木戸孝允(桂小五郎)年表
baku 幕末年表 matu より 木戸孝允の項目を抜粋しました。
 誕生地
 木戸孝允

木戸孝允  肖像写真 
木戸孝允 誕生地
萩市呉服町 木戸孝允 誕生地  1989年8月14日撮影

天保四年 1833


  6月26日 木戸孝允 漢方医和田昌景の長男として萩に生まれる

天保十一年 1840

    ?    和田小五郎 桂家の養子となる

嘉永二年 1849

  7月     桂小五郎 吉田松陰の兵学門下となる
 10月 1日 桂小五郎 松下塾入門

嘉永五年 1852

  9月     斉藤新太郎 桂小五郎他、長州藩の修行生5名を連れ長州より江戸に向う

嘉永六年 1853

  3月     桂小五郎 練兵館に住み込む
  8月21日 江戸内海に11箇所の台場築造始まる 桂小五郎、江川太郎左衛門の奴僕として見学
安政元年 1854

  3月27日 桂小五郎、来原良蔵 江戸より三浦半島に向う
  3月29日 桂小五郎、来原良蔵 宮田の長州藩警護陣地に入る

安政二年 1855

  4月     桂小五郎 萩に帰国
  5月 7日 桂小五郎 萩より江戸に向う
  5月23日 桂小五郎 大坂に入る
  6月29日 桂小五郎 相模の長州藩警護陣地に入る
  7月     桂小五郎 下田奉行、中島三郎助を訪問し造船術を学び始める

  8月11日 桂小五郎 長州江戸藩邸に長崎行きの願書を出す
 10月10日 桂小五郎 長州江戸藩邸の警備を命じられる
 12月20日 桂小五郎 戸田浦の船大工、高橋伝蔵を訪問
木戸孝允

安政三年 1856

 10月     来原良蔵 桂小五郎の妹、治子を妻にする

安政五年 1858

 12月     桂小五郎 萩に帰国

安政六年 1859

    ?    村田蔵六 桂小五郎を訪問
  9月15日 桂小五郎 江戸詰を命じられ江戸に向う
 10月11日 桂小五郎 伊藤俊輔を連れ江戸に入る
 10月17日 高杉晋作 藩命で江戸より萩に向う前に桂小五郎と会見
 10月29日 桂小五郎、伊藤俊輔、飯田正伯、尾寺新之允 吉田松陰の遺体を千住回向院に埋葬
 11月13日 桂小五郎 有備館、御用掛を命じられる

万延元年 1860

  7月 8日 桂小五郎、松島剛蔵 水戸藩士、西丸帯刀らと会合

文久元年 1861

  3月     桂小五郎 水戸藩士、美濃部新蔵と長州藩士、宍戸九郎兵衛を会見させる
  8月     桂小五郎 水戸藩士、美濃部新蔵と周布政之助、長井雅楽を会見させる
  9月 4日 高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞 会談
  9月26日 高杉晋作 風邪で寝込む 桂小五郎の訪問を受ける
  9月30日 高杉晋作 桂小五郎、伊藤俊輔の訪問を受ける
 10月 6日 桂小五郎 高杉晋作を訪問

 京都長州藩邸跡
長州藩邸


長州藩邸跡地  桂小五郎像


京都市中京区 1995年11月4日撮影
桂小五郎像
桂小五郎の像
 吉田屋跡(立命館草創の地)
吉田屋跡 吉田屋跡
吉田屋跡

吉田屋 清輝楼 大和屋旅館と受け継がれていく

清輝楼で立命館大学の前身が仮校舎で講義を開始 それを表す石碑です


京都市上京区東三本木通丸太町   2006年4月8日撮影

文久二年 1862


  5月12日 桂小五郎、伊東俊輔 江戸より京に向う
    ?    桂小五郎 京に入る
  6月20日 毛利敬親 中津川に入る桂小五郎出迎え藩の政策を検討、長井案破棄
  6月28日 桂小五郎 京に入る
  7月 5日 桂小五郎、周布政之助、中村九郎 他藩渉外役になる
  7月14日 桂小五郎 右筆に昇格し政務座副役を命じられる
  7月     長州藩世子、毛利定広 京より江戸に向う 桂小五郎、伊藤俊輔同行
  9月 3日 加藤有隣 桂小五郎に手紙を書き高杉晋作を迎えるよう願う
  9月28日 高杉晋作 桂小五郎と会う
 11月23日 桂小五郎、伊藤俊輔 江戸に入る

