多、陸奥宗光、寺島宗則、五代才助、中井弘 外国事務局御用掛に任命される
    同    征討大将軍仁和寺宮嘉明親王 西郷吉之助と大坂城に入る
    同    木戸準一郎 備前岡山藩主、池田茂政に会う
    同    神戸事件 備前藩兵、行軍中に仏人水夫2名に発砲
    同    幕府軍艦「富士山丸」新選組を乗せ兵庫を出港し由良港に碇泊する 山崎烝艦内で死亡
  1月12日 徳川慶喜 江戸城に入り勝海舟と善後策を論じる
    同    佐々木只三郎 紀州で死亡
    同    桑名藩士、酒井孫八郎 世継ぎ松平万之助(定教)と四日市東海道鎮撫総督軍本営で桑名藩国許恭順を伝える
    同    伊藤俊輔 兵庫に入る
    同    徳川慶喜 天璋院に面会し状況を報告
    同    徳川慶喜 静寛院宮に面会を拒否される
    同    「順動丸」品川に入港し新選組隊士、釜屋に入る
    同    伊藤俊輔 神戸事件の件でパークスと会見し三日の猶予を求める
    ?    伊藤俊輔 大坂で東久世通禧に会い列国に筋を通し神戸事件解決をと進言
  1月13日 江戸城内会議 小栗忠順の主戦論いったんは承認
    同    乾退助 迅衝隊を率い土佐出軍
    同    太政官代 開設
  1月14日 東久世通禧、伊藤俊輔 兵庫でパークス、ロッシュに明治天皇の通達と新政府方針を伝える
    同    佐々木三四郎指揮の海援隊 長崎奉行所占拠
    同    「富士山丸」横浜に入港 新選組負傷者仮病院の仏語伝習所に収容
  1月15日 新選組 品川に上陸 近藤勇、沖田総司 神田和泉橋の幕府医学所に入り他は釜屋に入る
    同    新政府 各国に王政復古を通達 対外和親の布告をするが神戸事件の責任を追及される
    同    徳川慶喜 静寛院宮に拝謁
    同    相楽総三 赤報隊を編成
    同    土佐藩船「夕顔丸」長崎出港 菅野覚兵衛、奉行所占拠を伝えるため乗船
    同    神保修理 会津藩和田倉藩邸に入る
  1月16日 徳川慶喜 小栗忠順を罷免する
    同    近藤勇、土方歳三 江戸城登城
  1月17日 勝海舟 海軍奉行に任命される
    同    新政府 仙台藩に会津征討を命じる
    同    新政府 外国との和親を布告 官制三職七科を公布
    同    若年寄堀直虎 徳川慶喜に恭順を直言して自刃
    同    伊藤俊輔 外国事務掛になる
    同    静寛院宮 徳川慶喜の歎願書を取り次ぐと決意する
  1月18日 乾退助 土佐藩兵を率い高松城接収
    同    近藤勇、土方歳三 佐藤彦五郎、粕屋良循と会う
    同    近藤勇、土方歳三 会津藩邸で二千両の軍資金を得る
    同    勝海舟 越前家に手紙を書き朝廷とのとりなしを願う
    同    東海道鎮撫総督軍 大津より進軍
  1月19日 仏公使ロッシュ 江戸城で徳川慶喜に再挙を勧告する
    同    木戸準一郎 大坂に入り伊藤俊輔と会う
    同    桑名藩士、酒井孫八郎 東海道鎮撫総督軍参謀、海江田武次に面会し藩主不在のまま恭順を伝える
  1月20日 新選組 鳥居丹後守邸に移る
    同    北陸道鎮撫隊総督、四条隆平 若狭小浜藩と芸州藩の兵を率い京を進発
  1月21日 新政府 各国に局外中立を要請
    同    徳川慶喜 好意の在京大名に手紙を書き朝廷へのとりなしを願う
    同    静寛院宮 朝廷に徳川慶喜処分について手紙を書き側近の土御門藤子を使者として京に向わせる
    同    木戸準一郎 京に入る
  1月     天璋院 薩摩藩隊長宛に徳川家存続の嘆願書を届ける
  1月22日 桑名藩家老酒井孫八郎 世継ぎ松平万之助と四日市東海道鎮撫総督軍本部で桑名藩恭順を伝える
    同    勝海舟 新政府より静寛院宮を京に戻して欲しいという手紙を受ける
    同    土方歳三 戎屋に三五両の支払いをする
    同    土方歳三 洋式軍服を受け取る?
    同    新政府 兵庫城跡の一部に兵庫鎮台を設ける
  1月23日 勝海舟 陸軍総裁若年寄、榎本武揚 海軍副総裁、大久保忠寛 会計総裁に任命 勝海舟 徳川慶喜に戦略案を示す
    同    新政府 暗殺禁止令布告
    同    大久保一蔵 木戸準一郎を訪問し大坂遷都について相談後、建言書を熾仁親王、三条実美に提出
    同    太政官会議 大坂遷都否決
    同    長岡藩主一行 江戸に入る
    同    新選組 釜屋より秋月右京亮宅に移る
    同    土方歳三 移転の費用五両を支払う
  1月25日 英、米、仏、蘭、伊、普の六ヶ国 局外中立を宣言
    同    木戸準一郎 太政官代で総裁局顧問に任命される
    同    桑名城内在住者に立ち退きが命じられる
    同    関雄之助(25歳)自刃
    同    伊藤俊輔 参与職外国事務掛になる
  1月26日 徳川慶喜 ロッシュと会談
  1月27日 木戸準一郎 相国寺にアーネストサトウを訪問
    同    徳川慶喜 ロッシュと会談し抗戦論を拒否
    同    西郷吉之助 大久保一蔵に手紙を書く
  1月28日 桑名城 藩主不在のまま東海道鎮撫総督に引き渡される
    ?    土方歳三 髪を総髪にして写真を取る
    ?    沖田総司 千駄ヶ谷池橋尻、植木屋平五郎宅に移る
    ?    町野源之助 謹慎を解かれ小出島郡奉行を命じられる
  2月 1日 伊藤俊輔 妻梅子に近況を知らせる手紙を書く
  2月 2日 備前藩 新政府に神戸事件の責任者を差し出す事を受け入れる
    同    西郷吉之助 大久保一蔵に徳川慶喜の処分を厳しくするようにと手紙を書く
    同    新政府 兵庫鎮台の名称を兵庫裁判所に変更
  2月 3日 新政府 東征の大号令を布告し関東親征の出兵を諸藩に命じる
    同    西郷吉之助 東征大総督府参謀に就任
    同    朝廷 備前藩に服罪を通告
    同    横浜仮病院収容の新選組負傷者 幕府医学所に移る
  2月 4日 松平容保 藩主の座を喜徳に譲る
    同    佐川官兵衛 江戸城和田倉門内会津藩江戸上屋敷に入る
  2月 5日 徳川慶喜 松平春嶽に書簡を送り恭順の態度を表明
  2月 6日 会津藩家老、梶原平馬 米沢に入る
  2月 7日 長州藩世子、毛利定弘 大村益次郎 京に入る
    同    会津藩 佐川官兵衛を中隊司令官に任命
  2月 8日 徳川慶喜 松平容保、定敬の登城を禁じる
  2月 9日 新政府 有栖川宮を東征大総監に任命 三道より江戸進軍が決定
    同    神戸事件の責任者 滝善三郎、兵庫永福寺本堂で切腹、パークス、ロッシュ、サトウ見分
    同    乾退助 東山道参謀に任ぜられる
    同    桑名藩兵 会津藩江戸中屋敷に入る
  2月11日 徳川慶喜 要人を集め会議し恭順を決める
  2月12日 徳川慶喜 上野寛永寺大慈院で謹慎恭順
    同    西郷吉之助 京を出発、駿府に向う
    同    近藤勇 登城し徳川慶喜の警護を命じられる
    同    一橋家有志 尊王恭順有志と称し会合
  2月13日 会津藩公用方 神保修理(28歳)切腹
    同    伊東甲子太郎他、高台寺党の遺体戒光寺墓地に改装される
  2月14日 新政府軍東山道方面軍 京出軍、総指揮官、乾退助、大垣で板垣に改名
  2月15日 堺事件
    同    松平容保 江戸城和田倉門に藩兵を集め突然の東帰を詫び抗戦を伝える
    同    町野源之助 会津藩飛地領越後国魚沼郡小出島陣屋2万7千石の郡奉行として着任
  2月16日 松平容保 少数の藩兵を率い江戸を出る
    同    大久保一蔵 鹿児島の蓑田伝兵衛に徳川慶喜処分について手紙を書く
    同    新政府 白河城を仙台藩に交付
  2月17日 仙台藩に錦旗下る
    同    尊王恭順有志 円応寺で会合(20日にも)
  2月18日 会津藩 江戸常詰の婦女子を帰国させ始める
  2月19日 仏公使ロッシュ 新政府に堺事件に対する要求書を提出
  2月20日 松平容保 会津に入るが鶴ヶ城に入らず城下御薬園で謹慎
    同    長岡藩主、牧野忠訓 江戸を出発し長岡に向う
    同    伊藤俊輔 微士参与職外国事務局判事に任命される
  2月22日 鍋島閑叟 佐賀を出港
  2月23日 浅草本願寺で尊王恭順有志 彰義隊を結成
  2月24日 西郷吉之助 駿府に入る
  2月25日 堺事件 妙国寺で刑執行、土佐藩士11名切腹、残り9名は中止
    同    静寛院宮に朝廷より徳川家の処分は厳しくなると返書が届く
  2月26日 木戸準一郎 朝廷に辞表を奏請するが却下される
    同    朝廷 奥羽鎮撫総督に九条道孝、副総督に沢為量、参謀に醍醐忠敬、下参謀に大山格之助、世良修蔵を任命
  2月27日 松平容保 会津藩士に軍制を改革し徹底抗戦を通告
    同    鍋島閑叟 兵庫入港
  2月28日 近藤勇 沖田総司を見舞う
    同    新選組 甲陽鎮撫を命じられる
  2月29日 兵庫警備の長州藩第四大隊二番中隊 大坂帰陣を命じられる
  2月30日 明治天皇 仏、蘭公使と蘭代理公使を紫宸殿で引見、英公使パークス参内途中、四条縄手で襲われる
    同    大山格之助 奥羽鎮撫使総督府下参謀に任命される
    ?    河井継之助 長岡江戸藩邸を処分し武器購入のため横浜に向う
    ?    江戸在住の諸大名ほとんどが国許に帰国
    ?    海援隊 「和英通韻伊呂波便覧」出版
  3月     山県狂介 奇兵隊主力を率いて京に入る
  3月     町野源之助 小出島領内より郷兵、村兵を採りたてる触れ書を出す
  3月 1日 新政府軍 上諏訪、下諏訪に着陣
    同    赤報隊 捕縛される
    同    新選組主力の甲陽鎮撫隊江戸出発、内藤新宿で豪遊する
    同    鍋島閑叟 入洛
    同    長岡藩主、牧野忠訓 長岡に帰国
    同    会津藩 芝新銭座藩邸内の傷病兵を帰国させ始める
    同    世良修三 奥羽鎮撫使総督府下参謀に任命される
  3月 2日 甲陽鎮撫隊 府中に宿泊
    同    奥羽鎮撫軍 京を出発
    同    長州藩第四大隊二番中隊 奥羽鎮撫使護衛の命を受ける
  3月 3日 河井継之助 会津兵、桑名兵と「カガミノ号」で横浜出港、途中箱館で米売却
    同    近藤勇、土方歳三 佐藤彦五郎宅を訪問し歓待を受ける
    同    相楽総三(29歳) 偽官軍の汚名で下諏訪魁町で処刑される
    同    明治天皇 紫宸殿でパークスに引見
    同    英、仏、蘭国公使 通貨レート話し合い
    同    会津藩 佐川官兵衛他、江戸藩邸詰、諸役の藩士達帰国の途につく
  3月 4日 新政府軍 甲府に入る
    同    甲陽鎮撫隊 笹子峠を越える
    同    長州藩第四大隊二番中隊 大坂に着陣、桂太郎司令として赴任 小隊長粟屋市太郎、飯田千蔵
    同    パークス襲撃の三枝蓊、村田衛太郎梟首
  3月 5日 有栖川宮 駿府城に入る
    同    会津藩家老、西郷頼母 帰国の途につく
    同    板垣退助参謀の新政府軍 甲府城を接収
    同    甲陽鎮撫隊 八王子より駒飼に進み徹夜で軍議
    同    西郷吉之助 京の吉井幸輔に官軍の士気旺盛と手紙を書く
    同    山岡鉄舟 義兄、高橋泥舟の推薦により新政府軍への使者を命じられる
    同    勝海舟 西郷吉之助に外国の介入及び汚名を後世に残すと手紙を書く
    同    山岡鉄舟 勝海舟を訪問
  3月 6日 新政府軍 参謀会議で江戸城進撃を3月15日に決定
    同    土方歳三 援軍を神奈川まで迎えに行く
    同    山岡鉄舟 益満休太郎と大総督府へ向う
    同    輪王寺宮 駿府に入る
    同    勝沼の戦い 甲陽鎮撫隊、八王子に退却解散、江戸に向う
  3月 7日 輪王寺宮 有栖川宮に官軍の箱根越えを控えるよう嘆願
    同    北陸道鎮撫隊先鋒 越後高田に入る
    同    幕府伝習隊、沼間慎次郎以下21名 会津藩に投じるため江戸を出る
  3月 8日 近藤勇 阿佐谷玉野家に潜伏
    同    土方歳三 援軍要請失敗し駒飼に戻る
    同    パークス、アーネストサトウ 横浜に入る
    同    松平定敬 江戸より柏崎向かう
  3月 9日 西郷吉之助 駿府で山岡鉄舟と会見し恭順降伏の条件を示す(8日か?)
    同    永倉新八、原田左之助 離散隊士をまとめる
    同    アーネストサトウ 情勢視察のため江戸に入る
    同    幕府衝鋒隊 信州中之条陣屋に向う途中、梁田で新政府軍斥候隊と交戦し敗れる
    同    下総結城藩 佐幕藩士十数名脱藩し彰義隊と気脈を通じる
  3月10日 奥羽鎮撫隊 大坂出陣 汽船四隻による
    同    近藤勇 和泉橋医学書に入り永倉新八、原田左之助らの訪問を受けるが決別
    同    会津藩 軍制大改革
    同    山岡鉄舟 江戸に戻り条件書を示し仔細を報告
    同    水戸藩 佐幕派諸生党7百名、天狗党に追われ城下を脱出
  3月11日 永倉新八、原田左之助 靖兵隊を組織
    同    西郷吉之助 駿府を出る
    同    静寛院宮の使者上臈藤子 沼津の東海道総督橋本実梁に江戸進撃中止を歎願
  3月12日 佐川官兵衛 会津若松に入る
    同    東海道軍 池上本門寺に到着
    同    パークス 官軍の病院提供の要請を断る
    同    西郷吉之助 勝海舟に明日高輪藩邸で会おうと手紙を書き板垣退助にも勝手に動くなと手紙を書く
    同    新選組 負傷隊士二十数名を会津に先発させる
  3月13日 西郷吉之助 江戸高輪薩摩藩邸に入る
    同    勝海舟 正午に江戸高輪薩摩藩邸の西郷吉之助を訪問し静寛宮を人質にしない事を明言
    同    新選組 先発隊士五兵衛新田の金子健十郎宅に入る
    同    東山道先鋒部隊 板橋に入る
    同    静寛院宮老女玉島 板橋の東山道総督岩倉具定に進撃中止を歎願
    同    毛利敬親 吉川家を末家にする宣旨を賜る
  3月14日 江戸田町薩摩藩邸 西郷吉之助、勝海舟会談 江戸総攻撃中止
    同    板垣退助 西郷吉之助を訪問し総攻撃中止に抗議
    同    川路聖謨(67歳)ピストル自殺
    同    京都御所紫宸殿 「
五箇条の御誓文」を誓う儀式
    同    幕府伝習隊、沼間慎次郎以下21名 会津に入る
    同    近藤勇 新選組隊士と五兵衛新田に入る
  3月15日 西郷吉之助 京に向う
    同    土方歳三 新隊士を連れ近藤勇と合流
    同    北陸道鎮撫隊総督、高倉永祐 越後高田に入る
  3月16日 西郷吉之助 駿府に入る
    同    北陸道鎮撫隊総督、高倉永祐 越後諸藩に勤皇請書の提出を求める
    同    江戸城内の執務所を田安邸に移す
  3月17日 奥羽鎮部隊 奥州に入る
    同    西郷吉之助 会談の結果を有栖川宮に報告し京に向う
  3月18日 新政府軍諸大名 祇園遊興
    同    奥羽鎮撫総督、九条道孝 大山格之助、世良修三、仙台寒風沢港に入る
  3月19日 西郷吉之助 京に入る
  3月20日 西郷吉之助 参内、徳川慶喜助命の勅裁を得る
    同    奥羽鎮部隊 松島に入り観瀾亭を宿舎とする
    同    会津藩士ほぼ全員帰国
  3月     町野源之助に上州より三国峠を越えて賊徒乱入の風聞入る
  3月21日 大坂行幸 京を出発
    同    アーネストサトウ 勝海舟を訪問
  3月22日 西郷吉之助 京を出る
    同    仙台藩主伊達慶邦 但木土佐を従え松島の観瀾亭に九条道孝に拝謁、会津討入を命じられる
    同    町野源之助 三国峠に出陣を前に四日町諏訪神社で祈願祭を行う
  3月23日 「カガミノ号」新潟入港
    同    奥羽鎮撫隊 仙台に入る
    同    幕府伝習隊、沼間慎次郎以下21名 会津藩兵の訓練に当たる
  3月24日 河井継之助 長岡帰藩、上席家老(執政)になる
    同    町野源之助隊 三国峠に向け出陣し三俣宿に入る
  3月25日 西郷吉之助 駿府大総督に復命
    同    町野源之助の勇気隊 萱付原で賊徒を誅戮
  3月26日 勝海舟 「蟠龍丸」で横浜に海軍総督、大原俊美を訪問
  3月27日 勝海舟 横浜英国公使館のパークスを訪問し最悪の場合、徳川慶喜の国外脱出を依頼
    同    会津第二遊撃隊 小千谷に布陣、隊長、井深宅右衛門
  3月28日 西郷吉之助 横浜のパークスを訪問(27日か?)
