baku 幕末年表 4 matu
明治十一年〜現代
幕末、明治維新 年号表                      ページが全て表示されるまで、リンクに少し時間が掛かってしまいます。

      享和年間 1801〜1803                文化年間 1804〜1817                文政年間 1818〜1829
天保元年 1830  天保二年 1831  天保三年 1832  天保四年 1833   天保五年 1834   天保六年 1835   天保七年 1836
天保八年 1837  天保九年 1838  天保十年 1839  天保十一年 1840 天保十二年 1841 天保十三年 1842  天保十四年 1843
弘化元年 1844  弘化二年 1845  弘化三年 1846  弘化四年 1847
嘉永元年 1848  嘉永二年 1849  嘉永三年 1850  嘉永四年 1851   嘉永五年 1852   嘉永六年 1853
安政元年 1854  安政二年 1855  安政三年 1856  安政四年 1857   安政五年 1858   安政六年 1859
万延元年 1860
文久元年 1861  文久二年 1862  文久三年 1863
元治元年 1864
慶応元年 1865  慶応二年 1866  慶応三年 1867
明治元年 1868  明治二年 1869  明治三年 1870  明治四年 1871   明治五年 1872   明治六年 1873
明治七年 1874  明治八年 1875  明治九年 1876  明治十年 1877        明治十一年〜 1878〜 
明治二十年〜 1887〜    明治三十年〜 1897〜    明治四十年〜 1907〜    大正元年〜 1912〜
明治十一年 1878

    ?    大村益次郎の顕彰碑 鋳銭司に建立 有栖川宮、三条実美、伊藤博文他70余名連名
  2月     伊藤博文 地方長官会議再興の建白書を提出する
  3月     黒田清隆 妻を斬殺
  3月     大久保利通 福島県下安積郡の原野開拓を建言
  3月 5日 伊藤博文 地方長官会議議長を任命される
    同    立見尚文 大阪鎮台歩兵第十聯隊第一大隊長を命じられる
  3月25日 島田一郎 金沢を出る
  4月 5日 島田一郎 東京に入る
  4月10日 地方長官会議
  5月 9日 川路利良 黒田清隆の妻を検分し大久保利通に報告
  5月14日 大久保利通 伊藤博文に参内を促す手紙を書く
    同    大久保利通(49歳)紀尾井坂で石川県士族、島田一郎ら6名に暗殺される
  5月15日 伊藤博文 内務卿に任じられる
    同    立志社 大江卓、岡本健三郎逮捕される
  5月16日 英国ロンドンタイムズ朝刊に大久保利通暗殺報道される
  5月17日 大久保利通 葬儀
  5月20日 立見尚文 大阪鎮台第八聯隊歩兵第二大隊長になる
  5月24日 西郷従道 文部卿 川村純義 海軍卿になる
  6月 2日 井上馨 ロンドンより帰国に向う
  6月 6日 伊藤博文 川路利良に植木枝盛についての返信を書く
  6月10日 陸奥宗光 逮捕される
  7月     豊永長吉 旧長府藩士の士族授産事業を開始するため興殖舎を設立
  7月     岩崎弥太郎 勲四等旭日小綬章を受ける
  7月14日 井上馨 帰国
  7月22日 郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則の地方三新法制定
  7月27日 大久保利通暗殺犯 6名斬罪
  7月29日 井上馨 工部卿になる

  8月 3日 陸奥宗光 亮子夫人に手紙を書く
  8月11日 乃木希典 結婚
  8月21日 陸奥宗光 除族の上、禁獄5年の判決を受ける
  8月23日 竹橋事件 近衛砲兵大隊暴動、一夜で鎮圧
  8月30日 明治天皇 北陸、東北巡幸に出発 岩倉具視、大隈重信、井上馨、大山巌同道
  9月 1日 陸奥宗光 山形監獄に送られるため東京を出る
 10月 8日 山県有朋 「陸軍局上申」を太政官に提出
 10月15日 明治天皇 京都に入る
    同    竹橋事件首謀者 銃殺刑
 10月20日 明治天皇 京都を出る
 11月 8日 明治天皇 藤沢で大山巌に特別に声を掛ける
 11月 9日 明治天皇 東京に帰る
 12月 4日 伊藤博文 琉球の領土問題について三条実美に建白書を送る
 12月 5日 参謀局廃止し参謀本部を設置
 12月24日 西郷従道 陸軍卿 山県有朋 参謀本部長に就任
    ?    斉藤一(藤田五郎) 警視局警部試補になる

明治十二年 1879

  1月     豊永長吉 豊永組を設立
  2月 4日 立見尚文 大阪鎮台幕僚参謀になる
  4月15日 酒井孫八郎(34歳)病没
  5月     人見勝太郎 茨城県大参事に任じられる
  6月     東京招魂社 靖国神社と改称
  6月26日 立見尚文 父に天覧対抗演習について手紙を書く
  7月 3日 前米国大統領グラント来日 浜離宮に入る
  7月11日 天覧対抗演習 12日も
  7月12日 立見尚文 近衛参謀になる
  7月22日 伊藤博文、西郷従道 避暑のため日光に滞在中のグラントを訪問し琉球問題の調停を願う
  8月10日 明治天皇 浜離宮のグラントを訪問し日本に対する忠告を求める
  8月31日 大正天皇 東京青山に生まれる
    同    坂本乙女(49歳)病没
  9月 2日 安重根 朝鮮黄海道海州に生まれる
  9月29日 教育令発布
 10月     井上馨 外務大臣に就任
 10月13日 川路利良(45歳)死亡
 11月     森有礼 英国公使になる
 12月     人見勝太郎 従六位に叙される
 12月 1日 大阪に手形交換所開設
 12月 5日 千葉貞吉 死亡
 12月     陸奥宗光 仙台監獄に移る
 12月     中島信行 陸奥宗光に面会
 12月20日 立見尚文 従六位に叙される
    ?    斉藤一(藤田五郎) 警視局警部補になる

明治十三年 1880

    ?    永倉新八(杉村義衛)北海道に戻る
    ?    徳川慶喜 正二位に叙される
  1月25日 立見尚文 父に叙された喜びを伝える手紙を書く
  2月28日 参議入替
  3月     人見勝太郎 茨城県令に就任
  3月15日 愛国社大会 開催
  4月     山川浩 陸軍大佐、名古屋鎮台幕僚参謀長になる
  4月19日 愛国社大会 国会期成同盟とし国会開設運動にまい進することを決議し閉会
  5月     松平容保 正四位に叙される
  6月     松平容保 日光東照宮宮司と猪苗代の土津公神社祠官の兼務を命じられる
  6月     人見勝太郎 箱根湯本に遊撃隊士の墓を建立
  7月     人見勝太郎 従五位に叙される
 10月 9日 本寿院 天璋院に手紙を書く
 12月14日 伊藤博文 憲法設定、国会開設についての意見書を提出
    ?    林昌之助 箱根湯本遊撃隊士の墓を詣でる

明治十四年 1881                                                幕末、明治維新 年号表へ

    ?    林昌之助 大阪の下級官吏に採用される
  1月12日 大隈重信 熱海滞在中の伊藤博文、井上馨を訪問
  3月     大隈重信 憲法問題の意見書を左大臣、有栖川宮に提出
  4月     江藤新平 西田代本行寺に改装される
  4月 7日 農商務省設立
  6月     船岡山に時山直八の石碑建立
  6月 4日 山県有朋 御前で立憲政治の意見を述べる
  6月     山県有朋 越後、北陸、山陰道を視察に出る
  6月22日 伊藤博文 立憲政治の意見を奏上
  7月 4日 大隈重信 伊藤博文を訪問
  7月28日 北海道利権払下問題 閣議
  7月30日 明治天皇 東北、北海道巡幸に出発 大隈重信、立見尚文追従
  8月30日 明治天皇 札幌に入る
  9月 2日 明治天皇 千歳に入る
  9月29日 伊藤博文 黒田清隆を訪問
 10月 8日 岩倉具視邸に参議集合 大隈重信罷免の打合せ
    同    伊藤博文 岩倉具視に国会設立に関する手紙を書く
 10月11日 明治天皇 帰京
    同    大隈重信 罷免される
 10月12日 明治23年国会設立の大詔下る
    同    大隈重信 辞表提出
 10月18日 板垣退助 自由党を結成
    同    桜田事変生残り、益子金八(60歳)死亡
 10月21日 太政官の職制変更
 12月     星亨 陸奥宗光を訪問し翻訳の監修をする
    ?    徳弘考蔵(75歳)死亡

