西郷隆盛 年表
baku 幕末年表 matu より 西郷隆盛と西郷家の名前の項目を抜粋しました。
 誕生地
西郷隆盛 誕生地 西郷隆盛 誕生地

鹿児島市鍛冶屋町

 西郷隆盛 西郷従道 誕生地

2000年5月4日撮影
西郷隆盛 銅像
西郷隆盛 銅像  鹿児島市   2000年 5月5日 撮影

後ろは城山
西郷従道 誕生地
文政十年 1827

 12月 7日 西郷隆盛 鹿児島下鍛冶屋町に生まれる

天保十四年 1843

  5月 4日 西郷従道 鹿児島に生まれる

嘉永五年 1852

    ?    西郷吉之助 結婚
  7月18日 西郷吉之助の祖父、龍右衛門 死去
  9月28日 西郷吉之助の父、吉兵衛 死去
 11月29日 西郷吉之助の母、政子 死去

安政元年 1854

  1月21日 島津斉彬 西郷吉之助と参勤のため江戸に向かう
  3月     島津斉彬 西郷吉之助を庭方役に任命する
  4月10日 西郷吉之助 水戸藩邸で藤田東湖に会う
  7月29日 西郷吉之助 叔父椎原与右衛門、権兵衛に藤田東湖の印象を手紙に書く
 西郷隆盛 宅地跡
西郷隆盛 宅地跡


西郷隆盛 宅地跡   鹿児島市上之園町

2000年5月6日撮影


貧しさより西郷隆盛一家は加治屋町の
屋敷を売り、この場所に移った。
   西郷隆盛 宅地跡

   西郷隆盛 宅地跡
 大西郷月照王政復古謀議の跡
大西郷月照王政復古謀議の跡

 清閑寺 道標
茶室郭公亭跡 大西郷月照王政復古謀議の跡
大西郷月照王政復古謀議の跡

大西郷月照王政復古謀議の跡

京都市東山区清閑寺   2006年4月8日撮影

安政二年 1855


 10月 4日 西郷吉之助 樺山三円に藤田東湖の訃報を伝える手紙を書く
 12月     西郷吉之助一家 生活苦のため加治屋町の家を売り上之園町に引越し

 12月27日 西郷吉之助 橋本左内と会う

安政三年 1856

    ?    西郷吉之助 妻と離別
 12月 1日 西郷吉之助 妹婿市来正之丞政清に離別について手紙を書く


安政四年 1857

  4月     島津斉彬、西郷吉之助 帰国に向かう
 11月 1日 西郷吉之助 江戸に向うため鹿児島を出発 熊本まで大久保一蔵同行、長岡監物を訪問
 12月 6日 西郷吉之助 江戸到着

安政五年 1858

  3月     西郷吉之助 京に入り近衛忠熈に敬子(篤姫)の手紙を渡す
  3月20日 西郷吉之助 近衛忠熈より敬子(篤姫)宛ての返書を持ち京より江戸に向う
  5月17日 西郷吉之助 江戸より鹿児島に向かう

  6月 7日 西郷吉之助 鹿児島に帰国し島津斉彬に拝謁、松平慶永の書簡を渡し井伊直弼大老就任後の情勢報告をする
  6月18日 西郷吉之助 島津斉彬の命により大坂に向う

  7月 7日 西郷吉之助 大坂に入る
  7月     西郷吉之助 吉井友実と京に入る
  7月14日 西郷吉之助 梁川星巌を訪問し情勢を島津斉彬に手紙で報告

  7月24日 西郷吉之助 島津斉彬の訃報を京で聞く
  8月 2日 西郷吉之助 京より江戸に向かう
  8月 7日 西郷吉之助 江戸に入る
  8月     西郷吉之助 水戸藩邸の安島帯刀を訪問
  8月11日 西郷吉之助 月照に島津斉彬を失った心境を手紙に書く