  3月29日 西郷吉之助 池上本門寺に入る
    同    松平定敬 柏崎勝願寺に入る
  3月30日 梶原平馬 スネルよりライフル780挺購入
    ?    三吉慎蔵 お龍を坂本家に送り届ける
    ?    斎藤一 会津に向う
    ?    横井小楠 士席を回復され新政府の参与になる
  4月     福沢諭吉 「慶応義塾」開設
  4月     陸奥宗光 外国事務局御用掛の辞表を提出するが受理されず会計官権判事になる
  4月 1日 河井継之助 長岡藩士に総登城を命じる
    同    新選組 流山に移転開始、味噌醸造元長岡屋を本陣とし光明院に分宿
    同    「ストンウォール号」横浜入港
  4月 2日 新政府軍東山道総督軍 流山に向う
    同    西郷吉之助 池上本門寺で江戸城受け取りの軍議を開く
    同    総督府 羽後、矢島藩に庄内藩征討を命じる
  4月 3日 新政府軍東山道総督軍 流山に入る 土方歳三、内藤隼人として応対、武装解除の命を受ける
  4月 4日 近藤勇 大久保大和の名を語り東山道総督府副参謀、有馬藤太に投降する
    同    土方歳三 勝海舟訪問後、鴻台(市川)に向う
    同    北越六藩同盟を結ぶが長岡藩は拒否
            北越には、高田15万石、新発田10万石、長岡7万4千石、村上5万1千石、村松3万石、与板2万石、三根山1万5千石
            三日市1万石、黒川1万石、糸魚川1万石、椎谷1万石の11藩がありました
    同    勅使、橋本先鋒総監 江戸城に入り11日を期限とする条件を示す
    同    天璋院に朝廷よりの江戸城退去命令が伝えられる
    同    副総督 江戸に入る
  4月 5日 近藤勇 板橋の東山道総督府本営に送られ高台寺党、加納道之助に見破られ総督府の訊問を受ける
    同    西郷吉之助 大久保一蔵に経過報告と公私混同を避けるため勝海舟に会わずにいると手紙を書く
  4月 6日 大村益次郎 大坂城内で観兵式
    同    西郷吉之助 横浜でパークスと会見
    同    総督府 秋田藩に庄内藩追討を津軽藩にその応援を命じる
    同    徳川美賀子 小石川水戸藩邸に移る
  4月 8日 仙台藩 会津に向け出陣
    同    近藤勇 取り調べ
  4月     近藤勇 板橋宿平尾脇本陣豊田家に幽閉される
  4月 9日 勝海舟、大久保一翁 池上本門寺で陸海軍より預かった嘆願書を提出し城受け渡しの打ち合わせをする
    同    静寛院宮 徳川家茂生母実成院と共に清水徳川家の屋敷に移る
  4月10日 勝海舟 池上本門寺で打ち合わせ後、寛永寺の徳川慶喜訪問し刀を賜る
    同    土方歳三 今戸に入る
    同    会津藩、庄内藩 攻守同盟を結ぶ
    同    総督府 庄内討伐のため沢為量副総督が出陣し天童藩を本陣とする事を決する
    同    天璋院 徳川家定生母本寿院と共に一橋邸に移る
  4月11日 
江戸城 開城
    同    幕府歩兵頭、大鳥圭介 兵と共に江戸脱走、市川に向う
    同    米沢藩主、上杉斉憲 白石城に入り仙台藩主と対面
    同    徳川慶喜 寛永寺を出、水戸に向う
    同    土方歳三 旧幕府陸軍と鴻台で合流
    同    永倉新八、原田左之助 靖鋭隊と江戸出発
    ?    天璋院 従三位を剥奪される
  4月12日 海援隊 長岡謙吉を新隊長に任命
    同    土方歳三 軍議で参謀に就任し宇都宮に向かい進軍
    同    榎本海軍脱走 館山に集結
    ?    会津藩 桑名藩と宇都宮に向かい進軍
  4月13日 仙台藩主、伊達慶那 会津征討の本陣を白石城に進める
  4月14日 河井継之助 長岡城下中島で藩兵の大調練を行う
    同    副総督、沢為量 大山格之助、桂太郎率いる薩長兵と総督府本陣を出陣
    同    新政府 援軍の出兵を諸藩に命令
  4月15日 徳川慶喜 水戸弘道館に入る
    同    総督府 田安慶頼に軍艦の引渡しを速やかに行うように督促状を出す
  4月16日 勝海舟 館山の榎本武揚を説得
    同    土方歳三 下妻陣屋を屈服させ下館に向う
    同    北陸進攻の新政府軍 桑名藩柏崎拠点を攻撃
  4月17日 河井継之助 長岡城で藩士に武装中立を表明
    同    上総請西藩主、林昌之助 新政府軍との抗戦を決意する
    同    榎本海軍 品川沖にあらわる
    同    土方歳三 下館藩に武器、食料を供出させる
    同    副総督、沢為量 山形城を経て上ノ山城に入る
  4月18日 長岡謙吉 海軍創設案を建白
    同    土方歳三 蓼沼に布陣
  4月     山県狂介 奇兵隊を率い江戸に入る
  4月19日 土方歳三 旧幕府陸軍と宇都宮城を攻撃、味方逃走兵士を斬殺し士気を高め宇都宮城を奪取
    同    大鳥圭介 鹿沼より日光に向う
    同    靖鋭隊 鹿沼に入る
    同    上ノ山藩領、菜女ケ原で薩摩、長州、山形、上ノ山、四藩合同の操練を行う
    同    庄内藩 藩の東境に兵力を配備
    同    大坂行在所でキリシタン問題の御前会議
    同    伊藤俊輔 神戸開港場外国事務一切を委任するとの辞令を受ける
  4月20日 品川沖、榎本艦隊に遊撃隊合流乗船
    同    副総督、沢為量 天童の本陣に入る
    同    土方歳三 秋月登之助(会津藩士江上太郎)と連名で笠間藩重役に宇都宮出向を強要する書簡を書く
  4月21日 榎本艦隊 館山に入港し「開陽丸」で軍議
  4月22日 勝海舟 館山の榎本武揚を訪ね恭順を示すため新政府軍に軍艦の引渡しを要望 遊撃隊これに反発
    同    新政府軍 宇都宮城攻撃
  4月23日 新政府軍 宇都宮城を回復
    同    土方歳三 左足指を負傷し今市に宿陣
    同    山県狂介、黒田了介 北陸道鎮撫総督府参謀に任命される
    同    奥羽鎮撫福総監、沢為量 参謀、大山格之助 天童は狭く防御に難点があるため新庄藩に討伐本部を置く
  4月24日 旧幕府軍 宇都宮より日光方面に敗走
    同    土方歳三 治療のため会津に向う
    同    秋田藩 庄内藩領に進攻するが抵抗に会い敗走、清川口の戦い
  4月25日 近藤勇(35歳)板橋平尾一里塚で斬首され晒される
    同    新政府軍庄内追討軍 清川口の庄内陣を攻撃
  4月26日 七ヶ宿 会津、米沢、仙台 三藩会議 連署で届書を総督府に提出
    同    土方歳三 会津田嶋陣屋に入る
    同    日光東照宮の御神体動座
  4月27日 大村益次郎 軍防事務局判事に任命され大総督府を補佐
    同    榎本艦隊輸送船「行速丸」 邀撃隊を木更津に送る
  4月28日 近藤勇の遺骸、親族が掘り出し三鷹竜源寺に埋葬 (警備厳重で近藤の親族は捕縛の対象になっているために不可能か?)
    同    榎本艦隊の内四隻 新政府軍引きに渡される
    同    遊撃隊、人見勝太郎、伊庭八郎 林昌之助を訪問、行動を共にする約束を得る
  4月29日 大鳥圭介 日光より会津に退く
    同    土方歳三 会津城下七日町清水屋に入り松本良順の治療を受ける
    同    西郷吉之助、山県狂介 大坂に向う
    同    梶原平馬 仙台、米沢の藩境で両藩の重臣と会談 七ケ宿街道関宿の会談
    ?    豊臣秀吉の神号 復活
    ?    松平容保 近藤勇に法名をつけ天寧寺に墓を作る
    ?    斉藤一(山口次郎) 土方歳三治癒までの間、新選組隊長になる
閏 4月 1日 英国公使パークス 大坂東本願寺で信任状を明治天皇に提出
    同    大村益次郎 大坂を出港
    同    梶原平馬 会津若松に帰り嘆願書の作成を開始
    ?    西郷頼母、梶原平馬、一ノ瀬要人 嘆願書を連署で提出
閏 4月 2日 大総督府 勝海舟に江戸鎮撫取締を委任
閏 4月 3日 三条実美、岩倉具視、パークス 大坂東本願寺で新潟開港延期とキリスト教禁制の件で論議
    同    遊撃隊 請西藩主、藩士を加え進軍開始
    同    桑名藩家老、吉村権左衛門暗殺される(恭順を主張していたため松平定敬の秘命か?)
閏 4月 4日 大村益次郎 江戸到着
    同    西郷吉之助、山県狂介 大坂に入る
    同    山県狂介 木戸準一郎 訪問
    同    勝海舟 大総督府に徳川慶喜を江戸近郊に移せと建白書を提出
    同    米沢藩、仙台藩 東北諸藩に廻状を回す
    同    仙台藩相、但木土佐 米沢藩相、竹保美作 連署で両藩の将校に休戦を命じた事を総督府に報告
    同    天童城炎上落城 天童藩主、織田信敏と家族、仙台藩領に落ち延びる
閏 4月 5日 斉藤一(山口次郎) 松平容保に拝謁、軍資金を賜る
    同    日光東照宮の御神体 会津鶴ヶ城東照宮に安置される
    同    新政府 庄内藩主、酒井忠篤の官位を剥奪、家臣を含め一切の入京を禁じる
    同    勝海舟 西の丸大総督府に嘆願に行く
    同    西郷吉之助 京に入る
閏 4月 6日 小栗上野介忠順(42歳) 斬首
    同    西郷吉之助 大久保一蔵を訪問後、大久保と岩倉具視邸に行く
    同    西郷吉之助 木戸準一郎に 上京を促す手紙を書く
閏 4月 8日 明治天皇 大坂より帰京
    同    三条実美邸で参与集まり田安家の処遇について会議
    同    近藤勇の首 三条河原に晒される
    同    遊撃隊 館山藩領に入り兵糧と渡海船を得る
    同    木戸準一郎 伊藤俊輔に最近の働きぶりを褒める手紙を書く
閏 4月 9日 新政府全体評定 彰義隊討伐、徳川家の処分を評議
閏 4月10日 新政府太政官で評議 三条実美の下向決まる
    同    遊撃隊 館山より乗船
    同    木戸準一郎 大坂より乗船山口に向う
    同    町野源之助隊 三国峠に向け出陣
閏 4月11日 米沢藩主、上杉斉慶 藩兵1700名を率い白石城に入る
    同    三条実美、西郷吉之助 京を出発
    同    白石列藩会議 東北27藩による
    同    遊撃隊 真鶴入港
    同    町野源之助隊 三国峠に入る
閏 4月12日 仙台、米沢の両藩主 奥羽鎮撫総督、九条道孝に会津処分の嘆願書を提出
    同    遊撃隊 小田原城下に入り林昌之助、小田原藩家老と交渉
閏 4月13日 大総督府 戦傷者治療のため英国医官ウィルスを雇う
    同    林昌之助 再び小田原藩家老と交渉するが同盟を拒否される
    同    柏崎勝願寺で桑名藩戦没者供養
    同    町野源之助隊 三国峠上州側大般若塚に陣地構築を開始
閏 4月14日 遊撃隊 韮山に向う
    同    木戸準一郎 山口に入り藩主に拝謁
閏 4月15日 九条総督 嘆願書却下
    同    遊撃隊 韮山代官所に交渉
    同    柏崎桑名藩 藩軍の編成を定める
閏 4月16日 遊撃隊 韮山代官所より僅かな軍資金を得る
    同    松平定敬 柏崎より加茂へ向う
閏 4月17日 三条実美、西郷吉之助 大坂より薩摩汽船「豊瑞丸」に乗船し江戸に向う
    同    新政府 浦上キリシタン弾圧
    同    遊撃隊 新しい掟を定める
    同    鎮撫総督 仙台、米沢両藩主に会津征討を急ぐ事を命じる
    同    但木土佐 脱走兵が17、8名いる事を総督府に報告
閏 4月18日 山岡鉄太郎 田安慶頼の使者として御殿場で人見勝太郎、伊庭八郎に上書を渡し同行を命じるが拒否される
    同    世良修三 白河を出発
    同    松平定敬 加茂に入る
閏 4月19日 越後口新政府軍 高田に集結を完了 黒田了介、山県狂介、岩村清一郎 高田で会談
         長岡城攻略を作戦の目標に小出島と柏崎(会津、桑名の飛地k領)の同時攻略の行動を25日に起こすことを決する
    同    遊撃隊 甲州黒駒の宿に入り組織再編成
    同    世良修三 福島金沢屋に入り歓待を受ける
    同    佐川官兵衛 朱雀四番士中隊を率い鶴ヶ城より越後口に向かう
    同    勝海舟 静寛院宮に徳川慶喜よび返しについて嘆願書提出
    同    町野源之助 陣中隊規違反の兵士を斬に処す
    同    吉川経幹 駿河守に任じ従五位下に叙し諸侯に列する宣旨を賜る
閏 4月20日 世良修蔵(34歳)福島金沢屋で捕縛、斬首される
    同    山県狂介 越後高田城に入る 北陸道軍集結
    同    会津藩 白河城奪取
    同    西郷頼母 会津白河小峰城に入る
    同    伊地知正治率いる東山先鋒総督府軍 宇都宮より大田原に進出
閏 4月21日 政体書を発令し官制の改正 議政、行政、神祗、会計、軍務、外国、刑法の七官を太政官に置き立法、行政、司法の三権を分立
    同    北陸道軍 高田を進発
    同    三国峠上州側大般若塚で小競り合い
    同    木戸準一郎 参与に就任
    同    世良修三の首 白石本営に送られる
    同    薩摩藩士、鮫島金兵衛 仙台藩士に岩手山街道で殺害される
閏 4月22日 奥羽二十五藩の代表 白石で五か条の同盟書に調印
    同    斉藤一(山口次郎)指揮の新選組 白河城下に着陣
    同    長州藩士、松野儀助 殺害される
    同    長州藩士、中村小次郎 殺害される
    同    上州巡察使先鋒隊 須川から永井に進出し兵を二分
閏 4月23日 榎本武揚 箱館偵察の件で勝海舟訪問
    同    白石城に奥羽列藩25名の重臣集合し建白書の提出と仙台藩を盟主にする事を決する
    同    三条実美、西郷吉之助 江戸に入る
閏 4月24日 三条実美 関東監査役として大村益次郎を伴い江戸城に入る
    同    東山先鋒総督府軍 白河南方四里野洲芦野に進む
    同    三国峠の戦い 新政府軍と会津軍の最初の戦い 町野源之助弟久吉(16歳)戦死
         上州巡察使先鋒隊 三国峠奪取に成功し休息 町野源之助 兵をまとめ六日町付近まで撤退
    同    佐川官兵衛隊 蒲原郡水原の陣屋に入る
閏 4月25日 白河城攻防戦 白河口の戦い 東山先鋒総督府軍芦野まで引く
    同    白河城大手門外に東山道軍戦死者の首13が梟される
    同    勝海舟 大総督府に建言書提出
    同    三条実美 岩倉具視に徳川家処置について手紙を書く
    同    上州巡察使 三保宿に入る
    同    町野源之助 小出島に帰還、夕刻小千谷からの援軍を迎え小出島防護策を検討
閏 4月26日 広沢安任 西軍に逮捕される
    同    雪峠 会津兵と松代兵の戦い
    同    上州巡察使 六日町に入り北陸道鎮撫総督軍の一部と合流し協議
    同    河井継之助 長岡藩軍事総督になる
    同    木戸準一郎 萩に入る
    同    町野源之助 四日町に出陣
閏 4月27日 北陸道軍 桑名兵と鯨波で衝突大敗
    同    西郷頼母、横山主税 朱雀一番隊と白河城に入城
    同    土佐藩 海援隊に解散を通告
    同    田安慶頼の使者、石坂周造 閏4月18日と同じ命令を伝える
    同    三国峠で敗退の会津軍 小千谷小出島で新政府軍を迎え撃つ 小出島の戦い
         町野源之助隊 血路を開き六十里越えを目指す
    同    新政府軍 小千谷に本営を置く
閏 4月28日 岩村清一郎 小千谷を占領、榎峠を押さえる
    同    広沢安任 旧会津藩邸の糾問所の獄に入る
    同    肥前佐賀藩士、前山清一郎 佐賀、小倉藩兵430名を率い英国汽船で仙台東名浜に入港
    同    勝海舟 西郷吉之助に江戸鎮撫のため徳川慶喜を復帰させ没収した知行地を返還せよと手紙を書く
    同    佐川官兵衛 長岡藩本陣光福寺に河井継之助を訪問
    同    上州巡察使 六日町より沼田に兵を返すため出発
閏 4月29日 三条実美 田安慶頼に朝命を下す 田安亀之助(6歳 徳川家達)の徳川宗家相続を許可
    ?    原田左之助 靖兵隊を抜け彰義隊に投じる
    ?    前島密 大久保一蔵に江戸遷都案の投書を出す
  5月 1日 東山先鋒総督府軍、白河口を激戦の上奪回 白河城攻略、列藩同盟軍被害甚大 会津藩若年寄横山主税戦死
    同    白石城で奥羽二十五藩 会津藩救済を目的に奥羽列藩軍事同盟を結ぶ
    同    遊撃隊 甲府に進軍を開始するが沼津に変更する
    同    沢為量副総督 秋田藩領に入る
    同    松平定敬 加茂より津川に向う