明治十五年 1882

    ?    上野彦馬 洋風写真撮影場を新築
  1月     三島通庸 山形県令より福島県令に着任
  1月 4日 明治天皇 大山巌に「軍人勅諭」を下賜
  1月16日 千葉重太郎一家 京に向うため新橋より機関車に乗車
  2月 8日 開拓使廃止
  2月28日 三島通庸 六郡の郡長を若松に招集し三方道路の着工を通達
  3月 3日 明治天皇 伊藤博文を呼び憲法調査の勅書を渡す
  3月 6日 芝、紅葉館で伊藤博文一行の送別会
  3月14日 伊藤博文一行 勅命による憲法調査のため横浜を米船「ゲーリック」で出港
  3月16日 会津若松融通寺で六郡連合会 三方道路着工を議決
  3月22日 伊藤博文一行 香港に入る
  4月 2日 伊藤博文一行 シンガポールに入る
  4月 6日 板垣退助 岐阜で襲われる
  4月16日 大隈重信 改進党を結成する
  4月22日 伊藤博文一行 スエズに入港
  4月29日 伊藤博文一行 アレキサンドリアに入る
  5月 3日 井上馨 伊藤博文に板垣退助遭難など国内の事情を手紙に書く
  5月 5日 伊藤博文一行 ナポリに入る
  5月 7日 伊藤博文一行 ローマに入る
  5月16日 伊藤博文一行 ベルリンに入る
  5月17日 伊藤博文 駐独公使、青木周蔵とビスマルクを訪問
  5月30日 福島県令、三島通庸 太政大臣三条実美に会津士族の窮状を伝え授産金交付を願い出る
    ?    福島通常県会 全議案否決で散会
    ?    福島県令、三島通庸 内務卿、山田顕義に原案執行の許可を要請
  6月     日本銀行設立
  6月     福島県令、三島通庸 六郡連合会に三方道路の着工を督促する
  6月 1日 明治天皇 下総印旛郡の種育場に行幸
  6月 6日 伊藤博文 妻梅子にベルリンの様子などを手紙に書く
    同    政府 福島県令、三島通庸に予算執行権を与える
  6月15日 山県有朋 伊藤博文に国内事情を知らせる手紙を書く
  6月30日 町野主水、諏訪伊助、辰野宗治 連名で会津帝政党結社届けを県に提出
    ?    福島県令、三島通庸 会津帝政党に授助金三万円を交付
  8月11日 伊藤博文 岩倉具視に憲法に関する考え方を手紙に書く
  8月16日 会津若松で三方道路起工式
  8月17日 会津若松清水屋事件
  8月24日 大山巌の妻、沢子 病没
  8月28日 伊藤博文 ベルリンの宮殿で皇帝ウィルヘルム一世に拝謁
  8月30日 伊藤博文 パリに入り有栖川宮に欧州の現状を報告
    ?    町野主水 妻よし子(33歳)を喪う
  9月     森有礼 パリで伊藤博文と会談、教育論で合致
  9月     政府 会津士族に恩賃授産金の交付を決定
  9月     千葉佐那 東京に戻り学習院に勤める
  9月30日 伊藤博文 ウィーンに入る
 10月     杉村義衛(永倉新八) 北海道樺戸監獄の剣術師範になる
 10月     徳川家達 英国より帰国
 11月     中島登 栽培に成功した葉蘭を写生させる
 11月     陸軍大学を設け参謀本部の管轄に置く
 11月 6日 徳川家達 近衛泰子と結婚
 11月11日 板垣退助、後藤象二郎 欧州に出発
 11月21日 松陰神社祭典
 11月24日 会津自由党、宇田成一 詐欺容疑により東山温泉向滝旅館で逮捕
 11月28日 喜多方事件
 12月30日 陸奥宗光 特赦の恩命を受ける

明治十六年 1883                                                      幕末、明治維新 年号表へ

  1月     伊藤博文 井上馨に条約改正は困難と手紙を書く
  1月 4日 陸奥宗光 仙台監獄を出獄
  1月 8日 陸奥宗光 仙台を出る
  1月13日 陸奥宗光 東京に入る
  1月24日 坂崎紫瀾 土陽新聞に「汗血千里駒」の連載を開始
  1月31日 在京和歌山県人 芝、紅葉館で陸奥宗光の祝宴を開く
  2月 1日 有栖川宮 帰国
  2月 4日 陸奥宗光 中島信行に自由党入党を要請されるが拒否
  4月15日 陸奥宗光 和歌山に向う
  4月26日 和歌山で陸奥宗光の大歓迎会
  5月 2日 伊藤博文 パリに入る
  5月27日 伊藤博文 モスクワでロシア皇帝戴冠式い出席
  6月22日 板垣退助 帰国
  6月23日 伊藤博文 ローマに入る
  6月26日 伊藤博文一行 ナポリより仏船「タイナス号」乗船帰国に向う
  7月20日 岩倉具視(59歳)病没
  7月25日 岩倉具視 国葬
  7月     伊藤博文一行 上海で岩倉具視の訃報を聞く
  8月 1日 徳川慶勝(60歳) 死亡 新宿西光庵に埋葬される
  8月 4日 伊藤博文一行 横浜入港
  8月 5日 明治天皇 伊藤博文に慰労の酒肴を送る
  8月 6日 伊藤博文 参内し明治天皇に憲法調査、露皇帝戴冠式などを報告
  8月22日 天璋院 徳川泰子に手紙を書く
  9月19日 伊藤博文 立憲政治の腹案を奏上
 11月     大山巌 山川浩の妹、捨松と結婚
 11月16日 川村清雄 勝海舟に江戸開城図を持参
 11月12日 天璋院篤姫(48歳)東京千駄ヶ谷徳川邸で病没 従三位に複される
 11月28日 鹿鳴館 開館
 12月     山県有朋 内務卿になる
    ?    松平容保 会津に帰る
    ?    アーネストサトウ 英国に帰国

明治十七年 1884


  1月19日 立見尚文 勲四等旭日小綬章を受章
  2月     大山巌 欧州視察に出発
  2月10日 立見尚文 陸軍歩兵中佐第一聯隊長になる
  3月17日 伊藤博文 憲法制度取調局長官になる
  3月21日 伊藤博文 宮内卿を兼務
  4月     高松城天守閣解体
  4月13日 大浦慶(55歳)死亡
  4月26日 陸奥宗光 外遊のため横浜を出港
  5月     群馬事件
  7月 7日 華族令 公布
  8月     福島三方道路 竣工
  9月     加波山事件
 10月29日 自由党結党三周年記念党大会 大阪北野、大融寺で開催 解党を決議
 11月28日 間部詮勝(81歳)死亡
 11月 1日 秩父暴動
 11月     勝海舟 吉井友実より西郷隆盛の長男寅太郎が洋行し軍人になるよう説得することを頼まれる
    ?    勝海舟 西郷隆盛の長男寅太郎と会う
 12月     福島県令、三島通庸 町野主水を大沼郡長に諏訪伊助を北会津郡長に登用
 12月 4日 朝鮮事件
    ?    町野主水 正八位に叙される
    ?    会津若松の有志 旧大町札の辻に会津新道碑を建立
    ?    中島登 鉄砲販売の免許を受ける
    ?    アーネストサトウ 万国赴任

明治十八年 1885
                                                      幕末、明治維新 年号表へ

    ?    品川弥二郎 駐独公使赴任
  2月 7日 岩崎弥太郎(52歳)病没
  2月24日 伊藤博文 天津に派遣されることが決まる
  2月28日 伊藤博文 横浜出港
  3月14日 伊藤博文 天津に入る
  3月     伊藤博文 北京に入る
  4月     谷干城 学習院校長になる
  4月 1日 伊藤博文 天津に戻る
  4月 4日 伊藤博文 李鴻章と交渉に入る
  4月18日 伊藤博文 天津条約を結ぶ
  4月19日 伊藤博文 天津を出る
  4月28日 伊藤博文 横浜入港後、参内し明治天皇に報告
  5月 7日 千葉重太郎(62歳)京都府立病院で病没
  5月21日 川上操六 参謀次長 乃木希典 陸軍少将に就任
  5月26日 立見尚文 新設の近衛歩兵第三聯隊長になる
  6月20日 陸奥宗光 オーストリア、ウィーンに入りシュタイン教授の教えを乞う
  7月     東郷平八郎 神戸小野浜の造船所に監督官として派遣され新港倶楽部を寓居とする
  7月 3日 オーストリヤ公使、西園寺公望 伊藤博文に手紙を書き陸奥宗光の猛勉振りを伝える
  7月 7日 明治天皇 高輪、伊藤博文邸を臨幸
  7月 8日 人見勝太郎 茨城県令を罷免される
  7月26日 明治天皇 九州巡幸に出発 伊藤博文随行
  7月29日 明治天皇 三田尻に入港
  8月 6日 明治天皇 岡山学校に臨幸
  8月 8日 明治天皇 姫路に入る
  8月 9日 明治天皇 明石に入り浜光明寺に宿泊
  8月10日 明治天皇 神戸に入る
  9月25日 五代友厚(51歳)死亡
  9月29日 三菱汽船、共同運輸 合併、日本郵船となる
 10月27日 明治天皇 立見尚文に聯隊旗を親授
    ?    林昌之助 結婚
 11月14日 日向内記(60歳)死亡
 12月22日 官制大改革、新内閣制度発足 内閣総理大臣兼宮内大臣、伊藤博文 外務大臣、井上馨 内務大臣、山県有朋
                  大蔵大臣、松方正義 陸軍大臣、大山巌 海軍大臣、西郷従道 司法大臣、山田顕義 文部大臣、森有礼
                  農商務大臣、谷干城 通信大臣、榎本武揚 内閣書記長官、田中光顕 法務局長官、山尾庸三

明治十九年 1886


    ?    杉村義衛(永倉新八) 東京に撃剣道場を開く
    ?    新宮馬之助 死亡
  1月15日 オーストリヤ公使、西園寺公望 伊藤博文に手紙を書き陸奥宗光を政府に採用するように進言
  2月 1日 陸奥宗光 帰国、神戸に入港
  3月     森有礼 「帝国大学令」を制定
  3月     山川浩 総務局制規課長になる
  4月     森有礼 「師範学校令」「中学校令」「小学校令」を制定
  4月10日 木戸松子(幾松44歳) 京都で病没
  5月 1日 井上馨 列国共同、条約改正会議を東京で開催
  5月23日 伊地知正治(59歳)死亡
  5月24日 中島登の妻よね(34歳)死亡
  8月13日 清国水兵暴行事件
  8月22日 近衛都督陸軍中将小松宮彰仁親王 欧州出張に出発、立見尚文随行
 10月     山川浩 陸軍少将に昇進 山県有朋「賊徒」を昇進させたと激怒
 10月24日 英国貨物船「ノルマントン号」紀州沖で遭難沈没 英国水夫全員避難するが日本人乗客22名全員死亡
 10月28日 陸奥宗光 外務省弁理公使に就任
 11月     森有礼 婚姻契約を解除し妻と離婚
 11月 3日 井上馨 鹿鳴館で大夜会開催
 11月10日 榊原鍵吉 鉢試し
 11月30日 川上操六、乃木希典 独国に留学
 12月     山川浩 陸軍少将に昇進