 桂小五郎、幾松 寓居跡
桂小五郎、幾松 寓居跡
桂小五郎、幾松 寓居跡

京都市木屋町通 1990年10月21日撮影

桂小五郎と幾松の
ささやき声が聞こえるような
雰囲気がただよいます。
木戸松子
木戸松子肖像写真

文久三年 1863


  1月25日 桂小五郎 長州藩主の代参として徳川斉昭の墓に詣で祝賀使の使命を果たす
  2月     桂小五郎 京に入る
  3月25日 桂小五郎、伊藤俊輔 兵庫在中の毛利定広に将軍東下阻止を報告
  3月29日 桂小五郎 勝海舟を訪問
  4月     桂小五郎、伊藤俊輔 江戸に入る
  6月17日 京東山翠紅館 桂小五郎、真木和泉会見
  8月21日 七卿 兵庫より出港
    同    新選組 三条木屋町に桂小五郎の捕縛に向う
  8月22日 桂小五郎 密かに入洛
  9月18日 桂小五郎 長州に戻る


元治元年 1864

  1月18日 桂小五郎 京に入る
  6月 5日 桂小五郎 池田屋に行った後、対馬藩邸に入る
    同    池田屋の変
  7月10日 伊藤俊輔 桂小五郎に手紙を書く

  7月19日 蛤御門の変  来島又兵衛(47歳)討死 鷹司邸、久坂玄瑞(25歳)寺島忠三郎、自刃
         入江九一(28歳)戦死 中岡慎太郎、負傷 桂小五郎、行方不明 長州軍壊走 焼失家屋2万8千戸

  7月24日 幕府 勅命により中国、四国、九州の21藩に出兵を命じ徳川慶勝を征長総督に任じる
    同    桂小五郎 対馬藩邸出入りの商人、甚助、直蔵兄弟の手引きで出石に向う
  9月 6日 幾松 下関に入る

 桂小五郎 潜伏屋敷跡

兵庫県出石郡出石町

1993年 7月18日 撮影
桂小五郎 潜伏屋敷跡
桂小五郎 潜伏屋敷跡

幾松に迎えられた桂小五郎は

歴史の舞台に再び立つ
  

慶応元年 1865


  3月     桂小五郎 村田蔵六より帰還を促す手紙を受け取る
  4月 8日 桂小五郎 長州に帰るため出石を出発
  4月26日 桂小五郎 下関に入り村田蔵六と会見
    同    伊藤俊輔 桂小五郎の手紙を受け取り桂と会見
  4月30日 中岡慎太郎 下関、桶屋久兵衛の家で桂小五郎と会見
  5月 7日 時山直八 下関の桂小五郎を訪問
  5月13日 桂小五郎 薩摩藩との接触を藩に進言
  5月14日 桂小五郎 伊藤俊輔と山口で藩主に謁見

  5月27日 長州藩 桂小五郎の帰藩を承認、政事堂用掛及び国政方用談役心得に任命する
閏 5月 1日 坂本龍馬 下関、綿屋弥兵衛宅で土方楠左衛門と会い桂小五郎との会見を求める 夜高熱を発する
閏 5月 6日 白石正一郎邸 坂本龍馬、土方楠左衛門、桂小五郎会談
閏 5月 7日 坂本龍馬、土方楠左衛門、桂小五郎会談(8日も)
閏 5月21日 中岡慎太郎 下関に入り西郷吉之助下関に入らずを坂本龍馬、桂小五郎に報告
  6月 2日 伊藤俊輔 桂小五郎に武器購入について手紙を書く
  7月 7日 高杉晋作 桂小五郎と会見
  8月 5日 中岡慎太郎 山口の桂小五郎、訪問
  8月 6日 中岡慎太郎 桂小五郎に刀を送る
  8月 7日 中岡慎太郎 桂小五郎に手紙を書く
  9月26日 桂小五郎 木戸貫治と改名
 10月 2日 高杉晋作 木戸貫治と会見
 10月 3日 坂本龍馬 下関で高杉晋作、木戸貫治と会見、薩摩藩の兵糧米を依頼