  8月25日 西郷吉之助 橋本左内訪問後、江戸より京に向う
  8月30日 西郷吉之助 京に入る
  9月 7日 西郷吉之助 江戸より京に入った有馬新七より情勢報告を受けた後、月照に手紙を送る

  9月 8日 月照 西郷吉之助を訪問
  9月 9日 月照 西郷吉之助を再び訪問し梅田雲浜の捕縛を伝える
  9月10日 西郷吉之助 近衛家に入り月照護衛の依頼を受け有村俊斎と伏見まで護衛
  9月11日 西郷吉之助 月照と有村俊斎を伏見より乗船させ大坂で潜伏させる

  9月23日 西郷吉之助 月照と大坂より乗船
  9月30日 西郷吉之助、月照 下関に入る

 10月 6日 西郷吉之助 鹿児島に入る
 11月11日 月照 西郷吉之助宅を訪問
 11月15日 薩摩藩 西郷吉之助に月照を日向に潜伏させることを命じる
    同    西郷吉之助 月照上人(46歳)と入水自殺 月照死亡、西郷、平野国臣に助けられ蘇生

 12月28日 西郷吉之助 奄美大島に送られるため乗船山川港に向う
    同    大久保一蔵 西郷吉之助に手紙を書く

安政六年 1859

  1月 2日 伊地知正治 山川港で西郷に大久保の手紙を渡す 西郷吉之助 大久保一蔵に返書を書く
  1月11日 西郷吉之助 山川港出港
  1月12日 西郷吉之助 奄美大島に到着

 11月     西郷吉之助 愛加那と結婚

万延元年 1860

    ?    大久保一蔵 西郷吉之助召還の建白書を提出
  2月28日 西郷吉之助 大久保一蔵に橋本左内処刑を嘆く手紙を書く


文久元年 1861

  3月 4日 西郷吉之助 大久保一蔵に昨日は早くから焼酎を飲み井伊直弼の一周忌を祝ったと手紙を書く
    ?    西郷吉之助に召還命令下る


文久二年 1862

  2月12日 西郷吉之助 大島より鹿児島に帰る
  2月13日 小松帯刀邸で西郷吉之助、大久保一蔵、小松帯刀会談
  2月14日 大久保一蔵 西郷吉之助と会う
  2月15日 西郷吉之助 島津久光に拝謁、上洛に強硬に反対

  2月16日 島津久光 西郷吉之助に上洛参府を条件に策を立てる事を命じる
  2月17日 西郷吉之助 島津久光に上下二策を提出
  2月18日 西郷吉之助 届け捨てで指宿二月田温泉に足痛の湯治に行く

  2月29日 大久保一蔵 西郷吉之助に早急に戻るように手紙を書く
  3月     西郷吉之助 鹿児島に戻り大久保一蔵と会談、討幕で合意
  3月13日 西郷吉之助、村田新八 九州諸藩の情勢を探索後、下関待機を命じられ出発
  3月16日 島津久光 薩摩藩兵を率い鹿児島出発 大久保一蔵、小松帯刀、大山弥助、西郷信吾同行
  3月23日 西郷吉之助 下関、白石正一郎邸に入り止宿中の平野国臣と錦江湾以来5年振りに会う
    同    西郷吉之助 島津久光の命令を無視し京に向う

  3月27日 西郷吉之助 大坂に入る
  3月28日 島津久光 下関に入る 西郷吉之助の単独行動に激怒
    同    西郷吉之助 久坂玄瑞と会見
  3月29日 西郷吉之助 伏見薩摩藩邸に入る