明治二十年 1887
                                                     幕末、明治維新 年号表へ

    ?    松平容保 東京に移転
    ?    アーネストサトウ 英国に帰国し弁護士の資格を取る
  1月     町野主水 梅宮兵三郎の長女マツと三度目の結婚
  1月 3日 佐世保軍港起工式
  1月14日 井上馨 外務大臣官邸で大夜会開催
  1月15日 伊藤博文 総理大臣官邸で夜会開催
  1月27日 大山巌 陸軍大臣官邸で大夜会開催
  2月15日 千葉佐那 学習院を退職
  3月12日 伊藤博文 参内し国防資金調達を奏上
  3月23日 伊藤博文 鹿鳴館に地方長官を集め各地の有志より海防献金を集めることを要望
  4月 2日 中島登(50歳) 浜松で死亡
  4月19日 外務大臣、井上馨 陸奥宗光を外務省特命全権大使に内奏する
  4月20日 伊藤博文 総理大臣官邸で大仮装舞踏会開催
  4月27日 陸奥宗光 外務省特命全権大使に昇進
  5月29日 伊藤博文 辞表を提出するが明治天皇却下
  6月     森有礼 岩倉具視の五女と再婚
  6月 4日 伊藤博文 夏島の別荘落成
  6月 9日 伊藤博文 夏島より妻梅子に手紙を書く
  7月16日 伊藤博文 夏島より上京
  7月20日 谷干城 参内し井上馨の条約改正案に反対の意見を奏上し辞表を提出
  7月23日 明治天皇 伊藤博文を呼び外務省の秘密主義を批判
  7月25日 土方久元 農商務大臣になる
  7月29日 井上馨 列国公使に条約改正を無期延期すると通告
  8月13日 伊藤博文 夏島より上京し井上馨に会い大隈重信の入閣に賛成
  9月     井上馨 外務大臣を辞任
  9月16日 伊藤博文 参内し内閣改造を奏上
  9月17日 伊藤博文 外務大臣を兼任 土方久元、宮内大臣 黒田清隆、農商務大臣
 10月18日 民権派 星亨、片岡謙吉ら地祖軽減、言論集会の自由、条約改正の三項目の要求 「三大事件建白書」を政府に提出
 11月 1日 伊藤博文 広島、長崎、鹿児島、沖縄の海防巡視を命じられる
 11月 8日 伊藤博文 海防巡視のため横浜を出港
 11月16日 立見尚文 陸軍歩兵大佐になる
 12月 6日 島津久光(71歳)死亡
 12月17日 伊藤博文 帰京し明治天皇に視察の状況を報告
 12月18日 島津久光 国葬
 12月26日 山県有朋 保安条例を発布し民権派を弾圧

明治二一年 1888

    ?    徳川慶喜 従一位に叙される
    ?    山川浩 尋常中学校を創設し会津学校会を設立
  1月10日 伊藤博文、大隈重信 富貴楼で会見
  2月 1日 大隈重信 外務大臣就任
  3月 6日 徳川慶喜 紺屋町から西草深邸に住居を移す
  4月     大日本帝国憲法草案完成 伊藤博文、明治天皇に奉呈
  4月     伊藤博文 辞任
  4月     陸奥宗光 辞表を提出
  4月30日 黒田清隆内閣 発足
  4月     伊藤博文 新設の枢密院議長に就任
  5月 8日 赤坂仮皇居 枢密院開院式
  5月20日 陸奥宗光 米国に赴任するため横浜を出港
  5月25日 枢密院 皇室典範の審議に入る
  6月15日 枢密院 皇室典範の審議を終える
  6月18日 枢密院 憲法の審議に入る(明治22年1月31日まで14回を行う)
    ?    陸奥宗光 自らの演説を蓄音機に録音し機器と共に井上馨に送る
  7月19日 山岡鉄舟(53歳)病没
  7月30日 大久保一翁(72歳)死亡
  8月     伊藤博文 朝鮮、ウラジオストク巡視に出発
  8月25日 大野右仲 山形県南村山郡長になる
  9月     陸奥宗光 伊藤博文に米国議会政治の実情を手紙で報告
  9月24日 伊藤博文 ウラジオストクに入る
 10月23日 三島通庸(54歳)病没
    ?    山県有朋 欧州視察に出る
 11月     陸奥宗光 メキシコと平等条約を結ぶ
 12月18日 大隈重信 陸奥宗光にメキシコとの最恵国条約を良しとする手紙を書く
 12月20日 陸奥宗光 日米条約の改正交渉に入ることを命じられる
    ?    斉藤一(藤田五郎) 警視局警部になる

明治二二年 1889

  2月11日 
大日本帝国憲法発布
    同    議院法、衆議院議員選挙法、貴族院令公布
    同    森有礼 西野文太郎に自宅で襲われ重体
    同    伊藤博文 旭日桐花大綬章を受ける
    同    大赦により西郷隆盛の賊名が解かれ正三位、藤田東湖、佐久間象山、吉田松陰正四位を追贈、江藤新平罪を許される
    同    黒田清隆、総理大臣官邸で大夜会
  2月12日 森有礼(43歳)死亡
  2月15日 伊藤博文 枢密院議長官舎に全国府県会議長を招き憲法制定の趣旨を説明
  3月     立見尚文 第三師団参謀長として名古屋に赴任
  3月23日 梶原平馬(48歳)北海道で死亡
  3月27日 陸奥宗光 外務大臣秘書官、加藤高明に外交の難しさについて手紙を書く
  3月29日 陸奥宗光 大隈重信外務大臣に大隈案新条約が憲法に抵触しないかを問う手紙を書く
  4月 6日 板倉勝静(67歳)死亡
  5月14日 大隈重信 陸奥宗光に便宜主義的な返書を書く
  8月     陸奥宗光 外務大臣秘書官、加藤高明に憲法抵触問題を充分に検討せよとの手紙を書く
  9月     立見尚文 近衛師団参謀長になり東京に赴任
  9月 1日 陸奥宗光 勲二等瑞宝章を賜る
    同    松江豊寿 仙台陸軍幼年学校入学
  9月20日 大野右仲 山形県南村山郡長を退職
  9月22日 大野右仲 秋田県警察部長になる
 10月 2日 山県有朋、帰国 大隈案条約改正に反対の立場をとる
 10月11日 伊藤博文 辞表を提出するが受理されず
 10月15日 条約改正問題 御前会議
 10月17日 大隈案条約改正問題 閣議
    同    井上馨 辞表を提出
 10月18日 大隈案条約改正問題 閣議終了後、大隈重信の馬車に来島恒喜、爆弾を投げつけ皇居に向い割腹、大隈重信片足を失い入院
 10月19日 臨時閣議 黒田清隆、条約改正を中止
    同    黒田清隆、山県有朋、後藤象二郎、伊藤梅子 大隈重信を見舞う
 10月20日 伊藤博文 大隈重信を見舞う
    同    伊藤博文 辞表を提出
 10月22日 黒田清隆 総辞職を決意し参内し後継総理に山県有朋を推薦
    ?    大隈重信以外の全閣僚総辞職
 10月25日 内大臣、三条実美 総理大臣を兼務
 10月30日 伊藤博文 枢密院議長を免じられ宮中顧問となる
    ?    伊藤博文 陸奥宗光に電報を打ち帰国を要請
 12月     陸奥宗光 帰国のためワシントンを出発
 12月24日 第一次山県内閣発足
    ?    アーネストサトウ ウルグアイ赴任
    ?    楠本イネ タカと3人の孫と共に東京に出る
    ?    大阪麦酒会社設立

明治二三年 1890
                                                      幕末、明治維新 年号表へ

  1月18日 前庄内藩主、酒井忠篤 南洲翁遺訓出版
  1月21日 大井憲太郎、中江兆民 自由党を再建
  1月23日 新島襄(47歳)大磯で死亡
  1月25日 陸奥宗光 横浜に入港
    ?    陸奥宗光 総理大臣、山県有朋に面会
  2月 6日 陸奥宗光 家族と旅行に出発
  2月21日 井上馨 陸奥宗光に手紙を書き閣僚入りがならなっかたことを詫びる
  3月 6日 小曽根英四郎(50歳)死亡
  5月14日 明治天皇 伊藤博文に詔書を送る
  5月17日 山県内閣改造 陸奥宗光、農商務大臣に任命、元国事犯が大臣になること初
  6月     山県有朋 陸軍大将に昇進
  6月 2日 松平春嶽 死亡
  7月 1日 第一回衆議院議員総選挙
    同    山川浩 会津独立党を結成し出馬するも次点
  8月     三島中州により長岡に河井継之助の碑建立される
  9月     秋月悌次郎 熊本第五高等学校の教授になる
  9月     山川浩、谷干城、曽我祐準 貴族院議員に勅選される
  9月15日 旧自由党主流 立憲自由党結成
  9月16日 「エルトゥールル」号遭難
  9月17日 串本大島樫野の住民「エルトゥールル」号の乗組員を救助
 10月 5日 星亨 横浜に入港帰国
 10月24日 伊藤博文 貴族院議長になる
 10月30日 教育勅語 発布
 11月25日 第一議会、日比谷議事堂で開会
    ?    松本良順 貴族院議員に勅任される
    ?    永倉新八(杉村義衛)鉄道で京都に行く

