徳川慶喜 年表 
baku 幕末年表 matu より 徳川慶喜の名前が出ている項目を抜粋しました。
徳川慶喜
徳川慶喜
七郎麿
七郎麿

天保六年 1835


  7月     徳川美香子 生まれる

天保八年 1837

  9月29日 徳川慶喜 江戸小石川水戸藩邸に生まれる

天保九年 1838

  4月28日 松平七郎麿 水戸で養育されるため水戸城に入る

弘化四年 1847

  7月26日 一橋家当主 昌丸(2歳)死去
  9月     水戸 徳川七郎麿、一橋家養子となり相続
 10月25日 徳川七郎麿 水戸藩邸から一橋邸に移る
 12月 1日 一橋七郎麿 登城元服、従三位左近衛中将に叙任、慶喜と改名

嘉永元年  1848

 12月 4日 将軍徳川家慶 一橋慶喜に大納言、一条忠香の娘千代との婚約を命じる

嘉永六年 1853

  2月 6日 大納言 一条忠香の娘千代、疱瘡を患ったため一橋慶喜との婚約を破約
  5月18日 一橋慶喜 一条忠香の養女美賀子と婚約

安政二年 1855

  9月15日 一条忠香 養女美香子、一橋慶喜との婚儀のため京を出発
 11月15日 一橋慶喜 一条美香子と結納を交わす
 12月 3日 一橋慶喜(19歳) 一条美香子(21歳)と結婚、参議に任じられる

安政四年 1857

 10月16日 松平慶永 幕府に一橋慶喜の将軍継嗣決定を迫る建言書を提出

安政五年 1858
  3月     敬子(篤姫) 近衛忠熈に一橋慶喜将軍擁立を朝廷に働きかけるよう手紙を書く
  6月23日 一橋慶喜 井伊直弼を問責

  7月 5日 幕府 押しかけ登城の処分発表、一橋慶喜、登城停止、徳川斉昭、謹慎、松平慶永、強制隠居
         水戸藩内の人事権停止、手紙の往復禁止


安政六年 1859

  8月27日 幕府 一橋慶喜に隠居謹慎を命じる

万延元年 1860

  9月 4日 一橋慶喜、山内容堂、松平春嶽 謹慎を解かれるが文通、面会は禁止
 10月23日 一橋家 慶喜の謹慎解除の内祝い

文久二年 1862

  4月25日 一橋慶喜、山内容堂 松平春嶽 謹慎を解かれる(文通、面会が許可される)
  5月 7日 一橋慶喜、松平春嶽 登城、徳川家茂に拝謁
  7月 1日 一橋慶喜 将軍後見職 松平春嶽、政治総裁職に内命される
  7月 6日 一橋慶喜 将軍後見職任命
 12月15日 一橋慶喜 京に入る

文久三年 1863

  1月 5日 一橋慶喜 東本願寺に入る
  1月10日 一橋慶喜 参内、孝明天皇に拝謁
  3月 5日 一橋慶喜 参内

  4月11日 石清水八幡宮行幸 徳川家茂仮病、一橋慶喜出奔
  4月18日 徳川家茂、一橋慶喜 参内
  4月22日 一橋慶喜 京を出、江戸に向う
  5月 8日 一橋慶喜 江戸に入る
  5月14日 一橋慶喜 攘夷不可能を理由に将軍後見職の辞職を願う
 10月22日 一橋慶喜 京に入る
 10月23日 一橋慶喜 腹心、中根長十郎、江戸雉子橋門外で暗殺される

 12月30日 松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、島津久光、一橋慶喜、松平容保 朝廷より朝議参与に任命

元治元年 1864

  3月25日 一橋慶喜 禁裏御守衛総督、摂津海防御指揮となる
  4月12日 佐久間象山 二条城で一橋慶喜に拝謁
  6月16日 一橋慶喜 腹心、平岡円四郎、京千本通で暗殺される
  7月17日 一橋慶喜 長州軍に朝命であると撤兵を通告
 11月29日 一橋慶喜 天狗党追討の願書を朝廷に提出
 12月 3日 一橋慶喜 天狗党討伐に出陣