    同    新政府 大坂に舎密局を創設
    同    上州巡察使 沼田に帰陣
  5月 2日 慈眠寺 小千谷談判
    同    佐川官兵衛隊 片貝まで進出し新政府軍と交戦敗走
    同    大鳥圭介 大田原城攻撃に失敗
    同    松平定敬 津川に入る
    同    前山清一郎 仙台に入り九条総督に謁見
  5月 3日 新政府軍、榎峠占領
    同    河井継之助 開戦を決意
    同    仙台松ノ井邸 奥羽25藩 太政官への嘆願書の作成と奥羽攻守同盟の盟約書調印
    同    沢為量副総督 湯沢に入る
  5月 4日 長岡藩 奥羽列藩同盟参加
    同    彰義隊 徹底抗戦を決定
    同    佐川官兵衛 光福寺の河井継之助を訪問し同盟を確認
  5月 5日 佐賀藩士、大隈八太郎 江戸に入る
    同    遊撃隊 沼津霊山寺に入り沼津藩の丁重なもてなしを受ける
    同    木戸準一郎 山口で藩主親子に拝謁
  5月 6日 大鳥圭介軍 今市攻防戦大敗
    同    町野源之助 摂田村長岡軍本営光福寺で河井継之助、佐川官兵衛に会う
    同    伊藤俊輔 従五位下に任じられる
  5月 7日 薩摩藩士、佐賀藩士 彰義隊に殺害される
  5月 9日 沢為量副総督 秋田城下、藩校命徳館に入る
  5月10日 長岡軍 榎峠奪取
    同    山県狂介、時山直八 小千谷に入る
    同    西郷吉之助 大久保一蔵と吉井幸輔に江戸、越後、奥羽の情況を知らせ兵の増援と医師の派遣を依頼する手紙を書く
    同    明治天皇 幕末非命者慰霊の太政官布告を出す
  5月     町野源之助 会津若松に入り登城し梶原平馬に小出島敗戦を報告
  5月11日 山県狂介 信濃川渡河を命じる
    同    木戸準一郎 長崎に入る
  5月12日 山県狂介、時山直八 信濃川を渡り榎峠、朝日山を視察
  5月13日 朝日山の戦闘 濃霧中新政府軍敗走、司令官、時山直八(31歳)戦死
    同    岩倉具視 三条実美に手紙を書く
    同    大村益次郎 大総督府の名義で彰義隊討伐を宣言
  5月14日 九条道孝総督 醍醐忠敬参謀と養賢堂で佐賀、小倉両藩兵の洋式訓練を査閲、仙台藩家老も従う
    同    勝海舟 公現法親王に書面を提出
    同    大村益次郎 徳川家達に東叡山の徳川家祖廟の位牌、宝物を他に移すように忠告
    同    大村益次郎 彰義隊討伐の陣割を諸藩に通達
  5月15日 彰義隊討伐 原田左之助重傷
    同    寛永寺門主、輪王寺宮公現法親王 榎本艦隊に身を投じる
    同    大鳥圭介 会津若松に入る
    同    長州藩士、三好軍太郎指揮の新政府軍、出雲峠に入る
    同    新製紙幣 拾両、五両、壱両、壱分、壱朱発行
    同    仙台、但木土佐 松ノ井邸で同盟諸藩の家老をあつめ会議
  5月16日 北陸道軍 長岡城下を砲撃
  5月17日 原田左之助(27歳)死亡
    同    遊撃隊に上野戦争の報入る
  5月18日 福地桜痴 自宅で逮捕
    同    三好軍太郎の新政府軍 信濃川を渡る
    同    九条道孝総督、醍醐忠敬参謀一行 仙台を離れる
    同    三条実美 岩倉具視に彰義隊討伐と徳川家処分について手紙を書く
  5月19日 新政府軍 長岡に乱入、長岡城落城、長岡軍、藩主親子を会津に送り栃尾に退く
    同    人見勝太郎 遊撃隊、一軍三軍を率い箱根に向う 途上米沢藩士、小島龍三郎と会い誓紙を交わす
    同    遊撃隊 箱根関所守備の小田原藩兵と開戦するが小田原藩より同盟の申し出があり関所内で歓待を受ける
  5月20日 遊撃隊 小田原藩主、大久保忠礼の出迎えを受け小田原城に入る
    同    西郷吉之助 大久保一蔵と吉井幸輔に彰義隊討伐の様子を伝える手紙を書く
  5月21日 七曲の戦い
    同    同盟軍 栃堀で諸藩幹部による軍議を行い加茂を本営と決める
  5月22日 大村益次郎に有栖川宮より脇差が送られる
  5月23日 伊藤俊輔 初代兵庫県知事に任命
  5月24日 田安亀之助 徳川宗家を相続、駿府府中で70万石を賜る
    同    新政府軍問罪使、穂波経度 小田原藩に遊撃隊討伐を命じる
    同    小田原藩主、大久保忠礼 菩提寺に入り自ら謹慎生活に入る
    同    越後方面の同盟軍 各地で敗走
  5月25日 人見勝太郎 品川沖の「開陽丸」榎本武揚を訪問し援護を要請、輪王寺宮公現法親王に拝謁
    同    伊庭八郎 小田原藩家老、加藤直衛に啖呵を切り決別後、山崎に陣地を築き東海道を閉鎖
  5月26日 会津、仙台、二本松軍 白河城総攻撃
    同    輪王寺宮公現法親王 榎本軍「長鯨丸」で江戸湾出港
    同    遊撃隊 小田原藩兵と開戦し後退させるが長州藩兵の反撃に白兵戦を挑むが兵数の違いにより敗走
    同    伊庭八郎 箱根湯本三枚橋で左手首に重傷、切断手術を受ける
    同    人見勝太郎 榎本艦隊を離れ箱根に向うため真鶴港より間道を進む
  5月27日 遊撃隊 再起を図るため熱海に向う
    同    人見勝太郎 箱根に入るが、直ぐに熱海に向かい遊撃隊と合流後、漁船を雇い館山港に向う
    同    請西藩林家 領地没収、家名断絶
  5月28日 浦上天主教処分に関する各国領事の講義に対し新政府、国法により処断の旨を回答
    同    遊撃隊 館山で「開陽丸」に収容される
    同    伊庭八郎 榎本艦隊「旭日丸」で左肘下切断手術を麻酔無しで受ける
    同    輪王寺宮公現法親王 「長鯨丸」で平潟入港
    同    九条道孝総督、醍醐忠敬参謀一行 花巻に入る
  5月29日 輪王寺宮公現法親王 平に入り一泊
    同    河井継之助 加茂に長岡諸隊を集め長岡城奪回の決意を語る
  5月30日 沖田総司(25歳)死亡 専称寺に葬られる
    同    長岡軍 長岡奪回に向け行動を開始
  6月 1日 榎本艦隊「長崎丸」遊撃隊を乗せ出港
    同    佐川官兵衛隊 長岡軍に合流
  6月 2日 長岡軍 今町の新政府軍を撃破
  6月 3日 遊撃隊 小名浜で下船、仙台藩士の案内により湯本温泉で休息
    同    九条道孝総督、醍醐忠敬参謀一行 盛岡に入る
    同    木戸準一郎 京に入る
  6月 4日 輪王寺宮公現法親王 中山峠を越え壺下に入り板倉勝静、小笠原長行の奉迎を受ける
  6月 5日 長岡謙吉 三河県知事に任命
    同    輪王寺宮公現法親王 猪苗代に入る
  6月 6日 輪王寺宮公現法親王 会津若松城に入り松平容保を謁見、金の間を御座所とする
  6月 7日 長岡軍 中之島村、大口村急襲
  6月 8日 佐川官兵衛隊 見附に進出
  6月 9日 木戸準一郎 北越に派遣してほしいと嘆願書を出すが拒否される
    同    吉川経幹 城主格となすべきとの奉書を賜る
  6月11日 北越加茂の陣営で小島龍三郎「討薩の激」を起草
  6月12日 小島龍三郎 「討薩の激」を河井継之助、佐川官兵衛に示し奥羽越の正式声明文として採択される
  6月14日 長岡、会津軍 大黒の新政府軍を奇襲
    同    佐川官兵衛 福井村で負傷し見附に戻る
  6月15日 土方歳三 覚王院義観と面談
  6月16日 輪王寺宮公現法親王 列藩同盟、盟主となる
    同    新政府軍「富士山丸」他二隻で平潟に入港し上陸
    同    大総督府 太平八郎に白河城包囲攻撃時の間道道案内の功に感状とピストルを送る
  6月17日 新政府軍 平潟で遊撃隊と開戦敗走させる
    同    小島龍三郎 米沢に帰る
    同    輪王寺宮公現法親王 鶴ヶ城東照宮で日光東照宮の御神体に拝礼
  6月18日 輪王寺宮公現法親王 会津を出、仙台に向う
    同    磐城平城で林昌之助、人見勝太郎 安藤信正と作戦会議
    同    小島龍三郎 会津に向う
  6月19日 千葉重太郎 歩兵頭に任命される
    同    新政府 「大阪兵庫外国人居留地約定書」を設定
  6月20日 輪王寺宮公現法親王 米沢に入る
    同    木戸準一郎 岩倉具視に北越に関する意見書を提出
  6月21日 大久保一蔵 江戸に入る
    同    仙台藩主、伊達慶那 領内に輪王寺宮公現法親王を迎える布告を出す
  6月22日 長岡、会津、米沢軍 福島村の新政府軍急襲
  6月23日 醍醐忠敬参謀 秋田領内に入る
  6月24日 新政府軍 棚倉城を陥落、棚倉藩降伏
    同    九条道孝総督 秋田領内に入る
  6月25日 木戸準一郎、大木喬任 江戸に入る
  6月27日 新政府 天皇東下問題議論(28日、29日も)
    同    輪王寺宮公現法親王 米沢を出、白石に向う
    同    嵯峨根良吉(31歳)病没
  6月28日 人見勝太郎 榎本武揚の手紙を受ける 遊撃隊仙台に向う
    同    千葉重太郎 奥羽征討の出兵命令を受ける
    同    輪王寺宮公現法親王 白石に入り仙台藩主親子の奉迎を受ける
    同    新政府軍 泉陣屋を落とす
    同    新政府軍 湯谷屋陣屋を落とす
  6月29日 少年隊を含む二本松兵170名 三春牽制のため出陣
  6月     山県狂介 参謀辞任を申し出る
  6月     町野源之助 大斥候を命じられ越後口に向かう
  6月     山本覚馬 新政府に建白書「管見」を提出
  6月     森有礼 帰国
  7月     松平定敬 津川より会津城下に入り松平容保と再会し興徳寺に滞在
  7月     町野源之助 佐川官兵衛隊に合流
  7月 1日 九条道孝、醍醐忠敬参謀 秋田城下、藩校明徳院に入る
    同    土方歳三 全快
    同    飯野藩士隊長、森要蔵白河方面で討死
    同    奥羽同盟三卿奉還の仙台藩使者 秋田城下に入る
  7月 2日 輪王寺宮公現法親王 仙台に入り新築された眺海山仙岳院を御座所とし新政府軍追討の令旨を出す
    同    九条道孝総督 総督府を開き庄内討伐軍務総裁府を設ける
    同    西郷頼母 罷免される
  7月 3日 秋田藩砲術所自称勤皇派志士集会し三卿奉還使者殺害を決定
  7月 4日 秋田藩主、佐竹義尭 総督府に入り庄内征討の先鋒を願い出る
    同    秋田藩砲術所自称勤皇派志士 使者6名殺害5名捕縛 秋田藩列藩同盟脱退
  7月 5日 輪王寺宮公現法親王 天下泰平の祈祷を9日まで行う
    同    秋田藩 殺害使者6名の首を晒す
  7月 6日 土方歳三 戦線に復帰し新選組と合流し福良に出張
    同    近藤芳助 兄近藤隼雄に土方歳三戦線復帰を知らせる手紙を書く
  7月 7日 奥羽越列藩同盟の重臣 諸外国の領事館に正当性を主張し交易を要望する文書に練署
  7月 9日 仙台藩主、伊達慶那親子 輪王寺宮公現法親王に拝謁をし御礼を言上
    同    天璋院 輪王寺宮公現法親王と仙台藩主、伊達慶那に薩長を追討し徳川の再興を願う手紙を書く
  7月10日 輪王寺宮公現法親王 仙台城に入り「日光宮御令旨を下す」
  7月12日 輪王寺宮公現法親王 仙岳院を出白石に出陣、但木土佐先陣を勤める
    同    人見勝太郎 輪王寺宮公現法親王に謁見
  7月13日 新政府軍 平を攻略 磐木平藩降伏
    同    輪王寺宮公現法親王 白石城に入る 板倉勝静、小笠原長行奉迎
    同    彰義隊指導者 天野八郎逮捕
  7月15日 大坂を開港
  7月16日 仙台藩 遊撃隊に使者を送り仙台入りを求めるが遊撃隊拒否する
    同    仙台藩、二本松藩、三春藩、会津藩、棚倉藩の同盟軍 棚倉城回復のため攻撃を開始するが三春藩の離反により失敗
  7月17日 
江戸を東京に改名
    同    薩摩、中原猶介 陸路、柏崎に入る
    同    同盟軍栃尾で軍議 河井継之助、長岡城回復の奇策を出し本営を見附に進める
  7月19日 徳川慶喜 旧幕府艦「蟠龍丸」に乗船
    同    松平容保 遊撃隊に使者を送る
  7月20日 人見勝太郎 会津鶴ヶ城で松平容保に拝謁
  7月     河井継之助 佐川官兵衛と町野源之助を連れ八丁沖を検分するため福井村に行く
  7月21日 新政府軍 越後方面隊、増援軍集結
  7月23日 徳川慶喜 「蟠龍丸」で清水港入港、駿府宝台院に入る
    同    林昌之助 会津鶴ヶ城で松平容保に拝謁
    同    木戸準一郎 長州藩主、毛利敬親に版籍奉還決意の手紙を書く
    ?    越後、新発田藩 新政府軍に寝返る
  7月24日 長岡軍夜襲八町沖渡河部隊612名 栃尾を進発
    同    会津鶴ヶ城で軍議 大鳥圭介、林昌之助参加
    同    守山藩降伏
  7月25日 八町沖渡河戦 長岡軍、長岡城奪還、新政府軍猛反撃、河井継之助左足着弾重傷
    同    桑名藩、立見鑑三郎隊 山県狂介の宿舎を襲う
    同    薩摩、中原猶介 重傷、後死亡
    同    薩長軍海上部隊 新発田領太夫浜沖合に出現
    同    新発田藩 新政府軍を新潟松ヶ崎に上陸させる
    同    森有礼 外国官権判事に任命される
  7月26日 会津、米沢藩兵 長岡城入城
    同    三春藩 新政府軍を迎え入れる 板垣退助に秘密誓約書を提出
    同    佐川官兵衛、町野源之助 長岡城の河井継之助を見舞う
    同    河井継之助 長岡軍野戦病院の城下東部昌福寺に移される
    同    二本松少年隊に出陣の命下る
  7月     佐川官兵衛、町野源之助 三条に北進
  7月27日 三春藩 二本松藩攻撃の先鋒になる
    同    奥州街道 本宮および糠沢の戦闘で二本松兵大打撃
  7月28日 新政府軍 長岡城猛攻撃
    同    薩摩、吉井幸輔 東京の大村益次郎に新潟上陸を伝える手紙を書く
    同    白河の会津兵退散
    同    相馬藩、中村藩 新政府軍に寝返る
  7月29日 新政府軍 長岡占領 長岡軍退却会津に向う
    同    二本松城炎上落城 丹羽長秀、米沢に落ちる
    同    新選組 町守屋より郡山の進出を計るが断念
    同    新政府軍 沼垂(ぬったり)より進軍、新潟を平定 米沢藩重臣、色部長門戦死
  8月 1日 松平容保 野沢本陣に入る
    同    人見勝太郎 相馬中村に向う
    同    輪王寺宮公現法親王 仙台藩主に書状を発し出陣を促す
    同    新選組 町守屋より湖南に移る
  8月 2日 三根山藩1万1千石 降伏
    同    長岡軍 八十里越え
  8月     会津桑名長岡の諸隊、水戸脱走諸生党、衝鋒隊 会津領蒲原郡小松村に兵を退く
  8月 4日 会津藩 義勇兵制度を発令
    同    村松藩 降伏
    同    板垣退助 二本松より白河に入る
    同    伊藤梅子 次女、生子出産
  8月     佐川官兵衛 会津若松への引き揚げ命令を受ける
  8月 5日 林昌之助 会津より仙台に向う
    同    板垣退助 白河で伊地知正治、池上四郎などと会津攻略の軍議を行う
    同    長岡軍 只見村に入る
  8月 6日 相馬藩 降伏
    同    仙台藩主 仙台を出、白石に入り輪王寺宮公現法親王に拝謁
  8月 9日 佐川官兵衛 小松村より会津若松に向かう
    同    南部藩 秋田藩領内に進攻
  8月11日 河井継之助 会津塩沢村の矢沢家に入る
    同    佐川官兵衛 野沢本陣で松平容保に拝謁し 千石を加増され家老になる
    同    仙台藩主 仙台に帰る
  8月12日 長岡軍 会津塩沢村に入る
    同    小松村の会津諸隊 長州主体の新政府軍と抗戦後全軍撤退
    同    仙台藩主 士気の弛緩、兵卒の逃亡を防ぐため軍令を発する
  8月13日 桑名隊 会津城下に入る
  8月14日 松平容保 会津若松に戻る 佐川官兵衛同行
    同    仙台藩参政、三次監物 自刃
  8月15日 土佐藩密使、沢本盛弥 米沢に潜行
    同    会津諸隊 津川に入り胸壁を固める
  8月16日 河井継之助(42歳)死亡
    同    町野源之助隊 阿賀野川越しに新政府軍と砲戦し壊走させる
  8月17日 仏砲兵大尉ブリュネ 榎本艦隊に投じる
    同    町野源之助隊 五十島に進出し新政府軍を砲撃するも誤報により谷沢の本営まで撤退する
    同    一瀬要人 町野隊に誤報を伝えた軍事奉行添役田中八郎兵衛を罷免し柴太一郎を後任にする
    同    新選組隊士、松本喜次郎(23歳)三代で死亡、正福寺に埋葬される
  8月18日 林昌之助 白石に向う
    同    新選組 猪苗代城下に移る
    同    土佐藩士、沢本盛弥 米沢藩軍監、杉山盛之進に勧降書を提出