 10月14日 坂本龍馬、木戸貫治、高杉晋作、井上聞多、伊藤俊輔 会談
 10月21日 坂本龍馬 下関で木戸貫治に上京を求める

 12月     坂本龍馬、木戸貫治、黒田了介 下関で会談
 12月19日 西郷吉之助の使者 黒田了助、下関で木戸貫治に上京を促す
 12月21日 長州藩主 毛利敬親、木戸貫治に上京を命じる

 12月27日 木戸貫治、黒田了助、品川弥二郎、三好軍太郎、田中顕助、三田尻より乗船、京に向う

慶応二年 1866

  1月 4日 木戸貫治 大坂に入る
  1月 8日 木戸貫治 京薩摩藩邸に入る
  1月21日 薩摩藩邸で薩長秘密攻守同盟成立
  1月22日 坂本龍馬 木戸寛治、小松帯刀、西郷吉之助と会談

  1月23日 木戸貫治 盟約書の裏書を求め坂本龍馬に発送
  1月27日 木戸貫治、品川弥二郎、黒田了介 海路広島に入る
    ?    中岡慎太郎 木戸貫治と会い京都情勢を聞く
  2月 6日 木戸貫治 黒田了介と山口に入り同盟成立を藩主親子に報告
  2月21日 伊藤俊輔 木戸貫治に鹿児島行きについて手紙を書く
  2月22日 村田新八 山口で木戸貫治に会い盟約書と坂本龍馬の手紙を渡す
    同    木戸寛治 坂本龍馬に裏書の礼と寺田屋事件を見舞う手紙を書く

  3月30日 中岡慎太郎 木戸貫治と吉田の山県狂介を訪問
  4月 2日 木戸貫治 幕府の内情を伝える大久保一蔵の手紙を受け取る
  4月25日 中岡慎太郎 木戸貫治に手紙を書く
  7月 4日 坂本龍馬 下関に入る 木戸貫治に手紙を書く
    同    木戸貫治 山口の様子を高杉晋作に手紙で知らせる
  7月11日 木戸貫治 竜福寺に軟禁中の幕府軍監、長谷川久三郎に面会し長州藩の立場を記した書状を持たせ釈放する
  7月27日 坂本龍馬 木戸貫治に長崎の幕府軍の様子を伝える手紙を書く
  8月26日 木戸貫治 白石正一郎邸の高杉晋作を訪問
  9月     木戸貫治 藩命により木戸準一郎に改名
 10月 2日 高杉晋作 木戸準一郎に血を吐いた事を手紙で知らせる
 12月29日 長州藩主毛利敬親 三田尻で英国キング提督と会見 木戸準一郎同席、井上聞多通訳

慶応三年 1867

  1月14日 坂本龍馬 木戸準一郎に後藤象二郎との会見の手紙を書く
  2月     大山格之助 京より鹿児島に戻る途中、小郡で木戸準一郎と会見
  5月16日 木戸準一郎 京薩摩藩邸潜伏中の品川弥二郎に討幕を急がねばと手紙を書く
  5月19日 木戸準一郎 藩主毛利敬親に呼ばれ今後の方針を聞かれる
  6月19日 木戸準一郎 黒田了介より西郷吉之助が長州に入り打ち合わせをしたいとの手紙を受ける
  7月15日 村田新八 山口に入り西郷吉之助の長州入りが遅れると木戸準一郎に報告
  7月16日 木戸準一郎 歯痛のため出仕せず柏村数馬の訪問を受ける
  7月17日 木戸準一郎 長崎行きを命じられる