慶応二年 1866

  1月22日 一橋慶喜、松平容保、松平定敬、板倉勝静、小笠原長行
         参内し長州処分案を上奏し許可される 削封十万石、藩主親子は蟄居
  7月17日 一橋慶喜 徳川家茂に見舞の品を送る

  7月29日 一橋慶喜に徳川宗家相続の勅許降りる
  8月 5日 一橋慶喜 長州大討込出征宣言
  8月 8日 一橋慶喜 将軍名代として参内、天盃節刀を賜る
  8月12日 小倉城落城の報告 一橋慶喜に届く
  8月14日 一橋慶喜 長州大討込中止宣言、勝海舟に和平交渉を命じる
  8月18日 勝海舟 一橋慶喜より内命を受ける
  9月 2日 徳川家茂の棺 大坂城を出る 一橋慶喜焼香して見送る

 12月 5日 徳川慶喜 第15代将軍宣下
 12月21日 徳川慶喜、松平容保、松平定敬 御機嫌伺いに参内

慶応三年 1867

  1月     徳川慶喜 征長軍の解兵を朝廷に奏請
  2月 6日 徳川慶喜 大坂城で仏国公使ロッシュと会談(7日も)薩長と英国との策謀をロッシュ慶喜に警告
  2月18日 徳川慶喜 松平容保に親書を出し出仕をうながす

  2月20日 徳川慶喜 大坂城でロッシュと会談
  3月 5日 川慶喜 兵庫開港の勅許を申請
  3月25日 徳川慶喜 大坂城でパークスと会見
  3月26日 徳川慶喜 大坂城で蘭国総領事と会見
  3月27日 徳川慶喜 大坂城でロッシュと会見
  3月28日 徳川慶喜 英、仏、蘭、三国公使と公式会見を行う

  3月29日 徳川慶喜 米国公使と会見(4月1日も)
    ?    徳川慶喜 四ヶ国公使に兵庫開港を確約
  6月 6日 徳川慶喜 兵庫開港を12月7日とし江戸、大坂に外国人の居留を許すと布告
  7月25日 徳川慶喜 仏国公使ロッシュと会見(26日も)
  7月27日 徳川慶喜 英国公使パークスと会見
  8月14日 徳川慶喜謀臣、原市之助 二条城、板倉勝静邸前で殺害される
 10月 4日 徳川慶喜 大政奉還建白書を読み松平春嶽に意見を聞く手紙を書く

 10月12日 徳川慶喜 京都駐屯幕府役人を二条城に集め政権返上を通達
 10月14日 徳川慶喜 二条城に諸藩代表を集め大政奉還を発表
    同    小松帯刀 徳川慶喜に対面し五ヵ条の確約を取る

 10月15日 徳川慶喜 参内し大政奉還奏上、朝廷受理
 10月22日 朝廷 徳川慶喜にしばらくは政務をみるようにと通達

 10月24日 徳川慶喜 征夷大将軍の辞表を提出
 10月26日 朝廷 徳川慶喜に諸侯の上京までは従来通りと指示
 12月 9日 小御所会議 辞官納地、徳川慶喜に要求
 12月10日 松平春嶽 二条城の徳川慶喜に内命を伝える

 12月12日 徳川慶喜、松平容保、松平定敬、板倉勝静 大坂城に入る
 12月14日 徳川慶喜 大坂城でロッシュ、パークスと会見、下坂の理由を伝える
 12月16日 徳川慶喜 六ヶ国の外国使臣と会見
 12月21日 徳川慶喜 パークスと会見
 12月26日 小御所 三職会議、徳川慶喜の辞官納地を決定
 12月28日 徳川慶喜に薩摩藩邸焼討の報入る

明治元年 1868

  1月 1日 徳川慶喜 「討薩の表」を発する
  1月 5日 徳川慶喜 佐川官兵衛を呼び歩兵頭並を任命
  1月 6日 神保修理 松平容保に招かれ徳川慶喜に拝謁、東帰を言上
    同    徳川慶喜、松平容保、松平定敬、板倉勝静 「開陽丸」で大坂を脱出
  1月 7日 朝廷 徳川慶喜追討令を発布
  1月10日 新政府 征討大号令を発布 徳川慶喜、松平容保の官位剥奪を決める
  1月12日 徳川慶喜 江戸城に入り勝海舟と善後策を論じる
    同    徳川慶喜 天璋院に面会し状況を報告
    同    徳川慶喜 静寛院宮に面会を拒否される