明治二四年 1891


  1月20日 議事堂 焼ける
  1月27日 佐柳高次(55歳)死亡
  2月18日 三条実美(55歳)死亡
  2月20日 予算修正案 土佐派の裏切りで可決
  2月24日 板垣退助、片岡謙吉、林有造ら27名 立憲自由党を脱党し自由倶楽部結成
  2月25日 三条実美 国葬
  3月 2日 本会議で政府案、可決される
  3月 7日 第一議会 閉会
  3月19日 立憲自由党 自由党に改名し板垣退助を総理とする
  4月 9日 山県有朋 伊藤博文を後任に推薦
  4月     坂本龍馬 正四位を追贈される
  4月     斉藤一(藤田五郎) 警視局を退官後、東京師範学校に勤務を始める
  4月22日 吉井友実(64歳)病没
  5月     山県内閣総辞職 山県有朋、明治天皇より元勲勅語をうける
  5月 6日 松方正義内閣 発足
    ?    上野彦馬 ニコライ皇太子の写真を撮影
  5月10日 ニコライ皇太子 東本願寺再建費用に200円を寄付
  5月11日 大津事件
  5月12日 伊藤博文、黒田清隆 大津事件の処理のため品川駅より汽車で京に向う
  5月13日 伊藤博文、黒田清隆 京に入り常盤ホテルのニコライ皇太子を見舞う
  5月     明治天皇 ニコライ皇太子を神戸まで送る
  5月     明治天皇 露艦「アゾア号」に招待される
  5月19日 ニコライ皇太子 帰国のため神戸より出港
    同    徳川美香子 乳癌手術
  5月21日 明治天皇 京より東京に向う伊藤博文同行
  5月22日 明治天皇 東京に入る
  5月27日 大審院特別法廷、大津地方裁判所 大津事件判決、児島惟謙、司法の独立を守り抜く
  5月31日 ニコライ二世 シベリア鉄道起工式で鍬入れ
  6月 1日 伊藤博文 二度目の枢密院議長に就任
  7月 1日 永井主水正尚志(76歳)病没
  8月     山川浩 結核治療のため職を辞す
  8月13日 陸奥宗光、提案の政務部の新設 上奏される
  8月17日 明治天皇 松方正義を招き閣員一致で国務にあたるように勅語を出す
  9月14日 陸奥宗光 政務部長を辞任
 10月     陸奥宗光 水産業界振興に対する演説の原稿を書く
 10月 1日 大津事件の犯人、津田三蔵 北海道の刑務所で死亡
 10月 3日 陸奥宗光 伊藤博文に傍観せずに中央に出るよう書簡を送る
 11月 8日 星亨 板垣退助と大隈重信を会見させる
 11月26日 第二議会開会
 11月30日 予算案提出
 12月17日 津崎村岡局に特旨従四位が贈られる
 12月25日 松方正義 解散権行使、国会解散
    ?    広沢安任(62歳)死亡
    ?    大阪麦酒会社吹田村醸造所完成

明治二五年 1892                                                幕末、明治維新 年号表へ

  1月22日 伊藤博文 参内し意見を奏上
  2月 1日 子母澤寛 生まれる
  2月15日 第二回衆議院議員総選挙 歴史的な大干渉の下に行われる
  3月14日 陸奥宗光 政府の選挙干渉に反対し農商務大臣を辞任、枢密顧問官の閉職に勅命で任命される
  3月27日 陸奥宗光 岡崎那輔に政治工作を指示する手紙を書く
  4月     星亨 自由党員に前向きに条約改正運動を行うように演説
  4月12日 陸奥宗光 岡崎那輔に和歌山議員は一致団結するようにと手紙を書く
  5月 2日 第三議会召集 衆議院議院議長選挙で星亨選出
  5月 3日 陸奥宗光 岡崎那輔に星亨の議長選出を可とし議会運営を指示する手紙を書く
  6月14日 松方正義 伊藤博文を後継に推薦して辞意を表明
  7月21日 近藤つね(56歳)死亡
  7月30日 松方内閣 総辞職
  8月 1日 大野右仲 青森県警察部長になる
  8月 7日 陸奥宗光 岡崎那輔、内田康哉と隅田川で舟遊び
  8月 8日 第二次伊藤内閣成立 司法大臣、山県有朋 通信大臣、黒田清隆 内務大臣、井上馨 農商務大臣、後藤象二郎
                        陸軍大臣、大山巌 外務大臣、陸奥宗光の元勲内閣の誕生
 11月27日 伊藤博文 馬車の事故で重傷
 12月     松江豊寿 陸軍士官学校に進む
 12月 1日 第四議会開会 伊藤博文、条約改正決行の必要性を演説
 12月20日 伊達宗城(75歳)死亡
 12月28日 山本覚馬(65歳)死亡
    ?    人見勝太郎 利根運河株式会社設立

明治二六年 1893


  1月     政府弾劾上奏案 可決
  1月     朝鮮 東学党の乱始まる
  2月 3日 伊藤博文 慰問のお礼に参内
  2月 5日 大村益次郎の銅像 靖国神社に建立
  2月 9日 伊藤博文 参内し建艦を進めることを請願
  2月10日 明治天皇 建艦の詔勅を発する
  2月28日 第四議会 閉会
  3月21日 大野右仲 青森県警察部長を退職
  5月30日 菅野覚兵衛(52歳)病没
  6月13日 清水次郎長(74歳)死亡
  7月 5日 陸奥宗光 条約改正案をまとめ閣議に提出
  7月 8日 臨時閣議 条約改正の取り進め方を定める
  7月10日 自由党演説会 星亨、条約改正は国内一致で政府に協力する必要があると強調する
  7月19日 伊藤博文、陸奥宗光と参内し条約改正の御裁可を得る
  7月25日 陸奥宗光 青木周蔵に国内の体制は万全なので安心せよとの手紙を書く
  8月 4日 陸奥宗光 駐独公使、青木周蔵に対し英国との条約改正交渉に入るよう指示する
  8月18日 青木周蔵 英国との条約改正予備交渉に入る
 10月     山県有朋 海軍拡張の建議を行う
 10月30日 旧請西藩林家 華族に列せられ名誉を回復
 11月29日 第五議会開会 議長不信任案通過
 12月     陸奥宗光 青木周蔵に日英条約改正全権委任状を与える
 12月 5日 松平容保(59歳)東京で病没
 12月 9日 松平容保 内藤新宿正受院に埋葬される(後改葬)
 12月19日 現行条約励行建議案 緊急動議として議会に上程されるが政府、詔勅をもって10日間議会を停会
 12月29日 議会再会 現行条約励行建議案、再び上程、陸奥宗光、歴史的な大演説を行う
    ?    政府系新聞、外字紙 陸奥宗光の演説を近来にない名演説と報じる
    ?    英国臨時代理公使 ド・ブンセン 陸奥宗光に書簡で演説は政府の方針が誠心誠意のものであったと書き送る
 12月30日 国会解散
    ?    アーネストサトウ モロッコ赴任

