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文政六年 1823 1月30日 勝海舟 江戸本所亀沢町に生まれる 天保二年 1831 ? 勝海舟 睾丸を犬に噛まれる 天保九年 1838 7月 勝海舟 家督を相続 嘉永三年 1850 9月 4日 勝小吉(49歳)死亡 9月 高野長英 勝海舟を訪問し筆写した萩生徂徠の兵書を渡す 嘉永五年 1852 11月 佐久間象山 勝海舟の妹と結婚
文久元年 1861 12月31日 勝海舟 千葉重太郎を訪問 文久二年 1862 閏 8月 松平春嶽 土方楠左衛門に坂本龍馬が勝海舟、横井小楠への紹介状が欲しいと来訪したと手紙に書く 閏 8月17日 勝海舟 軍艦奉行並になる 11月19日 勝海舟 横井小楠を訪問 12月 5日 坂本龍馬、間崎哲馬、近藤長次郎 江戸呉服橋福井藩邸で松平春嶽に謁見し大坂近海の防衛策などを述べ勝海舟への紹介を依頼する 12月 9日 坂本龍馬、門田為之助、近藤長次郎 福井藩邸で紹介状を貰い赤坂氷川の勝海舟を訪問弟子入りする 12月17日 坂本龍馬 幕府軍艦「順動丸」で勝海舟と兵庫に入る 文久三年 1863 1月 8日 坂本龍馬 高松太郎、千屋寅之助、望月亀弥太、沢村惣之丞、安岡金馬らを勝海舟に入門させる 1月13日 幕府「順動丸」江戸に向う 勝海舟、坂本龍馬乗船 1月15日 勝海舟 下田宝福寺で山内容堂と会見 坂本龍馬の脱藩罪を解かせる 1月16日 坂本龍馬 品川の勝海舟邸に入る 1月23日 勝海舟 「順動丸」で品川を出港 2月 2日 勝海舟 松平春嶽を訪問 2月 6日 勝海舟 「順動丸」で大坂を出港 2月10日 「順動丸」品川入港 2月24日 勝海舟 「順動丸」で大坂に向う 3月 1日 坂本龍馬 新宮馬之助と大坂の勝海舟を訪問 3月 7日 坂本龍馬 岡田以蔵を勝海舟の警護につける 3月 8日 勝海舟 京都寺町通で岡田以蔵に救われる 3月20日 坂本龍馬 姉乙女に勝海舟の弟子になったと手紙を書く 3月29日 桂小五郎 勝海舟を訪問 4月10日 坂本龍馬 和歌山滞在中の勝海舟訪問 4月23日 徳川家茂 「順動丸」で大坂湾視察 勝海舟に海軍操練所の開設を許可する 4月24日 幕府 神戸海軍操練所の開設を決定し勝海舟に操練所の取建掛を命じる 4月27日 勝海舟 幕府より海軍操練所の取締りと教授を許可される 5月 2日 坂本龍馬 勝海舟の使者として大坂本願寺、姉小路公知を訪問 5月30日 勝海舟 坂本龍馬を連れ播磨舞子を視察 6月29日 坂本龍馬 勝海舟の使者として京越前藩邸に入る 援助金の礼と銃一丁を届ける 7月25日 坂本龍馬 勝海舟に佐藤与之助と連名の手紙を書く 9月 9日 勝海舟 坂本龍馬、大坂に入る 10月13日 伊達小次郎 勝海舟入門 10月28日 勝海舟、坂本龍馬 江戸に向う 11月 3日 横井小楠 勝海舟に手紙を書く 12月 6日 勝海舟 坂本龍馬らの国許召還延期の嘆願書を書く |
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勝海舟寓居の地 | ||||
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4月 7日 勝海舟、坂本龍馬 内牧に入る 4月 8日 勝海舟、坂本龍馬 久住に入る 4月 9日 勝海舟、坂本龍馬 佐賀関に入る 4月10日 勝海舟、坂本龍馬 徳応寺に宿泊 4月11日 勝海舟、坂本龍馬 佐賀関より乗船、兵庫に向う 4月12日 勝海舟、坂本龍馬 兵庫入港 4月14日 勝海舟、坂本龍馬 京に入る 4月 佐久間象山 江戸赤坂の勝海舟邸にいる妻順にピストルの購入を依頼する手紙を書く 4月18日 徳川家茂 勝海舟を引見 5月14日 勝海舟 軍艦奉行に昇進、安房守と称する 従五位下諸大夫 6月17日 坂本龍馬 下田で勝海舟訪問(海舟日記、「黒龍丸」にて龍馬下東、浪人集団を「黒龍丸」で北海道に送る計画) 8月23日 坂本龍馬 神戸で勝海舟に京都情勢を報告 9月 建設中の神戸海軍操練所北側に勝海舟邸が完成する 9月11日 勝海舟 大坂で西郷吉之助と会見、列藩同盟を説く 9月16日 西郷吉之助 大久保一蔵に勝海舟の印象を伝える手紙を書く 同 土方歳三 勝海舟に手紙を書く 10月 8日 勝海舟 神戸海軍操練所の石碑を作る 10月22日 幕府 勝海舟に帰還命令を出す ? 勝海舟 大坂で西郷吉之助に坂本龍馬と同志達のの身柄を託す 10月24日 勝海舟 大坂より江戸に向う 11月 2日 勝海舟 江戸に戻る 11月10日 勝海舟 免職、閉門蟄居 |
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神戸海軍操練所の石碑 | ||||