  8月19日 榎本武揚 旧幕府艦隊「開陽丸」「回天丸」「蟠龍丸」「千代田形丸」「咸臨丸」「長鯨丸」「神速丸」「美加保丸」「旭日丸」を率い
         品川沖より脱走、北上を開始
    同    板垣退助 母成峠からの進撃に賛成する
    同    林昌之助 輪王寺宮公現法親王に謁見
    同    土方歳三 母成峠に布陣
    同    会津諸隊 阿賀野川周辺に散開
  8月20日 新政府軍 各藩に進撃開始を命令、2600名 二本松を進発
  8月21日 母成峠の戦い 大鳥圭介隊、土方歳三隊敗走
    同    土方歳三 湖南方面守備の会津兵に援軍を求める手紙を書く
    同    越後口新政府軍付属芸州藩、寺元栄之助 米沢藩に帰順を勧告する使者を送る
    同    榎本艦隊を暴風雨が襲い四散
  8月22日 早朝、会津鶴ヶ城に母成峠の敗報入る
    同    新政府軍 猪苗代城下に進攻を開始
    同    土方歳三 滝沢峠を防戦するが敗走
    同    松平容保 滝沢村の本陣に出陣
    同    十六橋 新政府軍が占領
    同    会津首脳部 西郷頼母、田中土佐、神保内蔵助、萱野権兵衛、梶原平馬、佐川官兵衛ら登城し防衛策を決める
    同    南部藩 大館城を攻略
    同    大鳥圭介 秋元原で会津重臣達と再会
  8月23日 新政府軍 会津若松城下に侵攻 会津藩籠城態勢に入る
    同    松平定敬 松平容保の命令により米沢に向う
    同    鶴ヶ城東照宮の御神体動座
    同    白虎隊 19名、飯盛山で自刃(飯沼貞吉、手当を受け蘇生)
    同    会津藩家老 田中土佐、神保内蔵助刺し違える 城下武士家族50家230名、覚悟の自決 入城の老幼婦女子600名
    同    新選組 米沢街道塩川に退却宿陣
    同    会津藩校、日進館 新政府軍の拠点となることを恐れ焼かれる
    同    各所散開中の会津部隊 鶴ヶ城入城を目指す
    同    土方歳三 大塩村で大鳥圭介、松平定敬に会う
    同    大山弥助 右股を撃たれ後方に退く
    同    桑名三隊 塩川村に入る
  8月24日 会津城下武家屋敷放火炎上
    同    林昌之助 米沢城に入り軍議に参加
    同    榎本艦隊「長鯨丸」「千代田形丸」仙台領寒風沢入港
    同    谷沢会津諸隊本営に新政府軍城下侵攻のため全軍に会津若松に戻れとの通達が届き行軍を開始
  8月25日 婦女子隊、中野竹子 涙橋で戦死
    同    大庭恭平隊 入城
    同    会津正規軍 内藤介右衛門隊入城
    同    新政府軍 鶴ヶ城大手口を佐賀砲隊アームストロング砲で砲撃
    同    会津諸隊 下野尻に入る
    同    土方歳三 米沢に入る
  8月26日 新政府軍 鶴ヶ城東南、小田山を占領、アームストロング砲を設置し鶴ヶ城天守閣の砲撃を開始
    同    会津軍 小田山回復に出軍するが失敗
    同    会津正規軍 山川大蔵隊、彼岸獅子を吹奏し隊伍を組み堂々と入城 城内の兵力約3千名になる
    同    西郷頼母 高久の北越方面隊、萱野権兵衛に入城せず城外で敵軍を防ぐべしとの伝令のため息子、吉十郎と城を出る
    同    榎本艦隊「回天丸」寒風沢入港
    同    榎本艦隊「美加保丸」銚子で座礁 乗組員解軍し箱館を目指す
    同    林昌之助 米沢より白石に向う
    同    大山弥助 三春で入院
    同    桑名三隊 塩川村より大塩村に入る
    同    会津諸隊 束松峠より会津城下町の黒煙を確認し坂下に入る
  8月27日 明治天皇即位
    同    早朝、鶴ヶ城内で赤羽きよ 女児を出産はつと名付ける
    同    会津諸隊 高久に入り萱野権兵衛隊と合流
    同    西郷頼母 高久の萱野権兵衛に伝言を伝える
    同    榎本艦隊「開陽丸」松島湾東名浜に入る
  8月28日 米沢藩 沼村の新政府軍に降伏の使者を送る
  8月29日 長命寺の戦い 鶴ヶ城会津軍出撃するが失敗しかし城外との物資搬入路を確保
    同    佐川官兵衛 鶴ヶ城に戻らず米代の土蔵を本営とする
  8月30日 小島龍三郎 米沢に戻り戦いの続行を主張するが受け入れられず
  9月 1日 榎本艦隊「蟠龍丸」船体修理のため清水入港
    同    鶴ヶ城内二ノ丸東門側に炊事場を新設
    同    徳川昭武巴里使節団 ビアリッツに入る
  9月 2日 林昌之助 人見勝太郎と仙台で会う
    同    輪王寺宮公現法親王 白石城より仙台仙岳院に入る
  9月 3日 松平容保の密名を帯び会津藩士、堀粂之助(31歳)米沢に潜入援軍要請するが拒否され自刃
    同    土方歳三、榎本武揚 仙台青葉城で軍議に出席、土方歳三軍事総督就任を要請されるが意見が合わず拒否
    同    榎本艦隊「咸臨丸」船体修理をするため清水入港
    同    松平定敬 福島に入る
  9月 4日 米沢藩 新発田越後口総督府で藩主、上杉斉憲の謝罪降伏嘆願書を仁和寺宮嘉彰親王に提出受理される
    同    榎本武揚 林昌之助と仙台で会う
    同    斉藤一(山口次郎) 新選組一隊を率い如来堂村に向い観音堂に布陣
    同    桑名三隊 福島に向う
    同    町野源之助 館ノ原で長岡兵の来援を受け河井継之助の死を知る
    同    徳川昭武巴里使節団 マルセーユを出港し帰国に向う
  9月 5日 新政府軍 如来堂村を攻撃 斉藤一(山口次郎)ら数人脱出し塩川村に戻らず
    同    材木町の戦い 日光口の新政府軍、材木町に進軍するも佐川官兵衛率いる会津軍に撃退される
    同    榎本艦隊「神速丸」松島湾東名浜に入る
  9月 6日 町野源之助の家族 河沼郡勝方村勝方寺裏山で自害
  9月 8日 
明治に改元 年号を一世一元とする 改元の詔(みことのり)
    同    会津藩使者、桃沢彦次郎 単身米沢に入り来援を乞うが逆に帰順を勧められる
    同    長岡藩隊長、山本帯刀(24歳) 飯寺村で捕縛斬首される
  9月 9日 大久保利通 京に向う
    同    新選組 塩川村を出立し福島土湯村に宿泊、仙台に向う
  9月10日 森有礼 減棒嘆願書を上申
  9月11日 榎本艦隊「蟠龍丸」修理を終え清水出港、仙台に向う
    同    越後村上藩降伏
    同    桑名三隊 福島城下に入り庄内四小隊と合流し桑折宿に入る
  9月12日 仙台藩重臣会議 降伏に決定
    同    松平定敬 仙台に入る
    同    榎本武揚、土方歳三 仙台青葉城で抗戦を訴えるが仙台藩の藩論変わらず
  9月13日 大久保利通 京に入る
    同    新政府軍 米沢城下に集結
    同    桑名三隊 庄内四小隊と共に庄内に向うことに決する
  9月14日 新政府軍 会津鶴ヶ城総砲撃
    同    桑名三隊、庄内四小隊 桑折より白石に入る
  9月15日 仙台藩 伊達慶那の謝罪降伏嘆願書を平潟口総督、四条隆謌に上呈
    同    会津藩城外部隊 飯寺村の新政府軍を急襲 一瀬要人、西郷刑部重傷
    同    町野源之助 鶴ヶ城に入り松平容保に拝謁
    同    福島藩降伏
    同    松平容保 秋月悌次郎、手代木直右衛門を板垣退助のもとに派遣し降伏の意を伝える
    同    佐川官兵衛 高田本営、伊佐須美神社で米沢藩使者の降伏勧告を受けるが断固拒否
    同    桑名三隊、庄内四小隊 川崎に入る
  9月16日 鶴ヶ城着弾数、14日より2千5百を越える
    同    新政府軍参謀、板垣退助 米沢藩を介して鶴ヶ城内に降伏勧告文を送る
    同    桑名三隊、庄内四小隊 笹谷峠を越え山形城下に入る
    同    庄内藩 鶴ヶ岡城内で重臣会議、降伏帰順の方針を定める
    同    新選組を含む旧幕府軍 仙台に入る
  9月17日 新政府軍 高田を包囲
    同    松平定敬随行の桑名藩士一七名 新選組に入隊
    同    上ノ山藩 降伏
  9月18日 新政府軍 高田を一斉攻撃、佐川官兵衛隊退却
    同    新政府艦「富士山丸」他2隻 清水に入港し「咸臨丸」を拿捕、乗組員20数名を殺戮し海に投棄する
    同    榎本艦隊「蟠龍丸」松島湾東名浜に入る
    同    木戸準一郎 大久保利通、後藤象二郎に版籍奉還を相談
    同    天童藩 降伏
    同    桑名三隊、庄内四小隊 船町に入る
    ?    清水次郎長 「咸臨丸」乗組員の遺体を埋葬
  9月19日 松平容保 降伏を決する
    同    米沢口の新政府軍 上ノ山城下を経て山形に進出
    同    幕府万博使節一行 パリを出、帰国に向う
    同    桑名三隊、庄内四小隊 寒河江に入る
    同    旧幕府軍 仙台より木舟に転陣
  9月20日 南部藩降伏
    同    山形の新政府軍 寒河江の桑名三隊、庄内四小隊を急襲し敗走させる
    同    立見鑑三郎の弟 町田鎌五郎重症、松浦秀八介錯
    同    会津藩 米沢藩を通じ降伏の使者を送る
    同    林昌之助 請西藩士と降伏謝罪を決する
    同    明治天皇 東京行幸
    同    旧幕府軍 松島に転陣
    同    土方歳三 杉浦清介と便面亭で面談
  9月21日 新政府軍 鶴ヶ城砲撃を中止
    同    松平容保 城中に沙汰書、城外在陣の家老に親書を出す
    同    林昌之助 人見勝太郎に会い辞世を渡す
    同    大山弥助 退院
    同    桑名三隊、庄内四小隊 古口に入る
  9月22日 松平容保 中村半次郎に降伏書提出 会津藩家老連名で嘆願書提出、会津藩降伏
    同    桑名三隊 田川郡清川に入る
    同    松平容保 鶴ヶ城に戻り城内各所の人々を慰労し決別を告げ滝沢村妙国寺で謹慎恭順に入る
            武装解除し城外に出た籠城者は老幼婦女を含め4956名、鳥羽伏見以来の会津藩戦死者は2973名
    同    新政府軍 鶴ヶ城に入城
    同    一瀬要人 死亡
  9月23日 会津藩正規兵3254名 佩刀を許され米沢兵の護衛で猪苗代に送られる
    同    清水まで進出の新政府軍に庄内藩、嘆願書を提出
    同    牧野忠訓 米沢で総督府に降伏
  9月24日 田島在陣の佐川官兵衛に松平容保より親書が届く
    同    会津藩 新政府軍への武器弾薬の引渡を完了
  9月25日 佐川官兵衛 高熱を発する
    同    桑名三隊 降伏を決して鶴岡に入る
  9月26日 庄内藩降伏
    同    桑名三隊 降伏
    同    黒田清隆 鶴岡に入る
  9月27日 西郷隆盛 鶴岡に入る
    同    鶴ヶ岡城 開城式
    同    林昌之助 請西藩の兵器を仙台藩に差し出す
    同    桑名三隊 大山村で謹慎に入る
  9月28日 大山綱良 鶴岡に入る
  9月29日 西郷隆盛、黒田清隆、大山綱良 鶴岡を出る
  9月30日 明治天皇 京を出発
    ?    伊藤俊輔 博文と改名
 10月 1日 会津郭外一ノ町に福井藩士村田巳三郎を惣長とする民政局設置される
 10月 2日 佐川官兵衛 隊長を除き武装解除
 10月 3日 林昌之助 降伏謝罪の嘆願書を提出
    同    南部藩 降伏
 10月 4日 会津民政局に会津の大名主、大庄屋 在陣諸藩の商いの妨害の排除を嘆願
 10月 8日 佐川官兵衛 降伏
 10月 9日 旧幕府軍 折ノ浜に移動 土方歳三船人足に代金を支払う
 10月10日 石田栄吉 盛岡に入る
    同    土方歳三 新選組と「大江丸」に乗船
 10月     町野源之助 町野家の使用人より家族の最後を聞く
 10月11日 会津民生局 在留諸藩兵に賄い金を出す
 10月12日 榎本艦隊 「大江丸」「鳳凰丸」を加え仙台を出港 総勢2300名
 10月13日 明治天皇 芝増上寺で休息後、江戸城西の丸に入る
    同    江戸城を東京城に改める
    同    榎本艦隊 宮古湾に入り燃料、食料を補給
 10月     会津民生局 朝夕二回の粥の炊き出しを始める
 10月14日 会津ヤーヤー一揆
 10月15日 林昌之助 仙台青葉城内に出頭、藩士達と東京に護送されるため出発
 10月17日 新政府 松平容保、喜徳父子に上京を命じる
    同    伊藤博文 東征の軍隊を近衛兵とする建白書を太政官に提出
 10月18日 榎本艦隊 宮古湾出港、新選組隊士中島登諜報活動のため宮古に残留
 10月19日 松平容保、喜徳父子 妙国寺を出東京に向う
 10月20日 榎本艦隊 噴火湾鷲ノ木沖に投錨
 10月21日 榎本軍 鷲ノ木に上陸
 10月22日 人見勝太郎隊 大鳥圭介隊と合流し峠下村に宿陣 五稜郭軍の夜襲を受けるが撃破
    同    土方歳三 一隊を率い川汲峠越えで五稜郭に向かい進軍し砂原に宿陣
    同    伊藤博文 木戸準一郎に大久保利通と共に東京に永住し新政府を確立すべしと手紙を書く
 10月23日 土方歳三隊 鹿部村に宿陣
 10月24日 大鳥圭介隊 七重村に入る
    同    土方歳三隊 川汲で斥候数名を撃退
    同    箱館府知事、清水谷公考 五稜郭を放棄
    同    松平定敬 鷲ノ木浜に上陸
 10月25日 土方歳三隊 上湯ノ川に宿陣
    同    箱館府知事、清水谷公考 未明に箱館港より「カガミノ号」で青森港に逃れる
    同    五稜郭守備兵 夕刻にプロシャ船「タイパンヨー号」で箱館脱出
 10月26日 土方歳三隊、大鳥圭介隊 五稜郭入城
    同    新選組 箱館市中取締を命じられる
 10月27日 「イカロス号」水夫殺害事件の関係者処罰
    同    榎本艦隊「回天丸」箱館入港 秋田藩軍艦「高雄丸」を拿捕
 10月28日 榎本軍 土方歳三隊を筆頭に松前攻略のため行軍を開始、有川村まで進み宿陣
 10月     会津民生局 貧窮者の生活費と家々の再建費用の支給を始める
    同    松前藩主、松前徳広 江差東方の館城に避難
 10月29日 土方歳三隊 茂辺に宿陣
 10月30日 土方歳三隊 木古内に宿陣
 10月     桑名藩兵 庄内藩の命で湯野浜に移る
    ?    伊庭八郎 横浜北方に潜伏
 11月 1日 榎本軍 箱館を占領、軍艦「開陽丸」に祝砲21発を打たせる
    同    土方歳三隊 知内に宿陣、松前藩兵の夜襲を受けるが敗走させる
    同    永倉新八 東京に戻る
 11月 2日 松平容保、喜徳父子 東京に入る
    同    土方歳三隊 知内に滞陣
 11月 3日 土方歳三隊 福島に入る
 11月 4日 土方歳三隊 福島を占領
 11月 5日 土方歳三隊 松前城を占領、松前兵江差方面に退却
 11月 6日 新政府 江戸市民に東幸祝儀の酒肴を下賜 天盃頂戴
    同    林昌之助 草加の宿に入る
    同    土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月 7日 新政府 会津処分を決める
    同    林昌之助 外桜田唐津藩上屋敷で謹慎生活に入る
    同    土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月 8日 天野八郎(38歳)獄中で病死
    同    土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月 9日 土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月11日 土方歳三隊 江差に向け北上を開始し小砂子に宿陣
 11月12日 榎本武揚 箱館港の英米の軍艦に朝廷への奉願書を提出
 11月13日 土方歳三隊 大滝峠の敵兵を撃退
 11月14日 「開陽丸」福山入港 榎本武揚 松前城の人見勝太郎を訪問
    同    松平定敬 箱館に入る
 11月15日 土方歳三隊 「開陽丸」の援護を受け江差を占領
    同    江差館城 陥落
    同    榎本艦隊旗艦「開陽丸」江差で座礁 救援の「神速丸」も座礁
    同    千葉重太郎 仙台より東京に戻る
戊辰箱館戦争簡略図
 11月16日 土方歳三 江差に入る
 11月17日 英、仏、普、伊の四ヶ国公使 横浜駐屯外国兵の撤去を新政府に通告
 11月18日 土方歳三 松前に帰陣
 11月19日 東京開市、新潟開港
    同    新政府 榎本軍追討命令を出す
 11月20日 大山弥助 鹿児島に帰る
 11月22日 伊、蘭、仏の公使 明治天皇に謁見
    同    榎本艦隊「回天丸」「神速丸」江差の「開陽丸」を救援に行くが「神速丸」も座礁