明治二七年 1894
                                                      幕末、明治維新 年号表へ

    ?    河田小龍 京に移転
    ?    松平定敬 日光東照宮の宮司となる
  1月 1日 陸奥宗光 宮中で各国公使と面談
  1月 2日 陸奥宗光 伊藤博文に書簡で昨日の各国公使面談の様子を伝える
  2月     安岡金馬(52歳)死亡
  3月 1日 総選挙 条約改正反対派躍進
  3月20日 林昌之助 特旨により華族となり従五位に叙せられる
  3月27日 陸奥宗光 青木周蔵に英国との正式交渉について書簡を送る
  4月27日 宮城道雄 神戸に生まれる
  5月 2日 青木周蔵 英国バーディ次官補を訪ね英国の不安を払拭
  5月 4日 朝鮮で反乱 朝鮮政府鎮圧のため清国に派兵を要請
  5月16日 第六議会 伊藤博文、条約改正は政府の一大義務と施政方針演説
  5月31日 政府非難決議案 衆議院で可決
  6月 2日 議会解散
    同    清国の朝鮮出兵に対し朝鮮派兵閣議決定
  6月 4日 日本 朝鮮出兵
  6月 5日 政府 明治天皇に奏請し三宅坂参謀本部に大本営設置
  6月 9日 大島義昌少将率いる混成旅団 渡朝を開始
  6月10日 大鳥圭介駐朝公使 京城に入る
  6月12日 日本軍 仁川上陸
  6月14日 伊藤博文 閣議で清国政府と協力の方針を計る
    同    立見尚文 陸軍少将松山歩兵第十旅団長になる
  6月21日 明治天皇 派兵に対し疑念を表す
  6月22日 陸奥宗光 清国駐日大使に長文の外交文書第一次絶交状を送る
  6月30日 伊藤博文 英国に依存したほうがよいのではないかと陸奥宗光に手紙を書く
  6月     露国 日清両国に撤兵を申し入れる
    ?    勝海舟 坂本龍馬の肖像画に「嗚呼南海偉男士」と賛辞を添える
  7月 1日 伊藤博文 英国艦隊が露国を牽制してくれればと陸奥宗光に手紙を書く
  7月 2日 伊藤博文 情勢を英国公使に知らせておくようにと陸奥宗光に手紙を書く
  7月 9日 徳川美香子(60歳)病没
  7月11日 陸奥宗光 在韓、大鳥公使に日清衝突も辞さない強行手段を命じる
  7月12日 青木周蔵 英国との最後交渉に入る
  7月13日 青木周蔵 陸奥宗光に英国との新条約調印が明日行われると電報を打つ
  7月15日 青木周蔵 陸奥宗光に英国外務大臣が難色を示していると電報を打つ
    同    陸奥宗光 青木周蔵に事実無根と電報で返書
  7月16日 日英新条約調印
  7月17日 陸奥宗光 早朝に青木周蔵より調印完了の電報を受ける
    同    陸奥宗光 参内し日英新条約調印を伏奏、青木周蔵に成功の労をねぎらう電報を打つ
    同    大本営で御前会議
  7月19日 陸奥宗光 在京英国臨時公使を通じ清国に最後通牒を出す
    同    陸軍大臣、西郷従道 陸奥宗光に戦端を開くときの外交上の問題を質問
    同    明治天皇 戦争を避ける道はないかと下問
  7月20日 軍令部長、樺山資紀 東京より佐世保に向う
  7月22日 軍令部長、樺山資紀 佐世保に入り海軍の出動命令を伝達
  7月23日 連合艦隊司令長官、伊東祐享 艦隊を率い朝鮮西海岸に向け出港
    同    日本軍 朝鮮官邸に入りクーデターを慣行
    同    明治天皇 軍事手段以外の方法を下問
    ?    青木周蔵 英国外務大臣に英国政府の好意に感謝を表す
    ?    英国外務大臣 新条約調印は日本にとって大きな意義があると表明
  7月25日 日清戦争 豊島沖の海戦より始まる 早朝 連合艦隊第一遊撃隊「吉野」「秋津州」「浪速」朝鮮西海岸豊島沖で
         清国軍艦「済造」「広乙」に遭遇、「済造」「吉野」に向け砲撃、日本艦隊応戦(日本側より砲撃?)
  7月28日 陸奥宗光 伊藤博文に増援を控えたいと手紙を書く
  7月29日 日清戦争 最初の陸戦 成歓の戦い 清国、根拠地の牙山を掃討
    同    伊藤博文 陸奥宗光に清国の増援に対し我軍が増援を控えるのは意味がないと手紙を書く
    ?    明治天皇 開戦を知り「閣臣らの戦争にして、朕の戦争に非ず」と表明
  7月31日 伊藤博文 清国の増援部隊進発の報を受け宣戦布告を明治天皇に上奏
  8月 1日 日本 清国に宣戦布告
  8月 5日 大本営 参謀本部より宮中に移行
  8月 8日 山県有朋 司令官に任命され朝鮮に向うことになった後、伊藤博文を訪問し決意を述べる
  8月10日 立見尚文 出動命令を受ける
  8月13日 立見尚文 広島を出港
  8月14日 立見尚文 釜山に入る
  8月21日 立見尚文 仁川に入る
  8月26日 日韓攻守同盟締結
  8月31日 明治天皇 大本営官僚を集め団結せよと上諭を下す
  9月     松江豊寿 陸軍歩兵少尉に任じられる
  9月 1日 総選挙
  9月 2日 伊藤博文 参内し大本営を下関に進めることを奏上、明治天皇まず広島にと言われる
  9月 4日 山県有朋 朝鮮に向う
  9月11日 榊原鍵吉 死亡
  9月13日 明治天皇 広島に向う 伊藤博文同行するが途中発病し名古屋で下車療養
    同    山県有朋 京城に入る
  9月15日 明治天皇 広島に到着
    同    日本軍 平壌総攻撃
  9月16日 日本軍 平壌を陥落入城
    同    混成立見旅団編成される
    同    伊藤博文 神戸に入り休養
  9月17日 黄海海戦 清国北洋艦隊、旅順口に逃走
  9月18日 伊藤博文 広島大本営に入る
  9月23日 混成立見旅団 平壌より義州に入る
  9月26日 日本軍 第二軍を編成
  9月29日 伊藤博文 妻梅子に病気になったことを伝える手紙を書く
 10月 8日 英国駐日公使 日清間の講和斡旋を申し出る
 10月10日 中井弘(57歳) 病死
 10月11日 陸奥宗光 伊藤博文に外国が干渉する前に大きな戦果を上げることが肝心と手紙を書く
 10月15日 井上馨 朝鮮派遣発令
    同    大山巌 出陣を前に訓示を出す
 10月17日 大山巌率いる第二軍 宇品を出港
 10月18日 第七臨時議会広島で開会 軍事費関係の法案、無修正満場一致で通過
 10月31日 混成立見旅団 鳳凰城を奪取
 11月 3日 山県有朋 大本営に「征清三策」を送る
 11月 6日 金州城攻撃
    同    米国駐日公使 講和斡旋を申し出る
 11月 7日 大連を占領
 11月20日 司令部を李家屯に置き旅順攻略の作戦会議
 11月21日 日本軍 旅順を陥落させる
 11月26日 陸奥宗光 伊藤博文に米国の調停に応じる時期ではないかと手紙を書く
 11月29日 山県有朋に召還の勅語下る
 12月 6日 山県有朋 九連城に進出
 12月10日 混成立見旅団 樊家台の戦い
 12月13日 清国政府 米国を通じ講和談判を申し出る
 12月18日 山県有朋 帰国し明治天皇に報告
 12月24日 第八議会開会
    同    混成立見旅団 鳳凰城に戻る
明治二八年 1895

  1月11日 伊藤博文、陸奥宗光 広島に向う
  1月15日 有栖川宮熾仁親王(61歳)死亡
  1月20日 大山巌率いる第二軍 山東省栄城に上陸し威海衛に向かう
  1月29日 有栖川宮熾仁親王 国葬
  1月30日 威海衛 総攻撃
  1月31日 清国講和使節 広島到着
  2月 1日 広島県庁で談判始まるが全権使節でないことが判明
  2月 2日 第二軍 威海衛に突入し砲台全てを占拠
  2月 4日 伊東祐亨率いる連合艦隊 露国北洋艦隊に水雷艇を使い攻撃を開始
  2月 6日 露国北洋艦隊 壊滅
  2月16日 伊藤博文 臨時軍事費の追加予算案を議会に上程
  3月14日 李鴻章 天津を出発
  3月17日 井上毅 病没
  3月18日 伊藤博文、陸奥宗光 下関に入る
  3月19日 李鴻章 下関に入る
  3月20日 下関で日清講和交渉に入る
  3月21日 日清第二回講和交渉
  3月24日 日清第三回交渉後 李鴻章 自由党、小山六之助にピストルで撃たれ重傷
  3月26日 伊藤博文 広島で文武重臣会議、清国に対し無条件休戦を許すことを決める
  3月29日 伊藤博文 下関に戻る
  3月30日 伊藤博文、陸奥宗光 李鴻章の病室を訪問、21日間の休戦を取り決める
    同    山口地方裁判所 小山六之助に無期懲役の判決
  4月 1日 日清第四回交渉 日本側講和条約案を提出
  4月10日 日清第五回交渉 陸奥宗光病欠
  4月15日 日清講和交渉最終会談
    同    山県有朋 戦後の軍備拡張を上奏
  4月17日 日清講和条約調印 李鴻章、帰国
  4月18日 伊藤博文、陸奥宗光 軍艦で下関より広島に入り明治天皇に上奏
  4月20日 明治天皇 講和条約を批准
  4月23日 露、仏、独の三国公使 外務省で講和条約に不服を述べる
  4月24日 広島大本営 御前会議
  4月25日 伊藤博文 舞子で静養中の陸奥宗光を訪問
  4月26日 伊藤博文 「三国干渉論」を書く
  4月27日 大本営を京都に移す
  5月 1日 旅順で山県有朋、日本軍幹部に三国干渉の結果を報告
  5月 5日 三国の勧告受諾決定し三国に覚書を伝達
  5月 8日 日清批准を交換
  5月12日 伊藤博文 妻梅子に三国干渉について手紙を書く
  5月13日 陸奥宗光 大磯で療養に入る
  5月25日 大山巌 京都で明治天皇に拝謁
  5月29日 大本営を東京に移す
  5月31日 陸奥宗光 上京
  6月     大山巌 陸軍大臣に戻る
  6月 5日 陸奥宗光 西園寺公望を外務大臣臨時代理にして大磯に戻る
  6月11日 混成立見旅団 大連に入る
  7月13日 立見尚文 松山に帰任
  7月19日 町田武須計(59歳)桑名で病死
  7月26日 アーネストサトウ 日本公使として赴任
  8月20日 立見尚文 男爵を授けられ功三級金鵄勲章と勳三等旭日中授章を受ける
 12月28日 第九議会開会
 12月31日 陸奥宗光 大磯で「蹇蹇録」を書き終える
幕末、明治維新 年号表へ
伊藤博文、陸奥宗光 銅像
下関市
伊藤博文、陸奥宗光 銅像

明治二九年 1896

  1月 9日 内閣弾劾上奏案提出
  1月27日 立見尚文 赤坂陸軍大学校校長事務取扱を命じられ東京に戻る
  2月 4日 予算案 衆議院通過
  3月28日 第九議会 閉会
  4月 1日 陸奥宗光 外務大臣に復帰
    同    立見尚文 台湾総督府軍務局長となり台湾に赴任
  4月14日 板垣退助 内務大臣として入閣
  5月     山県有朋 露国ニコライ二世の戴冠式に出席
  5月13日 伊藤博文 大磯の別荘「滄浪閣」が完成し友人と落成を祝う
  5月21日 大山巌の長女、信子(19歳)病没
  5月29日 西園寺公望 陸奥宗光の「蹇蹇録」に添書きをする
  5月30日 陸奥宗光 病状悪化、正式に辞表を提出 西園寺公望、外務大臣を兼務
    同    伊藤博文 台湾出張を命じられる
  6月 1日 伊藤博文 台湾へ出発
  6月 9日 山県有朋 ペテルブルグでロバノフ外相と朝鮮に関する議定書に調印
  6月     陸奥宗光 療養のためハワイに行く
  7月11日 伊藤博文 帰国
  8月     陸奥宗光 ハワイより帰国
  8月31日 第二次伊藤内閣 総辞職
  9月18日 第二次松方内閣 組閣
  9月30日 大山巌 陸軍大臣を高島鞆之助中将に譲り予備役に入る
 10月15日 千葉佐那(59歳)病没
 11月23日 樋口一葉 病没
 12月23日 毛利元徳 死亡
 12月25日 第十議会開会

明治三十年 1897                                                      幕末、明治維新 年号表へ

    ?    明治天皇 大山巌を呼び軍務復帰を命じる
  1月31日 西周 死亡
  3月 6日 栗本鋤雲(76歳)死亡
  5月 4日 伊藤博文 英国女王即位式典出席のため英国に向う
  6月 6日 伊藤博文 パリに到着
  6月21日 伊藤博文 ロンドンバッキンガム宮殿で女王に拝謁
  6月22日 伊藤博文 セントポール寺院で即位式典に出席
  8月     陸奥宗光 絶筆「後藤伯」を口述筆記させる
  8月 3日 後藤象二郎(60歳)死亡
  8月 7日 伊藤博文 帰国に向う
  8月20日 中島信行 陸奥宗光を見舞う
  8月22日 陸奥宗光 明治天皇より菓子を賜る
  8月24日 陸奥宗光(54歳)病没
    ?    品川弥二郎 町野主水を訪問し弟久吉の槍の所在を知らせる
  9月 5日 伊藤博文 帰国
 10月     朝鮮 国号を大韓帝国と改める
 11月 1日 立見尚文 陸軍中将となり弘前に赴任し新設第八師団長となる
 11月19日 徳川慶喜 東京巣鴨に移る
 12月25日 第十一議会開会 内閣不信任案提出
    ?     島津忠義(57歳)死亡