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生島四郎邸跡 | ||||
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慶応元年 1865 2月 勝海舟の門人土佐出身者達 鹿児島に入り薩摩藩士に航海術を教授し始める 慶応二年 1866 5月28日 勝海舟 軍艦奉行に再任 6月10日 勝海舟 江戸より陸路大坂に向う 6月22日 勝海舟 大坂に入る 6月25日 勝海舟 京に入る 7月21日 勝海舟 大坂城で次期将軍相続案と徳川家茂の遺体を江戸に運ぶ方法を示す(20日?) 8月14日 一橋慶喜 長州大討込中止宣言、勝海舟に和平交渉を命じる 8月18日 勝海舟 一橋慶喜より内命を受ける 8月19日 勝海舟 京より広島に向う 8月21日 勝海舟 広島に入る 8月25日 勝海舟 厳島に入る 9月 2日 勝海舟 厳島大願寺で長州全権使、広沢兵助と会談 9月10日 勝海舟 京に入る 10月16日 勝海舟 江戸に入る 慶応三年 1867 3月 5日 勝海舟 海軍伝習掛を命じられる 3月 7日 勝海舟 海軍伝習について英国公使パークスと会見 12月18日 勝海舟 老中に非戦を主張する意見書を提出 明治元年 1868 1月12日 徳川慶喜 江戸城に入り勝海舟と善後策を論じる 1月17日 勝海舟 海軍奉行に任命される 1月18日 勝海舟 越前家に手紙を書き朝廷とのとりなしを願う 1月22日 勝海舟 新政府より静寛院宮を京に戻して欲しいという手紙を受ける 1月23日 勝海舟 陸軍総裁若年寄、榎本武揚 海軍副総裁、大久保忠寛 会計総裁に任命 勝海舟 徳川慶喜に戦略案を示す 3月 5日 勝海舟 西郷吉之助に外国の介入及び汚名を後世に残すと手紙を書く 同 山岡鉄舟 勝海舟を訪問 3月12日 西郷吉之助 勝海舟に明日高輪藩邸で会おうと手紙を書き板垣退助にも勝手に動くなと手紙を書く 3月13日 勝海舟 正午に江戸高輪薩摩藩邸の西郷吉之助を訪問し静寛宮を人質にしない事を明言 3月14日 江戸田町薩摩藩邸 西郷吉之助、勝海舟会談 江戸総攻撃中止 3月21日 アーネストサトウ 勝海舟を訪問 3月26日 勝海舟 「蟠龍丸」で横浜に海軍総督、大原俊美を訪問 3月27日 勝海舟 横浜英国公使館のパークスを訪問し最悪の場合、徳川慶喜の国外脱出を依頼 4月 4日 土方歳三 勝海舟訪問後、鴻台(市川)に向う 4月 5日 西郷吉之助 大久保一蔵に経過報告と公私混同を避けるため勝海舟に会わずにいると手紙を書く 4月 9日 勝海舟、大久保一翁 池上本門寺で陸海軍より預かった嘆願書を提出し城受け渡しの打ち合わせをする 4月10日 勝海舟 池上本門寺で打ち合わせ後、寛永寺の徳川慶喜訪問し刀を賜る 4月16日 勝海舟 館山の榎本武揚を説得 4月22日 勝海舟 館山の榎本武揚を訪ね恭順を示すため新政府軍に軍艦の引渡しを要望 遊撃隊これに反発 閏 4月 2日 大総督府 勝海舟に江戸鎮撫取締を委任 閏 4月 4日 勝海舟 大総督府に徳川慶喜を江戸近郊に移せと建白書を提出 閏 4月 5日 勝海舟 西の丸大総督府に嘆願に行く 閏 4月19日 勝海舟 静寛院宮に徳川慶喜よび返しについて嘆願書提出 閏 4月23日 榎本武揚 箱館偵察の件で勝海舟訪問 閏 4月25日 勝海舟 大総督府に建言書提出 閏 4月28日 勝海舟 西郷吉之助に江戸鎮撫のため徳川慶喜を復帰させ没収した知行地を返還せよと手紙を書く 5月14日 勝海舟 公現法親王に書面を提出 明治三年 1870 5月 4日 人見勝太郎 勝海舟を訪問し薩摩行きの紹介状と路銀の借用を求める 5月 8日 人見勝太郎 勝海舟を訪問し紹介状と路銀を受け取る 11月 人見勝太郎 駿河に戻り勝海舟に帰郷を報告 明治六年 1873 10月25日 大久保利通、大隈重信の辞表戻され伊藤博文、勝海舟、寺島宗則参議に任命される 明治八年 1875 4月23日 元老院議員任命 後藤象二郎、陸奥宗光、津田出、吉井友実、由利公正、加藤弘之以下13名 勝海舟は辞退 |
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勝海舟 歌碑 | ||||
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明治十六年 1883 11月16日 川村清雄 勝海舟に江戸開城図を持参 明治十七年 1884 11月 勝海舟 吉井友実より西郷隆盛の長男寅太郎が洋行し軍人になるよう説得することを頼まれる ? 勝海舟 西郷隆盛の長男寅太郎と会う
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