 11月23日 英、米、普の公使 明治天皇に謁見
 11月     伊藤博文 版籍奉還を太政官に建白
    ?    木戸準一郎 大夫山の吉田松陰墓地を修復し鳥居を寄進
    ?    西郷隆盛 鹿児島に帰国
 11月25日 伊庭八郎 本山小太郎と横浜より英国船に乗船、函館に向う
 11月28日 伊庭八郎、本山小太郎 五稜郭に入る
 12月     松平定敬 箱館山上神明社に滞在することになる
 12月 2日 伊庭八郎 松前に向かうに当り杉浦清助と祝杯
 12月 3日 伊庭八郎 松前に向かう
 12月 5日 榎本軍 五稜郭で蝦夷地平定祝賀会
 12月 6日 松本良順 横浜で逮捕される
 12月 7日 明治天皇 松平容保の処分につき詔を下す
 12月 8日 明治天皇 京に向け出発
 12月14日 朝廷 榎本武揚の奉願書を拒否
榎本武揚 錦絵
榎本武揚 錦絵
 12月15日 土方歳三隊 箱館に凱旋し蝦夷地平定の祝賀会を各国領事を招き開催、弁天砲台、五稜郭、各軍艦、各国艦祝砲を放つ
    同    榎本軍 共和国政府の役員を選挙で決定(22日、28日の諸説有)
 12月16日 佐川官兵衛 東京佐倉藩邸で謹慎生活に入る
 12月18日 会津在陣新政府参謀 旧会津藩家老上田学太輔と原田対馬に藩士達への処分を伝える
 12月22日 明治天皇 京到着
 12月24日 桑名藩家老、酒井孫八郎 箱館に入る
 12月28日 諸外国 局外中立撤廃を告示
    同    一条美子 入内
    同    吉川経幹 隠居を許される
 12月29日 土方歳三 酒井孫八郎を訪問
 12月31日 沼間慎次郎 千住小塚原で徳川家に引渡される
 12月     酒井孫八郎 箱館の松平定敬に恭順を説得
    ?    陸奥宗光 由利公正と衝突、会計官権判事を免じられる
    ?    菅野覚兵衛 お龍を土佐郡和食村の実家千屋家に引取る
明治二年 1869                                             幕末、明治維新 年号表へ

  1月     伊藤博文 太政官大坂出張所の陸奥宗光を通じ六ヶ条の建白書を朝廷に提出
  1月     陸奥宗光 摂津県判事になる
  1月 1日 酒井孫八郎 松平定敬に恭順を説得
    同    土方歳三 小柴長之助と酒井孫八郎を訪問
  1月 5日 横井小楠(59歳)十津川郷士らに京寺町通で暗殺される
  1月 6日 酒井孫八郎 土方歳三を訪問
  1月 7日 猪苗代、塩川で謹慎の旧会津藩士 東京と越後高田で幽閉されるため順次出発
  1月 8日 岩崎弥太郎 長崎土佐商会と海援隊の残務整理を終え英国汽船で大坂に向う
    ?    町野源之助 会津民生局取締を命じられ主水と改名し滝沢謹慎所で仕事を開始する
  1月10日 北独連邦と神奈川で修好通商航海条約23ヶ条締結
  1月14日 アーネストサトウ 帰国のため横浜を出港
    同    酒井孫八郎 榎本武揚、土方歳三を訪問
  1月15日 新政府「ストーンウォールジャクソン号」を40万ドルで購入「甲鉄艦」と命名
  1月18日 静寛院宮 京に向け出立
  1月19日 酒井孫八郎 土方歳三を訪問
  1月20日 薩長土肥の四藩主 版籍奉還の上表文を朝廷に提出
  1月24日 上総飯野藩主、保科正益 会津藩、首謀の臣は田中土佐、神保内蔵助、萱野権兵衛の三家老と新政府に申告
  1月28日 土方歳三 新選組の市中取締を賞し金千疋を隊士に与える
  1月     農民吉田伊惣治 飯盛山の白虎隊士4名の遺体を雪解けにより発見し埋葬するが捕縛される
    ?    農民吉田伊惣治 遺体を掘り起こし元の場所に放置することを条件に釈放される
    ?    飯沼貞吉 会津若松に戻り飯盛山の最後を伝える
    ?    町野主水 飯沼貞吉の話を伝え聞く
    ?    町野主水 民生局取締旧会津藩士と共に大町融通寺の軍務局に会津藩士の埋葬許可の嘆願を始める
  2月     会津藩士の埋葬許可下るが罪人塚へと条件が付く
  2月     町野主水 軍務局長官三宮義胤を密かに訪問し嘆願を繰り返し白虎隊士に限り埋葬を許される
  2月     静寛院宮 京都に戻る
  2月     白虎隊士の遺体 飯盛山に埋葬される
  2月     軍務局長官三宮義胤 町野主水を呼び阿弥陀寺と長命寺に限り会津藩士の埋葬を認めると伝える
  2月     永倉新八 松前藩帰参
  2月10日 永倉新八 江戸両国橋で鈴木三樹三郎と会う
  2月13日 大久保利通 勅使、柳原前光と鹿児島に入る
  2月14日 会津藩士の放置遺体 阿弥陀寺と長命寺に埋葬始まる
  2月24日 太政官東京に移動
  2月25日 西郷隆盛 鹿児島藩参政に任命
  2月     会津軍務局 阿弥陀寺近くに「弔死標」と書いた慰霊塔を建てる
  3月 1日 桑名神風隊 大山村を出立
  3月 3日 桑名雷神隊 大山村を出立
  3月 4日 酒井孫八郎 土方歳三を訪問
  3月 5日 桑名致人隊 大山村を出立
  3月 7日 明治天皇 東京行幸
  3月 8日 会津軍務局、民生局 慰霊塔の前で大施餓鬼を行う
  3月 9日 新政府軍艦隊「甲鉄」「朝陽丸」「春日丸」「丁卯丸」 品川を出港
  3月10日 榎本軍に新政府軍艦隊出港の報入る
  3月11日 大久保利通 鹿児島出発
  3月16日 新政府軍艦隊の3隻 宮古湾入港 新選組隊士中島登箱館に急報
  3月18日 伊藤博文 東京勤務を命じられる
  3月19日 中島登の急報、土方歳三に届く 五稜郭内で緊急軍議
  3月20日 榎本軍「甲鉄」の接舷奪取計画を立案
    同    吉川経幹の喪 発表される
  3月21日 新政府艦隊 宮古湾に集結完了
    同    榎本海軍「回天丸」「蟠龍丸」「高雄丸」 箱館出港宮古湾に向う
  3月22日 暴風雨により「回天丸」「蟠龍丸」「高雄丸」それぞれを見失う「回天丸」外輪損傷
  3月24日 宮古湾南方、山田湾で「回天丸」「高雄丸」再会
    同    桑名三隊 東京に入る
  3月25日 宮古湾海戦 榎本海軍「回天丸」の奇襲失敗「高雄丸」「春日丸」に追撃され羅賀浜に着岸し乗組員上陸、北上するが降伏
         「高雄丸」焼き捨てられ乗組員逃亡
  3月26日 「回天丸」「蟠龍丸」箱館に帰港
  3月27日 新政府艦隊 青森に集結
  3月28日 首都を東京にする事が決定
  3月29日 「高雄丸」の乗組員 大半が南部藩に投降
  4月 3日 「高雄丸」乗船の島田魁 箱館に戻る
  4月 5日 桑名三隊 桑名に入る
  4月 6日 新政府艦隊 青森出港
    同    榎本軍 新政府軍襲来の報を受け諸隊を配置
    同    立見鑑三郎 半刻程、実家に帰る
  4月 7日 箱館駐在各国領事在日外国人に避難を指示
    同    松平定敬 箱館より異国船で出港し上海に向う
    同    山県狂介 欧州視察の勅命を受ける
  4月 9日 新政府軍 江差北乙部村に上陸、南下を開始
    同    土方歳三隊 二股口守備のため五稜郭を出陣
  4月10日 新政府軍 江差を奪取 江差守備の榎本軍松前に退く
    同    伊藤博文 兵庫県知事を罷免され同県判事に格下げされる
    同    土方歳三隊 二股口に着陣し胸壁を構築
  4月11日 榎本軍松前鎮台 江差回復のため伊庭八郎、兵を率い進軍し江良町まで進む
  4月12日 伊庭八郎 江良町を回復するも榎本軍松前鎮台、引き揚げを命じる
    同    大鳥圭介隊 箱館より木古内守備兵に合流
    同    滝(63歳)病没
  4月13日 二股口の戦い 土方歳三、奇略を用い新政府軍を後方に退かせる その夜、陣地を巡り兵士達を労う
    同    酒井孫八郎 箱館より乗船
  4月14日 二股口の新政府軍 撤退
  4月15日 市村鉄之助 土方歳三の写真を持ち箱館を脱出、日野を目指す
  4月16日 新政府軍 黒田了介を含む第二陣、第三陣を江差に上陸させる
  4月17日 新政府軍 「春日丸」の援護砲撃を受け江良町、松前を攻略 本山小太郎、佐久間悌二、岡田斧吉戦死
    同    人見勝太郎、伊庭八郎 残兵をまとめ松前城を脱出
    同    黒田了介 松前に入る
  4月18日 人見勝太郎、伊庭八郎 福島に入る
  4月19日 人見勝太郎、伊庭八郎 知内に入る
    同    伊庭八郎 心形刀流伊庭道場門人五十嵐半兵衛、荒井鎌吉と再会
    同    黒田了介 木古内に向け進撃
  4月20日 人見勝太郎、伊庭八郎 木古内守備兵に合流 伊庭八郎、炸裂弾を左肩に受け重傷「回天丸」に収容され箱館に送られる
  4月21日 木古内守備兵 総退却
    同    伊庭八郎 五稜郭に収容される
    同    岩倉具視、大久保利通 東京に移る
    同    謹慎中の桑名藩士に自宅で一泊が許可される
  4月22日 新政府軍 木古内を占領
  4月23日 二股口攻防戦 夜半より始まる
  4月24日 箱館湾海戦 新政府艦隊来襲、榎本軍「回天丸」他2隻と弁天台場の砲撃で対抗
  4月25日 二股口の新政府軍 退去
    同    松平定敬 上海に入る
  4月26日 大久保利通 岩倉具視に手紙を書き体面は平穏だが現実は危機的状況と伝える
  4月27日 酒井孫八郎 品川に入り松平定敬降伏のための下準備を開始
  4月29日 矢不来(やんげない)の戦い
    同    二股口の土方歳三隊 後方遮断を恐れ五稜郭に引揚げる
    同    榎本艦隊「千代田型」弁天台場沖で座礁 新政府軍に奪われる
    同    伊藤博文 東京に向う
  5月     千葉重太郎 剣術教授頭取になる
  5月     陸奥宗光 府藩県を同時政体にと嘆願書を提出
  5月     森有礼 廃刀案を提出、案否決され鹿児島に帰国
  5月     政府 会津監察のため四条隆平を巡察使として派遣することを決定
  5月     伊藤博文 東京に入る
  5月 1日 榎本軍の仏軍事顧問団 箱館停泊中の仏軍艦「コエトローゴン号」に逃亡
    同    土方歳三 弁天台場と七重浜守備兵を訪問
  5月 4日 土方歳三 五稜郭に戻る
  5月 7日 新政府艦隊 箱館港に進攻、榎本軍艦「回天丸」「蟠龍丸」被害甚大
  5月 8日 木戸準一郎 大坂東病院で蘭国医師ボードインの診察を受ける
  5月 9日 土方歳三 会津藩士、小野権之丞を訪問
  5月     木戸準一郎 大坂天保山で休養
  5月10日 榎本武揚 武蔵野楼に幹部を集め最後の宴をする
    同    人見勝太郎 辞世七言絶句を絹布に書付け指揮旗を作る
    同    松平定敬 横浜に入る
  5月11日 新政府艦隊 再び箱館港に進攻し総攻撃 榎本海軍全滅
    同    一本木の戦い 土方歳三(35歳)戦死
    同    人見勝太郎 炸裂弾を顔面受け負傷、箱館病院に入る
  5月12日 新政府軍 五稜郭を艦砲射撃
    同    新政府軍 榎本武揚に降伏を勧告
  5月13日 新政府軍 弁天台場籠城組に勧降使、を送る 新選組隊士、相馬主計これに応接
  5月14日 相馬主計 永山友右衛門と五稜郭に行き榎本武揚に会い降伏勧告について議する
  5月15日 相馬主計 弁天台場に戻り衆議、降伏を決定
  5月16日 新政府軍 五稜郭に酒五樽を贈る
    同    千代ヶ丘台場 玉砕、中島三郎助、垣太郎、房次郎父子死亡
    同    伊庭八郎(26歳)死亡
    同    伊藤博文 今までの職を免じられ会計官権判事になる
  5月17日 榎本武揚、松平太郎、大鳥圭介、荒井郁之助 亀田八幡宮に出頭、黒田清隆、増田明道より降伏条件を伝達される
  5月18日 五稜郭開城 榎本軍降伏、士兵共に謹慎生活に入る 戊辰戦争終結
    同    会津藩家老、萱野権兵衛(41歳)麻布広尾の保科家別邸で切腹
    同    松平定敬 尾張藩江戸屋敷に出頭、尾張藩お預けになる
  5月19日 世良修三暗殺の首謀者 但木土佐、斬罪
    同    山県狂介 洋行の送別会
  5月20日 榎本武揚他幹部 東京に送られるため箱館港より乗船、青森より陸路東京に向う
    同    山県狂介 洋行の送別会
  5月21日 版籍奉還後の方向を決める東京大会議始まる
    同    松平定敬 降伏
  5月23日 木戸準一郎 神戸に入る
  5月24日 木戸準一郎 東京に向うためグラバーの汽船に乗船
  5月     木戸準一郎 神奈川でパークスと会見
  5月29日 木戸準一郎、井上馨 東京に入る
    ?    大村益次郎 戊辰戦争の戦没者を追討する地に東京九段を選び招魂社が建てられる(後の靖国神社)
  6月     エドワルドスネル 新潟を再訪し牧野忠訓に手紙を提出
  6月     陸奥宗光 兵庫県知事になる
  6月     山県有朋、西郷従道 海外視察のため長崎より出港
  6月 2日 戊辰戦争論功行賞 維新に貢献した藩主達に賞典禄を与える
  6月 3日 松平容保側室、佐久の方 容大を出産
  6月 4日 木戸準一郎 従四位の下に叙せられ参議を拝命
  6月10日 四条隆平巡察使一行 会津若松に入る
  6月     会津巡察使 会津若松城下の荒廃を哀れみ蔵米千俵を払い下げる
  6月15日 会津巡察使 民生局名義で民生局と軍務局を廃止し若松県仮役所を融通寺に置くことを発布
  6月17日 版籍奉還 公布
  6月20日 佐川官兵衛妻おかつ死亡
  6月30日 榎本武揚他幹部 東京の牢に投じられる
    ?    楠本イネ 大坂に向うために蒸気船に乗船
    ?    木戸準一郎 木戸孝允に改名
    ?    楠本イネ 大坂の三瀬周三宅に入る
    ?    お龍 土佐郡和食村の千屋家を出る
  7月     土方歳三の写真、市村鉄之助(16歳)により佐藤彦五郎のもとへ届く
  7月     伊藤博文、陸奥宗光、中島信行 上京し廃藩置県の意見書を提出
  7月     開拓使 設置
  7月     佐川官兵衛 妻の死を知る
  7月 5日 会津阿弥陀寺で三日間に及ぶ八宗大施餓鬼供養が行われる
  7月 6日 徳川家達 天璋院に手紙を書く
  7月 8日 官制改正 二官六省となる
    同    大久保利通、木戸孝允 待詔院学士を拝命
  7月12日 元会津民生局監察方兼断獄の久保村文四郎 会津藩士高津仲三郎、伴百悦らに帰国途上の束松峠で斬殺される
  7月14日 岩倉具視 待詔院を廃止し大久保利通、木戸孝允に参議復帰を促す
  7月22日 大久保利通 参議になる
  7月23日 広沢真臣 参議になる
  7月27日 大村益次郎 故郷の父に会うためと大坂に兵学校設置の準備のため東京を出る
    同    松平定敬 津藩に預け替えになる
  7月29日 木戸孝允 大隈重信に現状では国家は瓦解すると手紙を書く
  8月     政府 大阪通商会社、為替会社設立
  8月 7日 伊庭八郎に従っていた鎌吉 江戸伊庭道場に遺品を届ける
  8月13日 大村益次郎 京に入る
  8月15日 蝦夷地を北海道と改称
    同    松平定教(万之助)桑名松平家を相続し6万石で桑名藩再興を許される
    ?    永倉新八 松前に移り医師、杉村松伯の養子になる
    ?    町野主水 若松取締に推挙され官と民の仲介を始める
    ?    町野主水 若松郭外北子路町に土地家屋を購入
  9月 4日 大村益次郎 刺客に斬られる
  9月20日 松平定教 桑名藩知事に任命される
  9月23日 鳥取藩主、池田慶徳 鳥取藩の禄制改革を断行
  9月28日 明治天皇 徳川慶喜、松平容保の罪を許すとの詔を下す
  9月29日 明治天皇 松平容保の実子、慶三郎をもって松平家相続を願い出よと保科正益に伝える
    ?    陸奥宗光 辞職し紀州に帰り軍制改革に着手
 10月 2日 大村益次郎 大坂仮病院入院
 10月 5日 徳川慶喜 宝台院東紺屋町旧幕府代官所跡に転居
 10月27日 大村益次郎 右大腿部切断手術
 11月     伊藤博文 鉄道建設を建白
 11月 1日 広沢安任 釈放
 11月 3日 徳川美香子 東紺屋町に入る
    同    会津藩 家名再興を許される
    ?    請西藩 家名再興を許される
 11月 4日 大村益次郎 危篤
 11月 5日 大村益次郎(45歳)死亡
 11月11日 奇兵隊日記 筆が折られる
 11月14日 松平慶三郎 容大と名を改め家名相続を許される
 11月     長州藩 藩内の兵制改革案を発表
 12月     奇兵隊及び諸隊からの脱走者が続出
 12月 3日 大久保利通 木戸孝允を訪問し政府内での薩長提携を話し合う
 12月 4日 大久保利通、木戸孝允に毛利敬親、島津久光、西郷隆盛に上京命令を伝えるため帰国せよの命令が出る
 12月     大久保利通、木戸孝允 帰国に向う