明治三一年 1898

    ?    元帥府創設 皇族以外に山県有朋、西郷従道、大山巌元帥となる
  1月12日 第三次伊藤内閣 発足
  2月 9日 徳川慶喜 皇居参内後、氷川町、勝海舟訪問
  3月     総選挙
  5月19日 第十二特別議会開会
  6月10日 伊藤博文 議会を解散
  6月22日 憲政党結成
  6月24日 元老会議 伊藤博文、政府与党の必要性を説いた後、辞表を提出
  6月30日 初の政党内閣発足 総理、大隈重信
  8月19日 伊藤博文 長崎より清国に向う
  9月13日 伊藤博文 妻梅子に天津到着を知らせる手紙を書く
  9月14日 伊藤博文 北京に入る
  9月20日 伊藤博文 皇帝に拝謁
  9月21日 北京で政変起こる
  9月26日 伊藤博文 妻梅子に政変を知らせる手紙を書く
 10月     氷川清話 刊行
 10月31日 大隈重信 辞職
 11月 7日 高松太郎(坂本直57歳)死亡
    同    伊藤博文 長崎に入る
 11月 8日 第二次山県内閣 発足
 11月12日 ジョン万次郎(72歳)病没
 12月     河田小龍(75歳)病没
 12月 8日 伊藤博文 東京に入る
 12月18日 上野山王台に西郷隆盛の銅像除幕式

明治三二年 1899

  1月17日 勝海舟 脳溢血で倒れる
  1月19日 勝海舟(76歳)死亡 養子相続手続の為に秘される
  1月21日 勝海舟の死亡 発表される
  1月25日 勝海舟 葬儀
  3月26日 中島信行(48歳)死亡
  4月     若松 市制を施行
  4月     斉藤一(藤田五郎) 東京師範学校を退職
  4月10日 伊藤博文 長野で政党創立の必要を演説
  5月11日 川上操六、参謀総長(51歳)病没
  5月15日 川上操六 葬儀
  5月17日 伊藤博文 大分県中津で演説
    ?    大山巌 参謀総長に就任
  6月16日 伊藤博文 大磯に帰る
  7月16日 伊藤博文 宇都宮で講演
  7月     林昌之助 日光東照宮に勤める
  9月10日 清韓通商条約
 10月14日 伊藤博文 北陸遊説に出る
    ?    永倉新八(杉村義衛)小樽永住を決意
    ?    西郷頼母 会津に戻る

明治三三年 1900                                                      幕末、明治維新 年号表へ

  1月 5日 秋月悌次郎(77歳)東京で死亡
  2月26日 品川弥二郎(58歳) 京都で病死
  3月20日 島田魁(73歳) 西本願寺境内で死亡
  8月23日 黒田清隆(61歳)死亡
  9月15日 伊藤博文 立憲政友会を発足させる
  9月26日 山県内閣 総辞職
 10月19日 第四次伊藤内閣 発足
 12月     林董 駐英公使に就任
 12月25日 第十五議会 開会
    ?    アーネストサトウ 北京赴任

明治三四年 1901

    ?    徳川慶喜 小日向第六天町に移る
  2月 3日 福沢諭吉 死亡
  2月16日 三吉慎蔵(71歳)病没
  2月27日 政府増税案 否決
  3月19日 内閣不信任案 提出 伊藤博文、酔っ払い演説
  4月 8日 石田栄吉(63歳)死亡
  5月10日 伊藤内閣 閣内不一致を理由に総辞職
  6月 2日 桂太郎内閣 発足
  6月21日 星亨(51歳) 暗殺される
  8月 4日 元老院会議
  9月18日 伊藤博文 横浜を出港、米国に向う
 10月 2日 伊藤博文 シアトルに到着
 10月 8日 林董 日英同盟の全権を与えられる
 10月16日 林董 英国外相と条約交渉に入る
 10月20日 伊藤博文 ワシントンでルーズベルト大統領と会見
 10月23日 伊藤博文 エール大学創立二百年祭に出席
 10月26日 伊藤博文 ニューヨークを出港
 11月 4日 伊藤博文 パリに到着し李鴻章の訃報を聞く
 11月 6日 林董 英国の協約案を受け取り報告
 11月11日 伊藤博文 桂太郎よりしばらくパリに滞在してほしいと電報を受ける
 11月14日 林董 パリの伊藤博文を訪問し日英交渉の経過を報告
 11月19日 林董 ロンドンに戻り英国外相を訪問
 11月23日 伊藤博文 林董より露国に入るのは英国政府が疑惑をはさむとの電報を受ける
 11月25日 伊藤博文 ペテルブルグに入る
 11月28日 伊藤博文 ニコライ二世に拝謁
 12月 2日 伊藤博文 露国蔵相と日露協商の意見を交換する
 12月 4日 伊藤博文 露国外相を訪問
 12月12日 伊藤博文 ペテルブルグよりベルリンに向かう
 12月13日 中江兆民 死亡
 12月14日 伊藤博文 ベルリンに入り独国皇帝に拝謁
 12月24日 伊藤博文 ロンドンに入る

明治三五年 1902

    ?    徳川慶喜 公爵を授けられる
  1月 3日 伊藤博文 英国外相と会談
  1月 7日 伊藤博文 帰国に向う
  1月25日 八甲田山の悲劇
  1月30日 日英同盟 締結
  2月25日 伊藤博文 長崎入港
  3月 1日 伊藤博文 大磯に帰る
  3月 7日 伊藤博文 参内し露、英国の状況を報告
  6月     西郷従道 入院
  6月17日 松本良順 「蘭チュウ自伝」を書き始める
  6月25日 松本良順 「蘭チュウ自伝」を書き終える
  7月18日 西郷従道(59歳)病没
  8月10日 総選挙 政友会圧勝
  9月     豊永長吉 従五位に叙される
  9月19日 正岡子規 死亡
 10月19日 大隈重信創立の東京専門学校、早稲田大学となり開校式 伊藤博文、演説を行う
 10月26日 伊藤博文 大磯「滄浪閣」で還暦祝
 10月27日 加納道之助(63歳)死亡
 11月     豊永長吉 長府毛利邸で明治天皇に拝謁
 12月28日 第十七議会解散
    ?    西郷愛加那(66歳)死亡
    ?    林昌之助 日光東照宮を辞職、東京に戻る

明治三六年 1903                                                      幕末、明治維新 年号表へ

  2月13日 高橋泥舟(69歳)江戸で死亡
  3月     総選挙
  3月     豊永長吉 衆議院議員に当選
  4月     露国 鴨緑江を越えて軍事基地の建設を開始
  4月     伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎、山県有朋 無鄰庵で日露開戦に踏み切る会議を開く
  4月28日 西郷頼母(74歳)会津で死亡
  5月     大山巌 参内し露国問題を上奏
  5月 7日 野村辰太郎(60歳)死亡
  5月 8日 第十八議会
  5月19日 桜田事変生残り、海後磋磯之助(菊池剛蔵)死亡
  6月 4日 第十八議会 閉会
  6月     露国陸軍大臣クロパトキン大将 来日
  6月13日 宮中で御陪食
  6月23日 御前会議
  6月25日 明治天皇 伊藤博文を呼び内帑金を下賜う
  8月26日 楠本イネ(76歳)病没
 10月     田村怡与造、参謀本部次長 病没
 10月     児玉源太郎 参謀総長に着任
 10月13日 御前会議
 12月16日 御前会議
    ?    アーネストサトウ 英国帰国
    ?    上野彦馬 病に倒れる

明治三七年 1904

    ?    若越鉄道 開通
  1月12日 御前会議 明治天皇、開戦打開の道を探るように指示
  1月21日 韓国 外相の名で各国に中立声明を出す
  2月 1日 大山巌 参内
  2月 3日 御前会議
    同    ウラジオストック在留の日本人に退去命令
  2月 4日 御前会議 日露交渉を打ちきり開戦を決定
  2月 6日 日露国交断絶
  2月 8日 日本第一軍 仁川上陸
  2月10日 日本 露国に宣戦布告
  2月11日 大本営設置
  2月     旅順口閉鎖作戦開始
  2月23日 日韓議定書調印
  2月28日 韓国皇室 日本軍に献金
  3月 1日 総選挙
  3月 7日 伊藤博文 韓国皇帝慰問大使に任命
  3月13日 伊藤博文 韓国に向う
  3月17日 伊藤博文 韓国京城に到着
  3月18日 第二十議会
  3月20日 伊藤博文 韓国皇帝に拝謁
  4月 1日 伊藤博文 帰国し明治天皇に報告
  5月 1日 日本軍 鴨緑江渡河に成功
  5月13日 日本第二軍 遼東半島に上陸
  5月18日 韓国 露国に宣戦布告
  5月22日 上野彦馬(66歳)死亡
  5月26日 日本軍 金州城を陥落させる
  5月27日 乃木希典 戦地に向う
  5月31日 乃木希典の第三軍編成される
  6月 1日 乃木希典 宇品を出港
  6月 6日 乃木希典 金州湾入港し陸軍大将に任命の電報を受ける
  6月 7日 立見第八師団に動員令下る
  6月20日 満州軍総司令部設置 総司令官大山巌、総参謀長児玉源太郎
  6月23日 乃木第三軍 満州軍総司令部の指揮下に入る
  6月     旅順要塞の攻撃を開始
  7月 6日 大山巌、児玉源太郎 新橋駅より満州に向かう
  7月13日 大山巌、児玉源太郎 連合艦隊前線基地、長山列島に到着
  8月     日韓協約締結
  8月 1日 日本第四軍 遼東半島柝木城の戦いに勝利
  8月19日 旅順総攻撃 開始
  8月24日 遼陽会戦
    同    旅順総攻撃に失敗 死傷者1万6千名
  8月31日 佐川直諒(28歳)戦死
 10月 4日 大阪待機中の立見第八師団に出動命令下る
 10月 8日 沙河会戦
    同    立見第八師団 大連に上陸
 10月26日 203高地 攻撃開始
 11月11日 203高地 攻撃中止
 11月26日 旅順に再度総攻撃
 11月30日 児玉源太郎 旅順の乃木希典を訪問
 11月     立見尚文 勳一等瑞宝章を受章
 12月 4日 203高地に砲撃と突撃を開始
 12月 5日 203高地 占領
 12月 6日 203高地より旅順港露国艦隊に砲撃を開始
 12月15日 旅順港露国艦隊 壊滅
 12月16日 大山巌 冬期作戦計画を発表