  4月 5日 平野国臣 伏見の西郷吉之助を訪問
  4月 6日 西郷吉之助 村田新八と宇治に遊山に行く
    同    島津久光 姫路に入り西郷吉之助、村田新八の逮捕命令を出す
  4月 7日 大久保一蔵、西郷吉之助と会見後大坂に向う途中、男山八幡を詣でる
  4月 9日 西郷吉之助 兵庫の大久保一蔵を訪問、海岸で会談
  4月10日 西郷吉之助、大久保一蔵 大坂に入る
    同    島津久光 薩摩藩士の他藩士との交流を禁じ西郷吉之助の鹿児島護送を命じる
  4月11日 西郷吉之助 鹿児島に送られるため薩摩藩船「天佑丸」で大坂出港
    ?    西郷吉之助 山川港に入る
  6月11日 西郷吉之助 山川港を出航

  7月     西郷吉之助 徳之島に到着
  8月26日 愛加那 徳之島の西郷吉之助を訪問する
  8月     西郷吉之助 沖ノ永良部島への移動を命じられる

閏 8月14日 西郷吉之助 沖ノ永良部島での遠島生活に入る

文久三年 1863

  3月21日 西郷吉之助 心に余裕が出始めていることを龍郷の得藤長に手紙を書く
  9月     西郷吉之助に薩英戦争の情報伝わる
 10月16日 西郷吉之助 琉仲為に子供に読み書きを教えているなどの近況と薩英戦争の詳細を知らせてくれた礼状を書く


元治元年 1864

  1月     島津久光 西郷吉之助赦免に同意
  2月28日 西郷吉之助 沖永良部島より鹿児島に戻る 途中喜界島の村田新八も連れ戻る
  3月 4日 西郷吉之助 鹿児島より京に向う
  3月11日 西郷吉之助 大坂に入る
  3月14日 西郷吉之助 京薩摩藩邸に入る
  3月18日 西郷吉之助 島津久光に拝謁
  3月     西郷吉之助 軍賦役兼諸藩応接係に任命される
  6月 8日 西郷吉之助 大久保一蔵に長州が暴発しても薩摩は動かず御所を一筋に守ると手紙を書く
  6月25日 西郷吉之助 大久保一蔵に長州と会津の私闘に薩摩は軍を動かさないと手紙を書く
  7月19日 蛤御門の変
  7月     西郷吉之助 小松帯刀と協議し被災者救済のため押収の長州軍兵糧米五百俵を東洞院錦小路薩摩藩邸で放出
  8月 1日 西郷吉之助 大久保一蔵に長州本藩と支藩岩国藩を分離させる策を手紙に書く

  8月     坂本龍馬 西郷吉之助と会談
  9月11日 勝海舟 大坂で西郷吉之助と会見、列藩同盟を説く
  9月16日 西郷吉之助 大久保一蔵に勝海舟の印象を伝える手紙を書く
 10月     西郷吉之助 御側役に昇進

 10月12日 西郷吉之助 大久保一蔵に長州人を以って長州人を裁くと手紙を書く
 10月22日 幕府 大坂城で征長の軍議 西郷吉之助、戦わずして勝つために長州支藩による本藩説得を進言

    ?    西郷吉之助 近藤勇と会見
    ?    勝海舟 大坂で西郷吉之助に坂本龍馬と同志達のの身柄を託す
 11月     福岡藩士、月形潜蔵と早川保 西郷隆盛と会見し中岡慎太郎、土方楠左衛門を紹介する

 11月 4日 西郷吉之助 征長総督の内命を受け岩国で吉川経幹と会見し長州謝罪の実行を督促
 12月 4日 中岡慎太郎 小倉で西郷吉之助と五卿移座の件で会見
 12月11日 西郷吉之助 馬関に潜入し長州諸隊の説得を始める
 12月20日 西郷吉之助 岩国で吉川経幹に再び謁見
 12月28日 西郷吉之助 広島より小倉に向かう


慶応元年 1865

  1月 1日 西郷吉之助 小倉に入る
  1月 4日 西郷吉之助 小倉より鹿児島に向う

  1月28日 西郷吉之助 いとと婚姻
  4月22日 坂本龍馬 西郷吉之助に従い京を出る
  5月 1日 坂本龍馬 西郷吉之助、小松帯刀と鹿児島に入る
閏 5月16日 中岡慎太郎 西郷吉之助と「胡蝶丸」で下関に向う
閏 5月18日 中岡慎太郎 西郷吉之助に下関寄港を要請するが失敗、佐賀関で下船、西郷は京に向う
閏 5月21日 中岡慎太郎 下関に入り西郷吉之助下関に入らずを坂本龍馬、桂小五郎に報告