 12月19日 長州で農民一揆
 12月20日 江藤新平 刺客に斬られる
 12月24日 千葉重太郎 鳥取施政局少属に任じられる
 12月25日 東京横浜間 電信開通
 12月27日 木戸孝允 三田尻に入る
 12月29日 大村益次郎暗殺犯5名 粟田口刑場で処刑される
 12月     桑名藩士達 謹慎を解かれる
    ?    木戸孝允 東京駒込に別邸を構える
明治三年 1870                                                 幕末、明治維新 年号表へ

   1月 5日 会津藩 斗南への移住を許される
   1月 8日 西郷隆盛 参政を辞退、相談役になる
   1月11日 大久保利通 三田尻に入り湯田温泉松田屋で木戸孝允と会う
   1月16日 大久保利通 三田尻より乗船、鹿児島に向う
   1月19日 大久保利通 鹿児島に入る
   1月     町野主水 御前会議出席のため東京に向かう
   1月22日 奇兵隊脱走兵反乱
   1月26日 大久保利通 鹿児島を出る
   1月27日 木戸孝允 奇兵隊脱走兵に命を狙われる
   1月28日 木戸孝允 小郡に潜伏
   1月29日 木戸孝允 下関に入る
    ?    町野主水 東京で新封土選択の御前会議に出席
    ?    町野主水 御前会議終了後、宿舎で永岡久茂と喧嘩
    ?    松平容保 町野主水と永岡久茂に謹慎を命じる
    ?    町野主水 謹慎するために会津若松に向かう
   2月     立見尚文 東京の常盤橋桑名藩出張所に入る
   2月 7日 長州藩 奇兵隊脱走兵壊滅のため藩兵一大隊の帰藩を願い出る
   2月 8日 長州奇兵隊脱走兵討伐軍 下関を出発
   2月10日 長州奇兵隊脱走兵鎮圧される
     同    西郷隆盛 三田尻近くの中関に入港
   2月11日 西郷隆盛 山口で木戸孝允に面会
   2月13日 西郷隆盛 毛利敬親、元徳に拝謁
   2月14日 西郷隆盛 山口を出、鹿児島に向う
   2月20日 兵部省 全国の兵制を統一せよの布告を出す
   2月25日 長州藩 奇兵隊叛乱に隊外より参加した支家の三名に切腹を命じる
    ?    立見尚文 桑名に戻り権少参事に採用される
   3月     永倉新八 東京を出る
   3月     島田魁 尾張藩預かりになる
   3月     陸奥宗光 欧州に出張
   3月30日 長州奇兵隊脱走兵の処分決まる
   4月 3日 長州奇兵隊脱走兵の残党 熊毛郡平生村の武器庫を襲い寺院に立てこもる
   4月     長州奇兵隊脱走兵の残党 鎮圧される
   4月15日 長州奇兵隊脱走兵の首魁 吉村駒之助切腹
   4月17日 永禁錮を解かれた佐川官兵衛他会津藩士 品川を出港し斗南に移住を開始、斉藤一(一戸伝八)移住に同行
   5月     永倉新八 杉村松伯の娘、松子と婚姻 名を杉村義衛と改める
   5月     黒田清隆 樺太専任の開拓次官となる
   5月 4日 人見勝太郎 勝海舟を訪問し薩摩行きの紹介状と路銀の借用を求める
   5月 8日 人見勝太郎 勝海舟を訪問し紹介状と路銀を受け取る
   5月 9日 人見勝太郎 薩摩に向け出発
   5月15日 松平容大 従五位斗南藩知事に山川浩は権大参事、広沢安任、永岡久茂は権少参事に任じられる
   6月     人見勝太郎 薩摩に入り西郷隆盛を訪問
   6月22日 会津藩士、伴百悦 潜伏先で贋金犯と間違われ捕吏に囲まれ一人を刺殺後切腹
    ?    斗南藩権大参事、山川浩 新政府より救助米三万石を出させることに成功
   7月     西郷隆盛 太政官より大参事に任命
   7月     楠本イネ 東京に向うため大坂より乗船
   7月     楠本イネ 東京で石井信義とアレキサンデルに会う
   7月     楠本イネ 東京築地で産科を開業
   7月     斗南藩権大参事、山川浩 新政府より玄米千二百石と金十七万両を出させることに成功
   7月13日 田辺軍次 斗南藩を脱出
   7月20日 小松帯刀(36歳) 大坂で病没
   8月     大山弥助 普仏戦争観戦のため横浜を出港
   8月     グラバー商会 倒産
   8月 3日 山県有朋、御堀耕助 帰国
   8月 7日 長州奇兵隊脱走兵 秋月孝太郎、井上三郎、植木関馬、三田尻で斬罪梟首
   8月11日 田辺軍次 白坂宿で太平八郎を斬殺
   8月14日 長州奇兵隊脱走兵 内藤又兵衛、間島彦太郎他十数名を河田原で斬首
   8月15日 坂本龍馬の家督を小野惇輔が相続し永禄十五人扶持が下賜される
    同    新選組隊士 横倉甚五郎(35歳)大石鍬次郎、小塚原で処刑される
   8月22日 江戸鳥取藩邸 新政府に引き渡され兵部省になる
   8月28日 山県有朋 兵部少輔に任命
   8月29日 長州奇兵隊脱走兵 湊秀蔵、徳永昇輔ら十一名を丁者原で斬罪梟首
   9月     平民の姓 許される
   9月     斗南藩権大参事、山川浩 新政府より玄米一万五千石を出させることに成功
   9月23日 大山弥助 サンフランシスコ入港
   9月25日 近衛忠熈(78歳)病死
  10月     大山弥助 ニューヨークで海軍造船所、武器工場を見学
  10月     大山弥助 ロンドンで大砲製造所を見学
  10月     岩崎弥太郎 高知藩権少参事に昇進
  10月     大坂土佐商会 九十九商会と改称
  10月 6日 長州奇兵隊脱走兵 末森十郎、伊藤本蔵ら十名を舟木妻埼で斬罪梟首
     ?    森有礼 少弁務使として米国赴任
     ?    岩崎弥太郎 東京で山内容堂に謁見
     ?    岩崎弥太郎 東京で後藤象二郎に会う
閏10月     大山弥助 プロシアに入る
閏10月     旧会津藩士の斗南移住移住者 家族を含め1万7千名に達する
  11月     大山弥助 仏領メッツ要塞を見学
  11月     大山弥助 パリに入り芸州藩士、渡六之介の訪問を受け日記を提供される
  11月     庄内藩主、酒井忠篤 留学生を連れ鹿児島に入る
  11月     人見勝太郎 駿河に戻り勝海舟に帰郷を報告
  11月     会津若松城 藩士居住本殿の解体始まる
  11月 2日 伊藤博文 貨幣制度、金融機関調査のため横浜で米国汽船「アメリカ号」乗船、サンフランシスコに向う
  11月16日 西郷隆盛 月照十三年忌に弔誌を送る
  11月27日 「アメリカ号」サンフランシスコ入港
  12月     鳥取藩主、池田慶徳 政府に廃藩案を建言する
  12月 3日 伊藤博文 大陸横断鉄道でワシントンに向う
  12月10日 伊藤博文 ワシントンに入る
  12月12日 伊藤博文 グラント大統領に謁見
  12月17日 長州奇兵隊脱走兵 原熊、槌堀克三郎ら八名を斬罪梟首
  12月18日 鹿児島に勅使として大久保利通、岩倉具視入る
  12月30日 岩倉具視 鹿児島より東京に向う
    ?    木戸孝允 幾松と入籍
     ?    アーネストサトウ再び来日 書記官として東京公使館勤務
明治四年 1871                                                 幕末、明治維新 年号表へ

  1月     徳島藩知事、蜂須賀茂韶 政府に廃藩を建言
  1月     尾張藩知事、徳川慶勝 政府に廃藩を建言
  1月 3日 西郷隆盛、大久保利通 鹿児島を出発
  1月 8日 西郷隆盛、大久保利通 山口の木戸孝允訪問
  1月 9日 参議、広沢真臣 自宅で暗殺される
  1月17日 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允 土佐に入る
  1月18日 鍋島閑叟 死亡
  1月24日 東京、京都、大阪間に郵便開始
  1月27日 千葉重太郎 貞吉の隠居にともない家督を相続
  1月     パークス 「イカルス号」事件について山内容堂に書簡で謝罪
    ?    熊本藩知事、細川護久 知藩事の辞職を願い代わりに賢才を抜擢せよと建言
  2月     印藤聿 豊永長吉と改名し嫡男に家督を譲り士籍を捨て帰商し宇部で塩田開発に入る
  2月 2日 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、山県有朋、板垣退助 東京に入る
  2月15日 西郷隆盛 新兵徴集のため鹿児島に入る
  2月22日 御親兵の勅令出る
    ?    三瀬周三 タカと江戸に入る
    ?    三瀬周三 アレキサンデルと再会
  3月     福沢諭吉 「慶応義塾」を三田に移す
  3月     会津若松城の御座の間 長命寺に移築され本堂となる
  3月15日 松平定敬 桑名藩預けになる
  3月16日 大山弥助 横浜に帰港
    ?    政府 渡六之介の日記を「法普戦争誌略」と題し2万部を印刷し軍関係に配布する
  4月     人見勝太郎 結婚
  4月     造幣局 大阪に創業を開始
  4月 7日 松平定敬 七年ぶりに桑名に戻る
  4月14日 土佐、米沢、熊本、徳島、彦根、福井藩の大参事 東京で議会創設の会合
  4月21日 西郷隆盛 新兵5000名と上京
    ?    中村半次郎 桐野利秋と改名
  4月28日 薩摩、長州、土佐による御親兵の編成定まる
  4月29日 千葉佐那 千葉家を分籍
  5月     陸奥宗光 帰国
  5月     会津若松城の本丸御三階と内玄関の一部 阿弥陀寺に移築され仮本堂となる
  5月 9日 伊藤博文 横浜に帰港
  5月10日 新貨条約 一両一円となる
  5月13日 御堀耕助(31歳) 病没
  6月     御親兵 東京に集結
  6月25日 政府首脳人事更迭 西郷隆盛、参議就任 木戸孝允以外の参議辞職
  7月     民部省を廃し大蔵省を設置
  7月 1日 山県有朋 西郷隆盛を訪問
    同    会津若松城北出丸東西の角櫓と塀の撤去開始
  7月 6日 九段坂上、木戸孝允邸 西郷隆盛、大久保利通、山県有朋会合
  7月 8日 坂本権平(58歳)死亡
  7月13日 西郷隆盛 明治天皇に廃藩置県を上奏
  7月14日 
廃藩置県断行
    同    山県有朋 兵部大輔に昇格、従四位に叙せられる
  7月29日 日清修好条規調印
    ?    陸奥宗光 神奈川県令になる
    ?    九十九商会 土佐藩より所有艦船の払い下げを受け三川商会に改称
  8月 9日 政府 散髪脱刀勝手令を出す
  8月15日 大山弥助 陸軍少将に任命される
  8月20日 高松太郎(小野淳輔)特旨により坂本直と改名
  8月27日 徳川家達 静岡藩知事を免じられ東京に帰る
  9月 9日 大砲を撃ち正午を知らせるようになる
    ?    会津若松城 郭門を取り壊し外堀を埋め立て耕地を条件に希望する町に無料で下げ渡される
 10月 2日 斉藤弥九郎(74歳)死亡
 10月 8日 岩倉使節団の派遣決定
 11月     大山弥助 再渡航に出る
 11月 7日 使節団と留守政府、誓約書に連署
 11月12日 岩倉使節団 横浜を「アメリカ号」で出港
 11月22日 乃木希典 上京し黒田清隆邸を訪問
 11月23日 乃木希典 陸軍少佐に任命
 12月 3日 司法省法廷 河上彦斉に斬罪を言い渡す
 12月 4日 河上彦斎(38歳)処刑される
 12月 6日 岩倉使節団 サンフランシスコ上陸
 12月14日 岩倉使節団 大歓迎会
 12月17日 琉球船 台湾南部に漂着、乗組員54名住民により殺害される
 12月22日 岩倉使節団 汽車でサンフランシスコを出発
 12月25日 岩倉使節団 ソルトレークに入る
 12月     山川浩 上京
    ?    松本良順 初代陸軍軍医頭になる
    ?    安藤信正(53歳)死亡
    ?    大野右仲 豊岡県参事となる
明治五年 1872

    ?    徳川慶喜 従四位に叙される
  1月     全国戸籍調査
  1月     山内容堂 倒れる
  1月     榎本軍幹部 特旨により赦免
  1月     林昌之助 禁錮を解かれる
  1月 5日 岩倉使節団 ソルトレーク出発予定が豪雪のため延期
  1月 6日 松平容保、松平定敬 赦免
  1月12日 西郷隆盛 桂久武に黒田清隆を賞賛する手紙を書く
  1月14日 岩倉使節団 ソルトレークを出る
  1月18日 岩倉使節団 シカゴに入る
  1月21日 岩倉使節団 ワシントンに入り少弁務使、森有礼の出迎えを受ける
  1月25日 岩倉使節団 ホワイトハウスでグラント大統領に謁見
  2月 3日 岩倉使節団 フィッシュ国務長官と条約改正問題の討議に入る
  2月 5日 岩倉使節団 9日まで条約改正予備交渉
  2月 9日 大山弥助 パリに入る
  2月12日 大久保利通、伊藤博文 全権委任状を得るため帰国に向う
  2月13日 千葉重太郎 役を解かれる
  2月15日 玉松操 病没
  2月21日 松平定敬 初姫と結婚
  2月28日 兵部省を廃し陸軍省、海軍省を置く
    ?    大山弥助 ジュネーブに移り下宿を開始 名前を巌と改める
  3月     山県有朋 陸軍中将近衛都督に任じられる
  3月 9日 親兵を廃し近衛兵をおく
  3月24日 大久保利通、伊藤博文 帰国、東京で全権委任状の交付を願い出る
  3月25日 樋口一葉 東京に生まれる
  3月26日 東京、大火に襲われる 千葉家、道場を開放し罹災者を保護
  4月     陸奥宗光 田祖改正建議を提出
  4月     桐野利秋 熊本城鎮西鎮台司令部初代司令官として赴任
  4月25日 江藤新平 司法卿になる
  5月     千葉重太郎 開拓使に出仕
  5月17日 大久保利通、伊藤博文 寺島宗則を連れ横浜より乗船ワシントンに向う
  5月23日 明治天皇 西国巡幸のため東京を出る 西郷隆盛同行
  6月     陸奥宗光 大蔵省租税頭になる
  6月     島田魁 尾張藩より釈放される
  6月11日 長岡謙吉(39歳)病没
  6月14日 明治天皇 長崎に入る
  6月17日 大久保利通、伊藤博文 ワシントンに入る
    同    明治天皇 長崎を出る
  6月21日 山内容堂(45歳)病没
  6月22日 明治天皇 鹿児島着
    同    木戸孝允 記念写真を撮る
  6月23日 岩倉使節団 ボストンに向う
  6月28日 明治天皇 鶴丸城に入り島津久光に謁見
  7月     陸奥宗光 神奈川県令を辞任
  7月     山県有朋 山城屋事件に絡み近衛都督を辞任
  7月     司法省 司法官育成のため明法寮学校を開設
  7月 3日 岩倉使節団 ボストンより英国汽船「オリンパス号」に乗船、リバプールに向う
  7月 8日 明治天皇 東京に帰る
  7月14日 岩倉使節団 リバプールに入る
  7月15日 岩倉使節団 ロンドンに入りパークスの出迎えを受ける
  7月19日 西郷隆盛 陸軍元帥、近衛都督を兼務
  7月20日 松平容保 斗南に入る
  7月28日 
地租改正令発布
  8月     日本国郵便蒸汽船会社 設立
  8月 2日 太政官 「学制序文」を布告
  8月 8日 甲州地方の大小切税法廃止を布告
  8月12日 貢祖米の金納が認められる
  8月23日 甲州農民決起 大小切騒動
  8月25日 松平容保 東京に向う
  9月     大小切騒動 弾圧される
  9月     お龍 東京に移住する
  9月12日 横浜新橋間 鉄道開通
  9月15日 朝鮮使節団 釜山に到着
 10月     森有礼 米国代理公使になる
 11月     西郷隆盛 鹿児島に入り島津久光より詰問14ヶ条を受け詫び状を出す
 11月     立見尚文 三重県に辞表を提出
 11月 4日 岩倉使節団 ヴィクトリア女王に謁見
 11月 9日 太陽暦採用を発表
 11月15日 銀行の設立が許可される
 11月16日 岩倉使節団 パリに入り中弁務使、鮫島尚信の出迎えを受ける
 11月22日 岩倉使節団 大弁務使、寺島宗則より太陽暦採用を報告される
 11月26日 岩倉使節団 ティエール大統領に謁見
 11月28日 明治天皇 徴兵の詔を発する
 11月29日 山城屋和助 陸軍省で自害
 12月     立見尚文 東京に入る
 12月 3日 太陽暦採用のためこの日が明治6年1月1日となる
 12月     松平定敬 欧州に私費旅行
    同    岩倉使節団 ティエール大統領に新年の祝賀を述べる
    ?    酒井孫八郎 宮内省出仕となる
明治六年 1873                                           幕末、明治維新 年号表へ

    ?    酒井孫八郎 松平定敬の妹高姫と婚姻
  1月     徴兵令施行
  1月     林昌之助 請西に戻る