  8月 7日 木戸準一郎、伊藤俊輔 山口より長崎に向う
  8月20日 坂本龍馬 玉川亭で長崎滞在中の木戸準一郎に佐々木三四郎を紹介
  9月 4日 木戸準一郎 坂本龍馬に挙兵討幕が急務で乾退助の役割が重要と手紙を書く
  9月12日 アーネストサトウ 長崎領事館で木戸準一郎、伊藤俊輔と会見
  9月17日 大久保一蔵、大山格之介 山口に入り、木戸準一郎、広沢真臣と会談
  9月20日 坂本龍馬 下関で三吉慎蔵にお龍を預け伊藤俊輔と会う 木戸準一郎に手紙を書く
 10月22日 西郷吉之助、小松帯刀 山口に入り木戸準一郎と会談、倒幕挙兵を確認
 11月 3日 木戸準一郎 広島城で広島藩と協約を結ぶ
 11月 6日 木戸準一郎 山口に戻り報告
 11月16日 西郷吉之助 藩主、島津忠義と三田尻に入り木戸準一郎と会談
 11月22日 木戸準一郎 京薩摩藩邸の品川弥二郎に手紙を書く
 12月15日 木戸準一郎 五卿を迎えるため大宰府に向うがすれ違い
 12月17日 木戸準一郎 下関に入る
 12月18日 木戸準一郎 山口で王政復古、小御所会議の動きを知る
    同    朝廷 木戸準一郎に上京の命令を出す


明治元年 1868

  1月 3日 木戸準一郎 品川弥二郎に西郷吉之助、大久保一蔵の失策を指摘する手紙を書く
  1月 6日 長州藩主、毛利敬親 朝廷に木戸準一郎病気のため上京の猶予を奏請
  1月 7日 木戸準一郎 藩主より備前行きを命じられる
  1月 9日 木戸準一郎 山口より備前に向う
  1月11日 木戸準一郎 備前岡山藩主、池田茂政に会う
  1月19日 木戸準一郎 大坂に入り伊藤俊輔と会う
  1月21日 木戸準一郎 京に入る
  1月23日 大久保一蔵 木戸準一郎を訪問し大坂遷都について相談後、建言書を熾仁親王、三条実美に提出
  1月25日 木戸準一郎 太政官代で総裁局顧問に任命される

  1月27日 木戸準一郎 相国寺にアーネストサトウを訪問
  2月26日 木戸準一郎 朝廷に辞表を奏請するが却下される
閏 4月 4日 山県狂介 木戸準一郎 訪問
閏 4月 6日 西郷吉之助 木戸準一郎に 上京を促す手紙を書く
閏 4月 8日 木戸準一郎 伊藤俊輔に最近の働きぶりを褒める手紙を書く
閏 4月10日 木戸準一郎 大坂より乗船山口に向う
閏 4月14日 木戸準一郎 山口に入り藩主に拝謁
閏 4月21日 木戸準一郎 参与に就任
閏 4月26日 木戸準一郎 萩に入る
  5月 5日 木戸準一郎 山口で藩主親子に拝謁
  5月11日 木戸準一郎 長崎に入る
  6月 3日 木戸準一郎 京に入る
  6月 9日 木戸準一郎 北越に派遣してほしいと嘆願書を出すが拒否される
  6月20日 木戸準一郎 岩倉具視に北越に関する意見書を提出
  6月25日 木戸準一郎、大木喬任 江戸に入る
  7月23日 木戸準一郎 長州藩主、毛利敬親に版籍奉還決意の手紙を書く
  9月18日 木戸準一郎 大久保利通、後藤象二郎に版籍奉還を相談
 10月22日 伊藤博文 木戸準一郎に大久保利通と共に東京に永住し新政府を確立すべしと手紙を書く
    ?    木戸準一郎 大夫山の吉田松陰墓地を修復し鳥居を寄進

明治二年 1869

  5月 8日 木戸準一郎 大坂東病院で蘭国医師ボードインの診察を受ける
  5月     木戸準一郎 大坂天保山で休養

  5月23日 木戸準一郎 神戸に入る
  5月24日 木戸準一郎 東京に向うためグラバーの汽船に乗船
  5月     木戸準一郎 神奈川でパークスと会見
  5月29日 木戸準一郎、井上馨 東京に入る