明治三八年 1905

  1月 1日 旅順露軍司令部 白旗を掲げる
  1月 2日 水師営の会見 乃木希典、ステッセル司令官と旅順開城に関する規約を調印
  1月25日 立見第八師団 黒溝台掃討を命じられる
  1月26日 立見旅団 大台に進出、立見尚文、明日の攻撃の訓令を出す
  1月28日 黒溝台夜襲攻撃
  1月29日 黒溝台占領
  1月31日 副島種臣 死亡
  2月 3日 黒溝台休養中の各師団に天皇皇后両陛下より恩賜品届く
  2月20日 大山巌 東煙台に各軍司令官を集め訓示
  2月22日 奉天開戦
  3月 1日 奉天総攻撃
  3月 9日 露将軍クロパトキン 全軍に撤退を命令
  3月10日 日本軍 奉天に入城
  4月12日 阪神電車開業
  5月27日 日本海海戦
  6月 9日 米国大統領ルーズベルト 日露講和の斡旋を通告
  8月     立見尚文 従三位に叙される
  8月29日 日露講和妥結
  8月31日 米国鉄道王 ハリマン来日
  9月 5日 米国ポーツマスで日露講和条約調印
  9月14日 大山巌 全軍に休戦を命じる
 10月16日 明治天皇 平和詔勅を発布
 11月     満州軍 凱旋帰国を開始
 11月 2日 伊藤博文 韓国大使に任命
 11月15日 伊藤博文 京城で韓国皇帝に拝謁
 11月17日 第二次日韓条約 調印
 11月22日 伊藤博文の乗車列車に投石、伊藤博文負傷
 12月 3日 大山巌、児玉源太郎 宇品に帰港
 12月     大山巌、児玉源太郎 新橋駅より皇居に入り明治天皇に復命
 12月20日 韓国総監府設置
 12月21日 伊藤博文 韓国統監に任命
    同    桂内閣 総辞職

明治三九年 1906


    ?    陸軍省 常備兵の増置にともない福島連隊区から若松連隊区を分置
  1月 4日 福地桜痴 死亡
  1月 7日 西園寺内閣 発足
  1月     児玉源太郎 満州経営委員長に任命
  1月15日 坂本龍(西村ツル66歳)病没
  1月20日 お龍 田戸聖徳寺で荼毘に付される
  2月 2日 立見尚文 鉄嶺の陣で動脈瘤のため卒倒
    ?    立見尚文 快復し第八師団を率い大連に移動
  3月10日 立見尚文 第八師団と大連より出港
  3月12日 立見尚文 第八師団と下関に上陸
  3月13日 立見尚文と第八師団 復員令を受け弘前に向う
  4月     大山巌 参謀総長を免じられる 児玉源太郎 参謀総長に就任
  4月30日 東京で陸軍凱旋式
  5月22日 伊藤博文 満州問題に関する協議会を開く
  5月29日 立見尚文 陸軍大将に任じられる
  7月 6日 立見尚文 体調不良のため休職
  7月23日 児玉源太郎(54歳)病没
  9月 1日 関東都督府 勅令で旅順に置くと制定
  9月30日 日露戦争凱旋行進
 10月27日 海江田信義(75歳)死亡
    ?    西村松兵衛お龍の分骨を密かに京都東山、坂本龍馬の墓に埋葬

明治四十年 1907                                                幕末、明治維新 年号表へ

  3月     立見尚文 危篤
  3月     明治天皇 特旨をもって立見尚文に正三位を送る
  3月 6日 立見尚文(62歳)死亡
  3月12日 松本良順(76歳)死亡
  4月 1日 南満州鉄道会社 営業を開始
  6月     日仏協約 パリで調印
  7月     ハーグ密使事件 韓国皇帝退位
  7月     満州における植民地経営において日露第一回協約ペテルブルグで調印
  7月24日 第三次日韓条約 締結
  8月 1日 韓国新皇帝 韓国軍隊解散を強行するが反乱を呼ぶ
  9月     大山巌 公爵を授けられる
  9月21日 伊藤博文、山県有朋、大山巌 公爵に叙せられる
 12月 5日 伊藤博文 韓国皇太子と京城を出、日本に向う
 12月15日 伊藤博文、韓国皇太子 東京に入る
 12月18日 伊藤博文 韓国皇太子と参内
 12月20日 明治天皇 韓国皇太子の宿舎、浜離宮に行幸

明治四一年 1908

  3月21日 安重根の投稿 海朝新聞に掲載される
  4月 5日 伊藤博文 韓国に向う
  4月16日 伊藤博文 韓国京城に入る
  6月     若松栄町に歩兵第六十五聯隊の兵営が竣工
  6月19日 伊藤博文 韓国の元老、要人を集め協力を要請する演説を行う
  7月 1日 児島惟謙(72歳)死亡
  7月 4日 西園寺内閣 総辞職
  7月14日 第二次桂内閣 発足
    同    伊藤博文 京城より帰国に向う
  7月20日 松平定敬 従二位を授けられる
  7月21日 松平定敬(63歳)東京で死亡
    同    伊藤博文 大磯に入る
  7月24日 伊藤博文 参内し韓国の情勢を報告
  7月31日 伊藤博文 大井の恩賜館に韓国皇太子を招待
  8月31日 井上馨 重体になり伊藤博文の看病を受ける
  9月     関東州裁判令 勅令で制定
  9月16日 井上馨 意識回復
 10月18日 野津道貫 死亡
 10月26日 榎本武揚(77歳)病没
 11月     伊藤博文 京城に入る
 11月     安重根 断指同盟結成

明治四二年 1909

  1月24日 野村靖(68歳) 死亡
  2月10日 伊藤博文 帰国
  3月     伊藤博文 道後温泉で休養
  4月 1日 白峰駿馬(63歳)死亡
  4月10日 桂太郎 枢密院官邸で伊藤博文に韓国併合案の合意を得る
  4月12日 伊藤博文 参内し韓国問題を献策
  4月28日 由利公正(81歳)病死
  5月     伊藤博文 韓国統監の辞表を提出
  6月14日 伊藤博文 枢密院議長になる
  7月 1日 伊藤博文 事務引継ぎのため韓国に向う
  7月 5日 伊藤博文 京城に入る
  7月 6日 桂内閣 韓国併合を閣議決定
  7月14日 伊藤博文 帰国に向う
  7月19日 伊藤博文 大磯に入る
    ?    韓国皇太子 東北北海道旅行に出発 伊藤博文、随行
  8月19日 安奉鉄道改築工事に関する覚書 日清で調印
  8月23日 伊藤博文 東京に入る
  9月     伊藤博文 高杉晋作の碑文を書く
  9月 4日 間島に関する日清条約 北京で締結
 10月 9日 伊藤博文 参内し満州行きの勅許を得る
 10月11日 山県有朋 伊藤博文を訪問
 10月14日 伊藤博文 大磯より乗車、満州に向う
 10月15日 伊藤博文 下関に宿泊
 10月16日 伊藤博文 門司出港
 10月18日 伊藤博文 大連入港
    同    安重根 ポシエトよりウラジオストク行きの汽船に乗船
 10月19日 伊藤博文 大連市歓迎会で演説
 10月20日 伊藤博文 旅順に入り官民歓迎会で演説
 10月21日 伊藤博文 旅順出発
    同    安重根 ウラジオストク駅より郵便列車に乗車しハルピンに向かう
 10月22日 安重根 ハルピンに入る
 10月24日 伊藤博文 撫順炭鉱を見学
 10月25日 伊藤博文 長春に入り絶筆の詩を書く
 10月26日 伊藤博文(69歳)ハルピン駅前で安重根により暗殺される
 11月 1日 伊藤博文の遺体 横須賀に運ばれる
    同    安重根他容疑者九名 旅順監獄へ護送される
 11月 2日 伊藤博文の遺体 新橋駅に到着し枢密院官邸に入る
 11月 4日 伊藤博文 日比谷公園で国葬、大井に埋葬される
 11月13日 伊藤博文暗殺事件 関東都督府法院で審問開始
    ?    おうの(68歳)東行庵で死亡
    ?    緒方洪庵に従四位贈位 森鴎外の追討碑高林寺に建立

明治四三年 1910

  2月 7日 関東都督府地方法院で伊藤博文暗殺事件裁判開始
  2月 8日 伊藤博文暗殺事件 第二回公判
  2月 9日 伊藤博文暗殺事件 第三回公判
  2月10日 伊藤博文暗殺事件 第四回公判、論告求刑
  2月12日 伊藤博文暗殺事件 第五回公判、最終弁論
  2月14日 伊藤博文暗殺犯安重根に死刑判決
  2月19日 安重根 関東都督府高等法院への控訴権を放棄
  3月 2日 佐々木高行 死亡
  3月26日 旅順監獄で安重根の死刑執行
  6月     山県有朋 小田原の別荘に皇太子を迎える
  8月22日 日韓併合条約調印
  8月29日 国号を朝鮮、首都を京城に改称することを公表