  1月 2日 伊藤博文 大隈重信、副島種臣に米英仏の様子を報告
  1月 4日 山県有朋 鎮台募兵を建白
  1月 9日 伊藤博文 井上馨に諸外国が望んでいるのは通商の利益だと手紙を書く
  1月10日 
徴兵令 公布
  1月24日 江藤新平 辞表提出
  1月31日 岩倉使節団 フランスの各大臣を宴会に招く
  1月     福沢諭吉 楠本イネと会談
  2月     岩崎弥太郎の家族 大阪に引越す
  2月16日 岩倉使節団 ティエール大統領の祝宴に出席
  2月17日 岩倉使節団 ベルギーブラッセルに入る
  2月18日 岩倉使節団 皇帝レオポルド二世に拝謁
    同    東京長崎で電信工事
  2月24日 岩倉使節団 オランダハーグに入る
    ?    キリスト教解禁
  3月     西郷隆盛 東京に入る
  3月     岩崎弥太郎 三川商会の経営を一任され三菱商会と改称
  3月 1日 天璋院 断髪許可証を得る
  3月 9日 岩倉使節団 ベルリンに入る
  3月11日 岩倉使節団 ビスマルクに面会しウィルヘルム一世に拝謁
  3月15日 岩倉使節団 ビスマルクの招宴に出席
    同    元斗南県貴族士族卒等処分方の法令発布 斗南県吸収の青森県、旧斗南藩士の移転、送籍に転業資金を下賜
  3月19日 岩倉使節団に三条実美より大久保利通、木戸孝允に帰国を願う手紙が届く
  3月20日 明治天皇 御断髪
  3月28日 岩倉使節団 ロシアに向う
    同    大久保利通 帰国に向う
  3月30日 岩倉使節団 ペテルブルグに入る
  4月     岩崎弥太郎 米国留学中の弟弥之助に手紙を書く
  4月     外務卿、副島種臣 特命全権大使として清に赴く
  4月     桐野利秋 陸軍裁判長となり東京に赴任
  4月     谷干城 熊本鎮台司令官に赴任
  4月 3日 岩倉使節団 皇帝アレクサンドル二世に拝謁
  4月12日 伊藤博文 妻梅子に手紙を書く
  4月14日 岩倉使節団 デンマークに向う
  4月16日 木戸孝允 帰国に向う
  4月18日 岩倉使節団 コペンハーゲンに入る
  4月19日 岩倉使節団 国王クリスチャン九世に拝謁
    同    後藤象二郎、大木喬任、江藤新平 参議となる
  4月23日 岩倉使節団 スウェーデンに向う
  4月24日 岩倉使節団 ストックホルムに入る
    同    立見尚文 司法省十等出仕を拝命、兄町田武須計に手紙を書く
  4月25日 岩倉使節団 国王オスカル二世に拝謁
  4月29日 岩倉使節団 イタリアに向う
  5月     佐川官兵衛 会津若松に戻る
  5月     西村松兵衛 横須賀に移住する
  5月 1日 立見尚文 父町田伝大夫に今後を期す手紙を書く
  5月 2日 江藤新平 辞表を撤回
  5月 5日 皇居炎上
  5月10日 西郷隆盛 陸軍大将兼参議となる
  5月11日 岩倉使節団 ローマに入り国王エマヌエーレ二世に拝謁
  5月14日 井上馨 辞表提出、太政官受理
  5月26日 岩倉使節団 オーストリアに向う
    同    大久保利通 帰国
  6月     山県有朋 初代陸軍卿に就任
  6月 3日 岩倉使節団 ウィーンに入る
  6月 8日 岩倉使節団 フランツヨーゼフ皇帝に拝謁
  6月10日 木戸孝允 マルセーユを出港
  6月12日 征韓論廟議
  6月18日 岩倉使節団 スイスに向う
  6月20日 岩倉使節団 ベルンに入りセムソール大統領に拝謁
  6月29日 岩倉使節団 ジュネーブに入る
  7月     立見尚文 茨城県土浦新治裁判所勤務となる
  7月 9日 岩倉使節団 政府より直ちに帰国せよとの電報を受ける
  7月20日 岩倉使節団 マルセーユより仏汽船「アウア号」乗船、帰国に向う
  7月23日 木戸孝允 帰国
  7月26日 副島種臣 東京に帰着
    同    木戸孝允 高輪の毛利元徳を訪問
  7月27日 木戸孝允 参内し明治天皇に拝謁
  7月28日 岩崎弥次郎 病没
  7月29日 西郷隆盛 板垣退助に手紙を出す
  7月30日 岩崎弥太郎 大坂に帰り父の遺体と対面
  7月31日 西郷隆盛 板垣退助を訪問
    同    楠本イネ 宮内省御用係を拝命
    ?    森有礼 帰国
  8月     山県有朋 鎮台視察に出る
  8月     大山巌 ウィーンの万国博覧会を見学
  8月     第一国立銀行設立
  8月 3日 西郷隆盛 三条実美に手紙を書く
  8月16日 西郷隆盛 三条実美を訪問
    同    大久保利通 休暇願を出し旅行に行く 箱根、富士登山、近江、大和、紀伊、有馬など
  8月17日 西郷隆盛 朝鮮派遣使節任命議決
  8月18日 西郷隆盛 三条実美を訪問
    同    木戸孝允 朝鮮派遣使節反対意見書を提出
  8月19日 西郷隆盛 板垣退助に手紙を書く 板垣退助 西郷を訪問
  8月23日 津崎村岡局(80歳)病没
  8月31日 木戸孝允 馬車より転落
  9月     川路利良 欧州の警察制度を視察し帰国
  9月13日 岩倉使節団 横浜に入り帰国、岩倉具視、伊藤博文 東京に入り参内、明治天皇に帰国の挨拶をする
  9月14日 明治天皇 太政官に出、岩倉具視より条約改正と欧州の状況について報告を受ける
  9月21日 大久保利通 有馬より東京に入る
  9月24日 岩倉具視 大久保利通、伊藤博文を招き内政中心を確認
  9月25日 伊藤博文 木戸孝允を訪問し協力を要請、岩倉具視と協議後、大久保利通に報告
    ?    岩倉具視 大久保利通に参議就任を依頼
 10月 8日 大久保利通 岩倉具視に会い参議就任を承知する
 10月10日 伊藤博文 大久保利通に手紙で木戸孝允との面会を要請
    同    大久保利通 木戸孝允を訪問し方針を打ち合わせ後、伊藤博文に報告
 10月12日 大久保利通 参議任命
 10月13日 副島種臣 参議任命
    同    岩倉具視 板垣退助と副島種臣を自邸に招き改説を願う
 10月14日 三条実美 閣議召集
    同    岩倉具視 西郷隆盛に閣議欠席を要求、西郷これを拒否
    同    新参議を加え閣議 木戸孝允は病気欠席 議論沸騰明日に持越し
 10月15日 西郷隆盛欠席の閣議で朝鮮使節採決 大久保利通、辞意を表明し退席
    同    岩倉具視 大久保利通邸を訪問、辞職撤回を懇願、大久保拒否
 10月17日 大久保利通、木戸孝允、大隈重信 辞表提出 西郷隆盛、三条実美に上奏を迫る
 10月18日 三条実美 西郷隆盛を自邸に呼び改説を願うが拒否される西郷帰宅後、精神異常
 10月19日 三条実美 辞表提出
 10月20日 明治天皇 三条実美を見舞った後、岩倉邸で岩倉具視を太政大臣代理に任命
    同    木戸孝允 岩倉具視に伊藤博文の参議採用を願う手紙を書く
 10月21日 大久保利通 岩倉具視訪問
 10月22日 西郷隆盛、板垣退助、副島種臣、江藤新平 予告なしで岩倉邸訪問 上奏を迫る
    同    西郷隆盛 大久保利通邸を訪問、後事を託す
 10月23日 岩倉具視 閣議決定の内容と反対の意見を上奏、裁可を得る
    同    西郷隆盛 辞表提出
 10月24日 板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣 辞表提出
 10月25日 大久保利通、大隈重信の辞表戻され伊藤博文、勝海舟、寺島宗則参議に任命される
 10月26日 大久保利通 伊藤博文、大隈重信を自邸に招き今後の政府運営を協議
 10月28日 西郷隆盛 品川より乗船し鹿児島に向う
 11月     川路利良 佐川官兵衛に警視庁出仕を願う使者を送る
 11月     岩崎弥之助 米国より帰国し三菱商会に入社
 11月 8日 伊藤博文 木戸孝允を訪問
 11月10日 内務省設立
    同    西郷隆盛 鹿児島に入る
 11月17日 伊藤博文 木戸孝允を訪問し大蔵卿を打診するが拒否される
 11月24日 木戸孝允 伊藤博文に薩摩に対する恨みを書いた手紙を出す
 11月29日 大久保利通 内務卿就任
 12月     林昌之助 東京に出て府に出仕する
 12月     若松県庁 旧会津藩会所跡地に新庁舎を新築し会津若松城本丸より移転を決定する
 12月19日 明治天皇 三条実美邸に行幸し見舞った後、出府を命じる
    ?    会津若松城 廃城が決定
明治七年 1874                                                        幕末、明治維新 年号表へ

  1月 1日 陸奥宗光 論文「日本人」を書き上げる
    ?    陸奥宗光 論文「日本人」を木戸孝允に提出
  1月 4日 榎本武揚 海軍中将に任じられる
  1月12日 副島邸で愛国公党結成 江藤新平、板垣退助、後藤象二郎、副島種臣、由利公正、小室信夫、古沢滋
  1月13日 江藤新平 佐賀に向う
  1月14日 喰違の変 岩倉具視、武市熊吉ら刺客に斬られる
  1月15日 東京警視庁発足
    同    陸奥宗光 辞職
  1月17日 古沢滋 民選議院設立建白書を政府に提出 板垣退助、後藤象二郎、由利公正これに連署
    同    板垣退助 木戸孝允を訪問
  1月18日 伊藤博文 木戸孝允に土佐を警戒するようにと手紙を書く
    同    榎本武揚 駐露全権公使に任命される
  1月21日 板垣退助 木戸孝允を訪問するが建白書の間違いを指摘される
  1月25日 木戸孝允 文部卿に就任
  2月 1日 佐賀の乱
  2月 3日 内務省に福岡県庁発の電報届く
  2月 4日 大久保利通 西郷従道と佐賀の乱について相談
  2月 5日 佐賀追討令出る
    同    会津若松城 建材払い下げ入札を告示
    ?    会津若松城 取り壊し中止運動起こる
  2月 6日 閣議で台湾征伐決定
  2月 8日 木戸孝允 伊藤博文に時局を嘆き辞意の固いことを手紙で伝える
  2月10日 大久保利通 佐賀問題に限り行政、司法、軍隊統率の三権を与えられる
  2月13日 大久保利通 佐賀に向う
  2月14日 島津久光 横浜を出港、鹿児島に向う
  2月15日 熊本鎮台 佐賀城に入る
  2月16日 佐賀士族 佐賀城を攻撃
  2月18日 熊本鎮台 佐賀城を脱出 佐賀士族入城
  2月20日 大久保利通 博多入港 福岡城に入る
    同    島津久光 鹿児島に入る
  2月21日 中立佐賀士族、前山党 政府軍に合流
  2月22日 田代朝日山戦闘 佐賀士族朝日山放棄 江藤新平、本営を神崎に前進
  2月23日 江藤新平 本営を佐賀に戻した後、敵前逃亡
  2月27日 江藤新平 鹿児島に入る
  2月28日 左院より憲法調査が急務と建議が出る
  2月     佐川官兵衛 川路利良の要請により警視庁に出仕するため旧会津藩士300名と東京に向かう
    ?    佐川官兵衛 東京牛込の松平容保邸を訪問し旧主に人を介して報告
  3月     旧会津藩士300名 巡査等に採用される
  3月     大山巌 ジュネーブで吉井友美の帰国せよの手紙を受ける
  3月 1日 政府軍主力 佐賀城入城 大久保利通、宗竜寺に入る
  3月 4日 政府 佐賀賊徒平定を布告
  3月10日 会津若松城 建材払い下げ入札期限、入札者無し
    ?    若松県庁 会津若松城建材払い下げ業者探しを町野主水に依頼
  3月11日 江藤新平 鰻温泉で西郷隆盛と会う
  3月13日 江藤新平 土佐に向う
  3月15日 江藤新平 伊予宇和島に入る
    同    佐川官兵衛 九等出仕、警視庁勤務に任命される
  3月25日 江藤新平 高知城下に入る
  3月28日 江藤新平 土佐甲浦で捕縛
  4月     板垣退助 土佐に戻り立志社を設立
  4月     立見尚文 東京に戻る
  4月     岩崎弥太郎 三菱商会本社を東京に移す
    ?    立見尚文 佐川官兵衛と再開
  4月 4日 軍艦「猶竜」江藤新平を乗せ高知出港
    同    西郷従道 陸軍中将に任命される
  4月 7日 軍艦「猶竜」佐賀入港
  4月 8日 江藤新平 佐賀城内の臨時裁判所で裁判開始
  4月 9日 榎本武揚 全権委任状を持ちペテルブルクに向う
    同    西郷従道 長崎に向う
  4月10日 木戸孝允 伊藤博文を訪問し台湾問題を質問
  4月13日 江藤裁判結審 除族の上梟首 即日執行 江藤新平(41歳)死亡
  4月15日 町野主水 会津若松城の建材を地元業者に八百六十二円で落札させることに成功
  4月16日 江藤新平 木角蓮成寺に埋葬される
  4月17日 木戸孝允 台湾征討に反対し三条実美に辞表を提出
  4月20日 会津若松城で東北地方初の博覧会開催される
  4月26日 政府軍 台湾出兵 征討総監、西郷従道
  4月27日 島津久光 左大臣に任命
    ?    三菱商会 三菱蒸汽船会社と改称し台湾への軍事輸送を請負う
  5月     谷干城 熊本鎮台司令長官として熊本城赴任
  5月     吉井友美 パリで大山巌に三条実美と岩倉具視の手紙を渡し帰国を願う
  5月 2日 台湾征討軍 長崎出港
  5月 3日 大久保利通 長崎に入る
  5月 6日 政府軍 台湾南部に上陸し攻撃を開始
  5月 9日 会津若松城博覧会 閉幕
    ?    会津若松城 取り壊し始まる
  5月13日 木戸孝允に免官の辞令出るが宮内省出仕を命じられる
  5月19日 木戸孝允 宮内省出仕の罷免を願い出るが却下
  5月22日 政府軍 西郷従道台湾上陸
  5月26日 木戸孝允 再び罷免を願い出る
  5月27日 木戸孝允 島津久光に大久保利通について手紙を書く
  5月     木戸孝允 山口に向う
  6月     鹿児島私学校設立
  6月 2日 政府軍 台湾平定
  6月24日 清の皇帝 日本軍が撤兵しないなら攻撃せよと命令
  7月     会津鶴ヶ城 取壊し
  7月     千葉佐那 結婚する
  7月 7日 喰違の変の犯人 7名、斬罪
  7月 9日 木戸孝允 山口に入る
  7月23日 佐川官兵衛 九等官大警部に任命され本庁に勤務
    ?    町野主水 母屋を新築し屋敷稲荷を造り再婚に踏み切る
  8月 1日 大久保利通の清国派遣が決定
  8月 2日 伊藤博文 臨時に内務卿を兼務
    同    伊地知正治、山県有朋、黒田清隆 参議に任命
  8月 6日 大久保利通 横浜より北京に向う
  8月15日 木戸孝允 萩に入る
  8月     木戸孝允 山口の友人宅に置いてきたビールを送って欲しいと別の友人に手紙を書く
    ?    佐川官兵衛 旧会津藩士、四条理八の長女カンと三度目の結婚
  9月     後藤象二郎 佐賀高島炭鉱の払下げ申請をする
  9月10日 大久保利通 北京に入る
  9月14日 大久保利通 全権大使として清国と台湾問題の交渉を開始
  9月19日 台湾問題 第二回交渉
  9月     大久保利通 米英の公使と接触、情報を収集
  9月     大久保利通 三条実美に交渉の様子を手紙に書く
 10月 5日 台湾問題 第三回交渉
 10月     大久保利通 英国公使と接触
 10月     大山巌 帰国
 10月     大山巌 鹿児島に入る
 10月     静寛院宮 東京麻布に移住
 10月10日 大久保利通 清国に最後通牒を送る
 10月30日 大久保利通 黒田清隆に賠償金の使い道について手紙を書く
 10月31日 大久保利通 清国と撤兵の条約に調印 賠償金を得る
 11月 1日 大久保利通 北京を出る
 11月     伊藤博文 下関に入る
 11月     大山巌 東京に入る
 11月     若松県 地租改正に着手
 11月     後藤象二郎 政府より佐賀高島炭鉱の払下げ許可を受ける
 11月 3日 大久保利通 天津に入り李鴻章を訪問
 11月 4日 大久保利通 天津を出る
 11月 7日 大久保利通 上海に入り償金の一部を清国より受け取る
 11月13日 大久保利通 厦門に入る
 11月15日 大久保利通 厦門を出る
 11月16日 大久保利通 台湾に入り西郷従道に撤兵を指示
 11月17日 岩崎弥之助 後藤象二郎の娘早苗と結婚
 11月18日 大久保利通 台湾を出港
 11月26日 大久保利通 横浜入港、大勢の出迎えを受ける
 11月27日 大久保利通 横浜駅より新橋に入り三条実美の出迎えを受け明治天皇に復命
 11月28日 大久保利通 伊藤博文邸を訪問
 11月30日 井上馨 木戸孝允に大久保利通と板垣退助が大阪に入るので来阪して欲しいと手紙を書く
 12月 3日 台湾征討軍 撤退を開始
 12月13日 三条実美、岩倉具視 大久保利通の有馬温泉湯治の認可を出す
 12月14日 大久保利通 東京を出る
 12月19日 木戸孝允 萩を出、下関に向う