  6月 4日 木戸準一郎 従四位の下に叙せられ参議を拝命
    ?    木戸準一郎 木戸孝允に改名

  7月 8日 大久保利通、木戸孝允 待詔院学士を拝命
  7月14日 岩倉具視 待詔院を廃止し大久保利通、木戸孝允に参議復帰を促す
  7月29日 木戸孝允 大隈重信に現状では国家は瓦解すると手紙を書く
 12月 3日 大久保利通 木戸孝允を訪問し政府内での薩長提携を話し合う
 12月 4日 大久保利通、木戸孝允に毛利敬親、島津久光、西郷隆盛に上京命令を伝えるため帰国せよの命令が出る
 12月     大久保利通、木戸孝允 帰国に向う

 12月27日 木戸孝允 三田尻に入る
    ?    木戸孝允 東京駒込に別邸を構える

 明治天皇行幸所木戸舊邸
明治天皇行幸所木戸舊邸


東京都豊島区駒込1丁目


2010年10月29日撮影
明治三年 1870

   1月11日 大久保利通 三田尻に入り湯田温泉松田屋で木戸孝允と会う
   1月27日 木戸孝允 脱走兵に命を狙われる
   1月28日 木戸孝允 小郡に潜伏
   1月29日 木戸孝允 下関に入る

   2月11日 西郷隆盛 山口で木戸孝允に面会
    ?    木戸孝允 幾松と入籍


明治四年 1871

  1月 8日 西郷隆盛、大久保利通 山口の木戸孝允訪問
  1月17日 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允 土佐に入る
  2月 2日 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、山県有朋、板垣退助 東京に入る

  6月25日 政府首脳人事更迭 西郷隆盛、参議就任 木戸孝允以外の参議辞職
  7月 6日 九段坂上、木戸孝允邸 西郷隆盛、大久保利通、山県有朋会合

明治五年 1872

  6月22日 木戸孝允 記念写真を撮る

明治六年 1873

  3月19日 岩倉使節団に三条実美より大久保利通、木戸孝允に帰国を願う手紙が届く
  4月16日 木戸孝允 帰国に向う
  6月10日 木戸孝允 マルセーユを出港
  7月23日 木戸孝允 帰国
  7月26日 木戸孝允 高輪の毛利元徳を訪問
  7月27日 木戸孝允 参内し明治天皇に拝謁

  8月18日 木戸孝允 朝鮮派遣使節反対意見書を提出
  8月31日 木戸孝允 馬車より転落
  9月25日 伊藤博文 木戸孝允を訪問し協力を要請、岩倉具視と協議後、大久保利通に報告
 10月10日 伊藤博文 大久保利通に手紙で木戸孝允との面会を要請
    同    大久保利通 木戸孝允を訪問し方針を打ち合わせ後、伊藤博文に報告

 10月14日 新参議を加え閣議 木戸孝允は病気欠席 議論沸騰明日に持越し
 10月17日 大久保利通、木戸孝允、大隈重信 辞表提出 西郷隆盛、三条実美に上奏を迫る
 10月20日 木戸孝允 岩倉具視に伊藤博文の参議採用を願う手紙を書く
 11月 8日 伊藤博文 木戸孝允を訪問
 11月17日 伊藤博文 木戸孝允を訪問し大蔵卿を打診するが拒否される
 11月24日 木戸孝允 伊藤博文に薩摩に対する恨みを書いた手紙を出す


明治七年 1874

    ?    陸奥宗光 論文「日本人」を木戸孝允に提出
  1月17日 板垣退助 木戸孝允を訪問
  1月18日 伊藤博文 木戸孝允に土佐を警戒するようにと手紙を書く

  1月21日 板垣退助 木戸孝允を訪問するが建白書の間違いを指摘される
  1月25日 木戸孝允 文部卿に就任

  2月 8日 木戸孝允 伊藤博文に時局を嘆き辞意の固いことを手紙で伝える
  4月10日 木戸孝允 伊藤博文を訪問し台湾問題を質問
  4月17日 木戸孝允 台湾征討に反対し三条実美に辞表を提出
  5月13日 木戸孝允に免官の辞令出るが宮内省出仕を命じられる
  5月19日 木戸孝允 宮内省出仕の罷免を願い出るが却下
  5月26日 木戸孝允 再び罷免を願い出る
  5月27日 木戸孝允 島津久光に大久保利通について手紙を書く
  5月     木戸孝允 山口に向う
  7月 9日 木戸孝允 山口に入る
  8月15日 木戸孝允 萩に入る
  8月     木戸孝允 山口の友人宅に置いてきたビールを送って欲しいと別の友人に手紙を書く