  1月15日 徳川慶喜 静寛院宮に拝謁
  1月16日 徳川慶喜 小栗忠順を罷免する
  1月17日 若年寄堀直虎 徳川慶喜に恭順を直言して自刃
    同    静寛院宮 徳川慶喜の歎願書を取り次ぐと決意する

  1月19日 仏公使ロッシュ 江戸城で徳川慶喜に再挙を勧告する
  1月21日 徳川慶喜 好意の在京大名に手紙を書き朝廷へのとりなしを願う
    同    静寛院宮 朝廷に徳川慶喜処分について手紙を書き側近の土御門藤子を使者として京に向わせる

  1月23日 勝海舟 陸軍総裁若年寄任命 榎本武揚 海軍副総裁に任命 勝海舟 徳川慶喜に戦略案を示す
  1月26日 徳川慶喜 ロッシュと会談
  1月27日 徳川慶喜 ロッシュと会談し抗戦論を拒否

  2月 2日 西郷吉之助 大久保一蔵に徳川慶喜の処分を厳しくするようにと手紙を書く
  2月 5日 徳川慶喜 松平春嶽に書簡を送り恭順の態度を表明
  2月 8日 徳川慶喜 松平容保、定敬の登城を禁じる
  2月11日 徳川慶喜 要人を集め会議し恭順を決める
  2月12日 徳川慶喜 上野寛永寺大慈院で謹慎恭順
    同    近藤勇 登城、徳川慶喜の警護を命じられる

  2月16日 大久保一蔵 鹿児島の蓑田伝兵衛に徳川慶喜処分について手紙を書く
  3月20日 西郷吉之助 参内、徳川慶喜助命の勅裁を得る
  3月27日 勝海舟 横浜英国公使館のパークスを訪問し最悪の場合、徳川慶喜の国外脱出を依頼
  4月 6日 徳川美賀子 小石川水戸藩邸に移る

  4月10日 勝海舟 池上本門寺で打ち合わせ後、寛永寺の徳川慶喜訪問し刀を賜る
  4月11日 徳川慶喜 寛永寺を出、水戸に向う
  4月15日 徳川慶喜 水戸弘道館に入る
閏 4月 4日 勝海舟 大総督府に徳川慶喜を江戸近郊に移せと建白書を提出
閏 4月19日 勝海舟 静寛院宮に徳川慶喜よび返しについて嘆願書提出
閏 4月28日 勝海舟 西郷吉之助に江戸鎮撫のため徳川慶喜を復帰させ没収した知行地を返還せよと手紙を書く
  7月19日 徳川慶喜 旧幕府艦「蟠龍丸」に乗船
  7月23日 徳川慶喜 「蟠龍丸」で清水港入港、駿府宝台院に入る

明治二年 1869

  9月28日 明治天皇 徳川慶喜、松平容保の罪を許すとの詔を下す
 10月 5日 徳川慶喜 宝台院東紺屋町旧幕府代官所跡に転居

明治五年 1872

    ?    徳川慶喜 従四位に叙される

明治十三年 1880

    ?    徳川慶喜 正二位に叙される

明治二一年 1888

    ?    徳川慶喜 従一位に叙される
  3月 6日 徳川慶喜 紺屋町から西草深邸に住居を移す

明治三十年 1897

 11月19日 徳川慶喜 東京巣鴨に移る
 徳川慶喜巣鴨屋敷跡地



徳川慶喜巣鴨屋敷跡地

東京都豊島区巣鴨1丁目

2010年10月29日撮影


明治三一年 1898

  2月 9日 徳川慶喜 皇居参内後、氷川町、勝海舟訪問

明治三四年 1901

 12月     徳川慶喜 東京小日向第六天町に移る

明治三五年 1902

    ?    徳川慶喜 公爵を授けられる

大正二年 1913

 11月21日 徳川慶喜(77歳)病没
 11月30日 上野寛永寺で徳川慶喜葬儀

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