 12月24日 木戸孝允 下関に入る
    ?    A.J.ボードワン 蘭国に帰国
明治八年 1875                                                        幕末、明治維新 年号表へ

    ?    大野右仲 豊岡県参事七等判事兼任となる
    ?    三菱蒸汽船会社 郵便汽船三菱会社と改称
  1月 4日 木戸孝允 下関を出港
  1月 5日 木戸孝允 神戸に入り大久保利通、五代友厚、吉井友実の訪問を受ける
  1月 6日 木戸孝允 大阪に入る
  1月 7日 木戸孝允 五代友厚邸の大久保利通を訪問、黒田清隆同席
  1月 8日 大久保利通 木戸孝允を訪問し東京に戻ることを依頼
  1月17日 伊藤博文 下阪の許可を得る
  1月19日 伊藤博文 大阪に向う
  1月22日 伊藤博文 大阪に入る
  1月23日 伊藤博文 大久保利通を訪問
  1月25日 伊藤博文 木戸孝允を訪問し出馬を願い了承を得る
  1月26日 木戸孝允主催 囲碁の会
  1月27日 木戸孝允 伊藤博文を訪問
  1月29日 伊藤博文 大久保利通、木戸孝允と会談し板垣退助を内閣に迎える事で合意
  1月30日 木戸孝允 井上馨、板垣退助と会談
  2月 2日 勅使、東久世通禧 大阪に入り木戸孝允に上京の勅語を伝える
  2月10日 郵便汽船三菱会社 東京日日新聞に上海航路開設の公告を載せる
  2月11日 大阪会議 大久保利通、木戸孝允、板垣退助、伊藤博文、井上馨 会談
  2月18日 大久保利通 東京に入る
  2月24日 木戸孝允、伊藤博文、井上馨 東京に入る
  2月     森有礼 婚姻契約を交わして結婚
  3月     大阪衛生試験所発足
  3月 4日 板垣退助 東京に入る
  3月 6日 三条実美邸で大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、板垣退助会談
  3月 8日 木戸孝允 参議に復職
  3月12日 板垣退助 参議になる
  3月13日 木戸孝允 自邸に大久保利通、板垣退助、伊藤博文、井上馨を招き三権分立を議論
  3月17日 木戸孝允、大久保利通、板垣退助、伊藤博文 政体取調委員になる
  3月18日 政体取調局 新設
  3月28日 政体取調案 三条実美に提出
  4月14日 元老院設立の詔勅下る
  4月23日 元老院議員任命 後藤象二郎、陸奥宗光、津田出、吉井友実、由利公正、加藤弘之以下13名 勝海舟は辞退
  5月     大久保利通 海運三策を閣議に提出
  5月     新門辰五郎 死亡
  5月 7日 榎本武揚 露国と千島樺太交換条約に調印
  5月24日 大審院、上等裁判所、府県裁判所の規則制定
  6月     谷干城 軍職を辞任
  6月     野津鎮雄 熊本鎮台司令官に赴任
  6月28日 讒謗律及び新聞条約定まる
  7月 2日 お龍 横須賀で西村松兵衛の妻、西村ツルとして入籍
  9月 3日 出版条例 改正
  9月20日 江華島事件
 10月     後藤象二郎 破産状態
 11月     森有礼 清国公使になる
 11月     大野右仲 千葉県准判任御用掛を拝命
 11月13日 木戸孝允 頭痛の発作により半身不随状態になる
 12月 9日 開拓長官、黒田清隆 対朝鮮特命全権大使に任命
 12月     岩崎弥太郎 板垣退助の訪問を受け後藤象二郎救済を依頼されるが突放す
 12月27日 井上馨 朝鮮使節副使に任命
    ?    永倉新八(杉村義衛)上京
明治九年 1876

  1月     森有礼 李鴻章と会談
  1月 6日 朝鮮使節団一行 品川を出港
  2月     立見尚文 二級判事補として高知裁判所に移動
  2月 9日 佐川官兵衛の妻カン 男子を出産、直諒と命名
  2月10日 全権大使、黒田清隆一行 朝鮮に入り交渉に入る
  2月26日 朝鮮政府謝罪書を提出し日朝修好条規締結
  3月 1日 朝鮮使節一行 下関に入り三条実美に電報で報告
  3月 8日 木戸孝允 病気療養のため参議辞任
  3月25日 人見勝太郎 勧業寮に出仕し明治政府に仕える
  3月28日 
廃刀令断行
    ?    斉藤一(藤田五郎) 旧会津藩大目付、高木小十郎の娘時尾と婚姻、仲人は松平容保、下仲人は山川浩、佐川官兵衛
    ?    人見勝太郎 品川弥二郎邸訪問 辞世の七言絶句の指揮旗と出会う
    ?    立見尚文 一級判事補に昇進
  4月     井上馨 財政研究のため欧州に派遣される
  5月     永倉新八(杉村義衛) 松本良順の協力を得て板橋に新撰組隊士供養塔を造立
    ?    斉藤一(藤田五郎) 旧会津藩大目付、高木小十郎の娘時尾と婚姻、仲人は松平容保、下仲人は山川浩、佐川官兵衛
  6月     種田政明 熊本鎮台司令官に就任
  6月 2日 明治天皇 東北・北海道巡幸のため東京出発
  7月20日 明治天皇 東北・北海道巡幸より「明治丸」で横浜に帰港
  8月21日 福島県 若松県と磐前県を吸収合併する
  9月     元老院に勅語、憲法起草を命じられる
 10月     豊永長吉 山口県議会議員に選ばれる
 10月 7日 旧会津藩士、杉浦成忠 戊辰戦争記録「結草録」を書籍正院修史局に献納
 10月24日 神風連の乱 1日で鎮圧
 10月27日 秋月の乱
 10月28日 萩の乱
 10月29日 思案橋事件 永岡久茂他旧会津藩士、千葉県庁襲撃を企てる
 10月30日 佐川官兵衛 川路利良より思案橋事件の概要を聞く
    ?    佐川官兵衛 思案橋事件調査のため千葉県に向かう
 11月     谷干城 再度熊本鎮台司令長官に赴任
 11月     立見尚文 高知裁判所所長代理として徳島支庁勤務となる
 11月     豊永長吉 赤間関米商取引所の設立を唱え頭取に就任
 11月     松平容保 特旨により従五位に叙される
 11月 6日 萩の乱鎮圧
    同    玉木文之進 自害
 11月 9日 野口英世 福島に生まれる
 11月16日 佐川官兵衛 思案橋事件調査を終え東京に戻り報告書を提出
 12月 3日 前原一世(40歳)斬罪
 12月 5日 佐川官兵衛 権少警視に昇進
 12月26日 川路利良 鹿児島出身23名を鹿児島に潜入させるべく自宅で訓示
    ?    林昌之助 府庁に辞表を提出
    ?    大山巌 吉井友美の長女、沢子と結婚
明治十年 1877                                                        幕末、明治維新 年号表へ

    ?    林昌之助 函館に出、物産商の番頭見習になる
  1月     思案橋事件犯人、永岡久茂 鍛冶橋監獄で獄死
  1月     川路密偵団 鹿児島に向う
  1月11日 政府 警察権力を内務省に掌握させ東京警視庁を警視局東京警視本署とする
  1月     郵便汽船三菱会社 政府より鹿児島から武器弾薬を大阪に輸送の密命を受ける
  1月24日 明治天皇 京に向う 三条実美、木戸孝允、山県有朋追従
  1月29日 郵便汽船三菱会社「赤龍丸」 鹿児島に入港し草牟田陸軍火薬局より武器弾薬の積込を始めるが私学校生に探知される
    同    私学校生 草牟田陸軍火薬局を襲撃し弾薬三十万発を奪う
  1月30日 伊藤博文 京に向う
    同    私学校生 草牟田陸軍火薬局に人数を増やし武器弾薬を奪う
  1月31日 私学校生 海軍造船所襲撃
  2月     斉藤一(藤田五郎) 警視局警部補に任官
  2月     大久保利通 岩崎弥太郎に西南戦争の物資輸送を依頼する
  2月 1日 西郷隆盛に襲撃事件伝わる
  2月 2日 密偵団 私学校生に捕縛される
  2月 3日 鹿児島暴発の報、政府に届く
  2月 5日 私学校講堂で西郷隆盛を向え幹部会議
  2月 6日 私学校門柱を「薩軍本営」と書き換え募兵開始
  2月 7日 大久保利通 伊藤博文に天下は瓦解してしまう恐れありと手紙を書く
    同    思案橋事件犯 高津仲三郎、竹村俊秀、井口慎次郎に斬罪
  2月 8日 熊本県権令、富岡敏明 川路利良大警視に巡査百名の出張を依頼
  2月10日 政府 近衛兵、東京鎮台、大阪鎮台に出動準備令を出す
    同    九州派遣警視隊第一陣 新橋停車場をより横浜に向かう
    同    佐川官兵衛 警視第一方面第一分署の署長となる
  2月12日 山県有朋 三条実美に「作戦意見書」提出
    同    薩軍 鹿児島県令、大山綱良に上京届提出
  2月13日 御前会議 薩軍征討の方針を決める
  2月14日 鹿児島伊敷村玉江連兵場で閲兵式
    同    別府晋介の薩軍先鋒隊出軍
    同    熊本鎮台諸隊長会議 谷干城、籠城を決意
  2月15日 薩軍降雪の中進軍開始
    同    木戸孝允 岩倉具視に維新と同じぐらいの気持が必要と手紙を書く
  2月16日 大久保利通 京に入る
    同    九州派遣警視隊第一陣 博多に上陸
  2月17日 三条実美 大久保利通、木戸孝允、山県有朋、伊藤博文を集め前後策を協議
  2月18日 熊本鎮台司令官陸軍少将、谷干城 山県有朋に打電
  2月19日 西郷隆盛の上京趣意書、熊本城に届く
    同    賊徒征討の令出る 征討総督に有栖川宮熾仁親王任じられる
    同    熊本城失火 天守焼失
    同    川路利良 大久保利通の命を受け九州増援部隊に出張命令を出す
  2月20日 熊本鎮台兵 薩軍に発砲
    同    警視九州増援部隊 「西京丸」で横浜より出港
  2月21日 薩軍 熊本城攻撃を開始
  2月22日 乃木希典隊 植木で薩軍と戦闘、軍旗を奪われる
    同    大山巌 別働第一旅団長として鹿児島行きの命令を受ける
    同    政府軍の輸送船団 博多入港
  2月23日 山県有朋 神戸を出港
    同    「西京丸」下関入港 豊後口警視隊下船し端艇に分乗し小倉に上陸
  2月25日 山県有朋 博多に入る
    同    薩軍山鹿を占領
  2月26日 有栖川宮熾仁親王 博多に入る
    同    豊後口警視隊 豊前中津に入る
    同    明治天皇 大阪紙砂糖製造所を見学
  2月27日 西郷小兵衛(31歳)高瀬で戦死
    同    豊後口警視隊 南宇佐に入る
  2月     上野彦馬 長崎県令の依頼で撮影のため従軍
  3月     人見勝太郎 上州新町紡績所の所長になる
  3月     楠本イネ 長崎に戻るため横浜より乗船
  3月 1日 大山巌 博多に入る
    同    豊後口警視隊 大分町に入る
  3月 4日 田原坂攻防戦始まる 篠原国幹(40歳)戦死 「雨は降る降る人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」
  3月 7日 征討軍 鹿児島に上陸
  3月 8日 勅使 鹿児島に入る
  3月11日 豊後口警視隊 佐川官兵衛の一番小隊と二番小隊、坂梨に入る
  3月12日 豊後口警視隊 坂梨で軍議、佐川官兵衛、即時進撃を主張するが否定される
    同    立見尚文 河野敏鎌より帰京命令を受ける
  3月15日 征討軍 横平山を占領
  3月17日 豊後口警視隊 坂梨で軍議、明朝の攻撃を決定
  3月18日 佐川官兵衛(47歳)阿蘇二重峠で戦死
  3月19日 征討衝背軍 日奈久に上陸
  3月20日 田原坂陥落
  3月21日 黒田清隆 日奈久上陸
    同    木戸孝允 伊藤博文に戦況を憂う手紙を書く
  3月22日 伊藤博文 木戸孝允に自分が知っている戦況を報告
  3月26日 日奈久の征討衝背軍 進軍を開始
  3月27日 犬飼毅 郵便報知新聞に「戦地直報」の連載を始める
  4月 1日 征討軍 吉次峠一斉攻撃占領
  4月 6日 宮崎八郎 線川で戦死
  4月 8日 熊本城突囲隊 脱出に成功
  4月 9日 乃木希典 左足着弾負傷
  4月10日 城東会議
  4月11日 谷干城 狙撃される
  4月12日 征討衝背軍 線川渡河 御船の戦い 永山弥一郎、炎の中で割腹
    同    陸奥宗光 横浜より大阪に入る
  4月13日 陸奥宗光 伊藤博文を訪問
  4月14日 征討衝背軍 川尻を占領、熊本城下に入る
    同    薩軍 熊本城包囲を解き撤退
    同    征討総督 熊本城に本営を進める
    同    陸奥宗光 大江卓と会う
  4月15日 伊藤博文 大久保利通に山口の近衛兵の集まりが悪いと手紙で報告
  4月22日 薩軍 人吉に向う
  4月26日 西郷隆盛 人吉土手町永国寺に入る
  4月27日 征討軍 鹿児島を占領
  4月29日 別働第一旅団 鹿児島に入る
  5月 3日 島津久光 桜島に避難
  5月 4日 別働第四旅団 鹿児島に入る
  5月 6日 木戸孝允 最後の日記を付ける
  5月18日 斉藤一(藤田五郎) 九州に出張
  5月19日 明治天皇 木戸孝允を慰問
    ?    松平定敬 旧桑名藩士に立見尚文に従い義勇奉公せよと下賜う
  5月21日 立見尚文 三重県出張を許され募兵活動に入る
  5月26日 木戸孝允(45歳)京都で病没
    同    伊藤博文 陸奥宗光に木戸孝允の死を知らせる手紙を書く
  5月28日 木戸孝允 正二位を追贈される
  5月29日 西郷隆盛 加久藤超えで宮崎に向う
  5月30日 征討軍 人吉総攻撃
  6月 1日 人吉陥落 薩軍宮崎方面に敗走
    同    政府 郵便汽船三菱会社に外国汽船購入の資金を貸付ける
  6月 9日 立志社 民選議員設立建白書を提出
  6月26日 山田方谷(73歳)病没
  6月29日 立見尚文 陸軍歩兵少佐に任命され新撰旅団出仕を命じられる
  6月     立志社 岩神昂逮捕される
  7月 2日 立見尚文 参謀副長を命じられる
  7月14日 新撰旅団 神戸に入る
  7月20日 新撰旅団 鹿児島に入る
  7月21日 静寛院宮 脚気と診断される
  7月23日 新撰旅団 国分に入る
  7月24日 征討軍 鹿児島に本営を進める
  7月25日 新撰旅団 都城に入る
  7月28日 明治天皇 京を出て神戸に向う
  7月31日 征等軍 宮崎薩軍軍務所を占領
    同    明治天皇 神戸より三菱汽船「広島丸」に乗船し東京に向う 伊藤博文追従
  8月 1日 新撰旅団 宮崎で別働第三旅団との交代を命じられる
    同    明治天皇 東京に帰着
  8月 2日 西郷隆盛 延岡に入る
  8月 7日 静寛院宮 脚気治療のため箱根塔ノ沢に湯治のため入る
  8月 8日 立志社 林有造、片岡謙吉逮捕される
    同    朝廷 岩崎弥太郎と三菱会社に褒美を下賜
  8月14日 新撰旅団 延岡に入る
  8月15日 和田越の戦い 西郷隆盛陣頭指揮 北川町、児玉熊四郎宅に入る
  8月16日 西郷隆盛 直筆解散布告書発令 書類、軍服を焼く
  8月17日 薩軍 可愛岳強行突破
  8月18日 薩軍 火の谷野営の征討軍を急襲
  8月28日 薩軍 小林に入り、警察分署を襲う
  9月 1日 薩軍 城山に入る 米倉の攻防
  9月 2日 静寛院宮(皇女和宮32歳)箱根塔ノ沢元湯中田屋で病没
  9月 4日 寺田屋お登勢(48歳)病没
  9月 8日 山県有朋 包囲防守の基本戦術を立てる
  9月18日 鹿児島市内に戒厳令
  9月19日 城山包囲網完成し戦略を決定
  9月20日 山県有朋 総攻撃を24日午前4時と定める
    同    立見尚文 攻撃兵の隊長に指名される
  9月22日 薩軍使者、河野圭一郎、山野田一輔 征討軍本営に入る 山県有朋 使者に西郷隆盛宛の書簡を託す
  9月23日 西郷隆盛 薩軍290名の名簿を書く
  9月24日 城山総攻撃 西郷隆盛(51歳)切腹 桐野利秋(39歳)戦死 別府晋介(31歳)切腹 村田新八(41歳)切腹?戦死か
                  池上四郎、戦死 辺見十郎太(28歳)戦死 西郷他埋葬される 西南の役終結
    同    黒田清隆 伊藤博文に血涙を流すほどだと手紙を書く
  9月27日 大山巌 鹿児島を出港
  9月30日 大山綱良(53歳) 長崎桜町の獄舎で斬首
 10月10日 九州各地滞在の軍に順次凱旋令下る
 10月17日 東京神田錦町に学習院開校
 10月19日 三瀬周三(39歳)コレラで死亡
 10月22日 新撰旅団 鹿児島を出港
 10月25日 新撰旅団 東京に戻る
 10月28日 斉藤一(藤田五郎) 東京に戻る
 10月30日 明治天皇 新撰旅団を吹上御苑に召し勅語と酒饌を与え苑内拝観を許す
    同    立見尚文 自宅に戻る
 11月     三瀬タカ 長崎楠本イネのもとに戻る
 12月 2日 西南戦争論功行賞
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