 11月30日 井上馨 木戸孝允に大久保利通と板垣退助が大阪に入るので来阪して欲しいと手紙を書く
 12月19日 木戸孝允 萩を出、下関に向う
 12月24日 木戸孝允 下関に入る

明治八年 1875

  1月 4日 木戸孝允 下関を出港
  1月 5日 木戸孝允 神戸に入り大久保利通、五代友厚、吉井友実の訪問を受ける
  1月 6日 木戸孝允 大阪に入る
  1月 7日 木戸孝允 五代友厚邸の大久保利通を訪問、黒田清隆同席
  1月 8日 大久保利通 木戸孝允を訪問し東京に戻ることを依頼

  1月25日 伊藤博文 木戸孝允を訪問し出馬を願い了承を得る
  1月26日 木戸孝允主催 囲碁の会
  1月27日 木戸孝允 伊藤博文を訪問
  1月29日 伊藤博文 大久保利通、木戸孝允と会談し板垣退助を内閣に迎える事で合意
  1月30日 木戸孝允 井上馨、板垣退助と会談
  2月 2日 勅使、東久世通禧 大阪に入り木戸孝允に上京の勅語を伝える
  2月11日 大久保利通、木戸孝允、板垣退助、伊藤博文、井上馨 会談
  2月24日 木戸孝允、伊藤博文、井上馨 東京に入る
  3月 6日 三条実美邸で大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、板垣退助会談
  3月 8日 木戸孝允 参議に復職
  3月13日 木戸孝允 自邸に大久保利通、板垣退助、伊藤博文、井上馨を招き三権分立を議論
  3月17日 木戸孝允、大久保利通、板垣退助、伊藤博文 政体取調委員になる

 11月13日 木戸孝允 頭痛の発作により半身不随状態になる

明治九年 1876

  3月 8日 木戸孝允 病気療養のため参議辞任

 木戸孝允旧宅
木戸孝允旧宅 木戸孝允旧宅
明治天皇行幸所木戸邸 木戸孝允旧宅

木戸孝允旧宅

西南戦争の最中、彼は旅に出る。
「西郷いいかんげんにせんか」と言い残して

京都市中京区 2005年11月6日撮影

明治十年 1877

  1月24日 明治天皇 京に向う 三条実美、木戸孝允、山県有朋追従
  2月15日 木戸孝允 岩倉具視に維新と同じぐらいの気持が必要と手紙を書く
  2月17日 三条実美 大久保利通、木戸孝允、山県有朋、伊藤博文を集め前後策を協議
  3月21日 木戸孝允 伊藤博文に戦況を憂う手紙を書く
  3月22日 伊藤博文 木戸孝允に自分が知っている戦況を報告
  5月 6日 木戸孝允 最後の日記を付ける
  5月19日 明治天皇 木戸孝允を慰問
  5月26日 木戸孝允(45歳)京都で病没
    同    伊藤博文 陸奥宗光に木戸孝允の死を知らせる手紙を書く
  5月28日 木戸孝允 正二位を追贈される


明治十九年 1886

  4月10日 木戸松子(幾松44歳) 京都で病没

 木戸孝允と松子の墓
木戸孝允の墓

木戸孝允の墓

木戸孝允と松子の墓

少し離れ過ぎのような気がします。

桂小五郎、幾松 墓所
木戸松子の墓

木戸松子の墓

木戸公墓への道標


京都市東山区霊山護国神社


2006年11月2日
2007年4月15日撮影
 木戸孝允顕彰碑
木戸孝允顕彰碑 木戸孝允顕彰碑



京都市東山区霊山護国神社


2006年11月2日撮影
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