明治四四年 1911

  1月18日 大逆事件の被告24名に死刑判決が下る
  5月13日 谷干城(75歳)死亡
  5月11日 明治天皇 陸軍経理学校の卒業式に出席する
  5月20日 下関吉田町、高杉晋作顕彰碑除幕式 井上馨参列
  6月11日 大野右仲(76歳)東京港区の自宅で病死
  6月13日 篠原泰之進(84歳)死亡
  6月15日 大鳥圭介(79歳)病没
  7月23日 豊永長吉(81歳)死亡
 10月     大倉喜八郎 伊藤博文の銅像を建立し大倉山公園を開設
 12月16日 トーマスグラバー(73歳)死亡

大正元年 1912                                                        幕末、明治維新 年号表へ

    ?    町野主水 狼藉者を無礼討ちにする
  1月 4日 東久世通禧 死亡
  4月     会津会発足 「会津会々報」の定期的刊行を決める
  7月10日 明治天皇 東京帝国大学に行幸
  7月30日 明治天皇(61歳)崩御 大正天皇 践祚 大正に改元
  8月27日 明治天皇 追号
  9月13日 明治天皇 大葬
    同    乃木希典 自宅で妻静子と殉死
  9月14日 明治天皇 伏見桃山稜に葬られる
 12月     第二次西園寺内閣 総辞職

大正二年 1913

  3月     永倉新八の「新選組顛末記」小樽新聞に連載開始
  8月     会津弔霊義会 町野主水を初代会長に発足
 10月10日 桂太郎(67歳)死亡
 11月21日 徳川慶喜(77歳)病没
 11月30日 上野寛永寺で徳川慶喜葬儀
    ?    山本琢磨(80歳)死亡

大正三年 1914

  1月16日 伊藤祐亨 死亡
  4月11日 昭憲皇太后 崩御
  8月16日 お龍実妹、中沢光枝、死亡
  9月28日 会津弔霊義会 内務大臣木喜徳郎に財団法人設立願を提出
    ?    西村松兵衛 浦賀信楽寺にお龍の碑を健立

大正四年 1915


  1月 5日 永倉新八(76歳)死亡
  2月     会津弔霊義会 「弔霊義会財団法人設立願之件に付参考書について」の書類を作成し内務大臣に追請願
  2月17日 西村松兵衛(70歳)死亡
  2月20日 岩村通俊(76歳)死亡
  3月18日 香川敬三(77歳)死亡
  9月     井上馨(79歳)死亡
  9月28日 斉藤一(71歳) 東京の自宅で死亡 会津若松阿弥陀寺に墓

大正五年 1916


  7月     会津弔霊義会 財団法人設立願の内容を修正し再申請
 11月 3日 裕仁親王 立体子の礼
 11月17日 大山巌 須磨、内田信也別邸で体調を崩す
 11月20日 大山巌 須磨より東京に向かう
 11月21日 大山巌 東京の自宅に入る
 11月27日 大山巌 胆嚢炎と診断される
 12月 1日 明治天皇 大山巌に見舞いの使者を送り葡萄酒を届ける
 12月 9日 大山巌 危篤
    同    夏目漱石(50歳)病死
 12月10日 大山巌(74歳)病没
 12月11日 大山巌を国葬に付する勅令出る
 12月17日 大山巌 国葬

大正六年 1917

  3月29日 会津弔霊義会に内務大臣後藤新平より財団法人設立の許可下る
  6月     松平容保の遺骨 会津松平家墓所に改葬される
  8月23日 会津鶴ヶ城で戊辰殉難者五十年祭典開催

大正七年 1918


  3月20日 菊屋峰吉(66歳)病没
 11月 4日 土方久元(86歳)病没
    ?    井上伝蔵(64歳)北見で死亡

大正八年 1919


  3月 5日 福岡孝弟 死亡
  4月27日 前島密(85歳)横須賀で死亡
  7月11日 鈴木三樹三郎(83歳)死亡
  7月16日 板垣退助(83歳)死亡

大正九年 1920

 11月 1日 明治神宮 創建

大正十年 1921

    ?    町野主水 弟久吉の討死の光景を知る
  9月12日 大江卓(75歳)病没
 11月 4日 原敬 暗殺される
 11月13日 高橋是清内閣 発足
 12月29日 林有造(80歳)死亡

大正十一年 1922


  1月 9日 大隈重信(85歳)死亡
  1月     大隈重信 国民葬
  2月 1日 山県有朋(85歳)小田原で病死
  2月 9日 山県有朋 国葬
  7月     近藤芳助(79歳)死亡
  7月19日 森鴎外 死亡
 12月     松江豊寿 若松市長に就任
 12月31日 人見勝太郎(80歳)死亡 京都長遠寺に埋葬
    ?    高杉雅子(78歳)死亡 東行庵に墓

大正十二年 1923


  6月 9日 最後の会津武士、町野主水(84歳)死亡
  7月10日 小川てい(90歳)死亡

大正十三年 1924

  4月15日 伊藤梅子(77歳)死亡
  7月 2日 松方正義 死亡

大正十四年 1925

昭和元年 1926

  5月28日 白虎隊墳墓拡張落成臨時祭典
 12月26日 昭和に改元

昭和三年 1928                                                 幕末、明治維新 年号表へ

  1月18日 宮内省 松平容保四男恒雄の長女節子姫と秩父宮雍仁親王の婚儀に勅許が下されたと発表
  4月22日 大倉喜八郎 死亡
  5月21日 野口英世 死亡
  5月27日 高知桂浜 坂本龍馬銅像除幕式
  9月28日 秩父宮雍仁親王 松平容保四男恒雄の長女勢津子姫と婚儀
 11月15日 子母澤寛 八木為三郎と終日会談

昭和四年 1929

  8月16日 津田梅子 死亡
  8月26日 アーネストサトウ(86歳)死亡

昭和六年 1931


  6月    飯沼貞吉(78歳)死亡
 11月 1日 渋沢栄一(91歳) 死亡

昭和七年 1932

  5月15日 犬飼毅 射殺される
  6月14日 新島八重(86歳)死亡

昭和八年 1933

    ?    宮内省編纂 幕末非命者、約2480名
 10月15日 新渡戸稲造 死亡
 12月 8日 山本権兵衛 死亡

昭和九年 1934

  5月30日 東郷平八郎(87歳)死亡


昭和十一年 1936

  2月26日 2.26事件
    同    高橋是清(83歳)自宅で暗殺される
  7月     岡崎那輔 死亡

昭和十二年 1937

 11月11日 林昌之助 青松寺で請西藩の招魂祭を行い記念碑を建立

昭和十三年 1938

  1月13日 最後の新選組隊士 池田七三郎(90歳)死亡
  5月 4日 嘉納治五郎 死亡

昭和十四年 1939

    ?    天野清三郎(97歳)死亡

昭和十五年 1940

  6月 5日 徳川家達 死亡
 11月24日 西園寺公望(91歳)死亡
 12月15日 西園寺公望 国葬

昭和十六年 1941

    ?    尋常小学校国史 全面的大改訂
  1月22日 最後の大名 林昌之助(94歳)東京で死亡
 12月 8日 真珠湾攻撃

昭和二十年 1945

  8月 6日 広島に原爆投下
  8月 9日 長崎に原爆投下
  8月15日 日本無条件降伏

昭和二六年 1951

  4月     新五百円札に岩倉具視登場
 12月 1日 新五十円札に高橋是清登場

昭和二八年 1953

 12月 1日 新百円札に板垣退助登場

昭和三一年 1956

  6月25日 宮城道雄 死亡

昭和三三年 1958

 12月14日 函館市立若松小学校に土方歳三最期之地碑建立

昭和三四年 1959

  1月     増上寺の徳川家墓所改葬

昭和三八年 1963

 11月 1日 新千円札に伊藤博文登場

昭和四十年 1965

  9月17日 会津鶴ヶ城 再建される

昭和四三年 1968

  5月14日 大久保利通 日本棋院より名誉七段を贈られる
 11月 1日 日野石田寺に土方歳三の石碑建立

昭和四五年 1970

  7月     函館市立若松小学校の土方歳三最期之地碑グリーンベルト上に移転

昭和四七年 1972

 12月18日 函館市称名寺に新選組慰霊碑建立

昭和五十年 1975

    ?    佐々木只三郎の墓 紀州より会津武家屋敷に移される

昭和五九年 1984

  6月     仏国より長州藩の大砲一門 下関に返還される

平成元年 1989

  1月 8日 平成に改元

平成三年 1991

  5月11日 土方歳三資料館開館

平成四年 1992

 11月 7日 土方歳三最期之地碑が小公園として整備され再移転

平成七年 1995

 11月 3日 高幡不動で土方歳三銅像除幕式

平成十一年 1999

  3月28日 高知桂浜 坂本龍馬銅像修復除幕式
 10月13日 鹿児島県警本部前 川路利良銅像除幕式

平成十五年 2003

  6月15日 新選組不動堂村屯所跡 記念碑除幕式
  7月21日 東京墨田区 勝海舟銅像除幕式

平成十六年 2004

  3月21日 龍馬が生まれたまち記念館 開館

平成十七年 2005

  4月12日 阪神電車 開業100周年

平成十八年 2006

12月27日  河井継之助記念館 長岡の生家跡に開設

                                                                  幕末、明治維新 年号表へ

この幕末から明治維新に続く時代を好きな人が多いのは、沢山の写真が残っているのが、ひとつの要因だと思います。
親近感が持て、あこがれを感じてしまう。時代を動かした人達を友達のように感じてしまうのは、私だけでしょうか?
しかし、弾圧、暗殺、密約を繰り返し官軍と朝敵が紙一重の戦いを通じて出来上った新しい日本国は
軍拡の路線を日清、日露の戦争を経て突き進み太平洋戦争の悲劇を生んでしまいました。
国内を含め国外の人々に多大な悲しみを与えた事を私達は忘れてはならないでしょう。   参考文献

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