閏 5月23日 西郷吉之助 京に入る
  6月24日 坂本龍馬 京薩摩藩邸で西郷吉之助に長州藩用銃器の薩摩藩名義購入を要請
  9月23日 西郷吉之助 大坂より京に入る
    同    大久保一蔵 西郷吉之助に万民が納得しない非義の勅命に薩摩藩は従うべきでないと手紙を書く

  9月24日 坂本龍馬 西郷吉之助と京を出て大坂に入る
 12月19日 西郷吉之助の使者 黒田了助、下関で木戸貫治に上京を促す

慶応二年 1866

  1月21日 薩摩藩邸で薩長秘密攻守同盟成立
  1月22日 坂本龍馬 木戸寛治、小松帯刀、西郷吉之助と会談
  3月 4日 薩摩藩船「三邦丸」大坂出港 西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎、三吉慎蔵、お龍乗船

    ?    「桜島丸」 鹿児島入港 兵糧米500俵、西郷吉之助、丁重に辞退
  5月29日 坂本龍馬 西郷吉之助と会談
  6月     西郷吉之助 英艦「プリンセスロイヤル」号の艦上でパークスと会談

 11月20日 中岡慎太郎 西郷吉之助と会談
 12月14日 中岡慎太郎 西郷吉之助を訪問(23日も)
 12月27日 中岡慎太郎 孝明天皇の崩御を知り西郷吉之助を訪問
 12月29日 西郷吉之助 中岡慎太郎を訪問 中岡慎太郎その後、大坂に入る

慶応三年 1867

  2月16日 西郷吉之助 高知城下、散田邸で山内容堂と会見、上京を督促
  2月24日 西郷吉之助 宇和島で伊達宗城と会見、上京を督促
  3月 3日 中岡慎太郎 吉井幸輔を訪問後、西郷吉之助を訪問
  3月 7日 中岡慎太郎 西郷吉之助、村田新八と会談後、黒田了介を訪問し宿泊
  4月12日 島津久光 京に入る西郷吉之助同行
  4月14日 西郷吉之助 中岡慎太郎と会見

  4月22日 中岡慎太郎 西郷吉之助と会談(24日も)
  5月 2日 中岡慎太郎 西郷吉之助、大久保一蔵と会談
  5月 7日 中岡慎太郎 西郷吉之助と会談
  5月15日 中岡慎太郎 西郷吉之助、吉井幸輔と会談
  5月21日 中岡慎太郎、乾退助 西郷吉之助、小松帯刀 倒幕決行を会談 薩土密約を結ぶ
  5月29日 中岡慎太郎 西郷吉之助、吉井幸輔と会談
  6月 3日 中岡慎太郎 西郷吉之助、大久保一蔵と会談
  6月 6日 中岡慎太郎 西郷吉之助、吉井幸輔と会談
  6月16日 中岡慎太郎 西郷吉之助、吉井幸輔を訪問
  6月19日 木戸準一郎 黒田了介より西郷吉之助が長州に入り打ち合わせをしたいとの手紙を受ける
  6月22日 京三本木料亭 西郷、小松、大久保、寺村、坂本、中岡、後藤、乾、福岡 薩土盟約

  6月26日 坂本龍馬 西郷吉之助に大政奉還案を打診
  7月 5日 中岡慎太郎 西郷吉之助、大久保一蔵を訪問
  7月15日 村田新八 山口に入り西郷吉之助の長州入りが遅れると木戸準一郎に報告
  7月25日 坂本龍馬 西郷吉之助、訪問
  7月29日 土佐大監察、佐々木三四郎 西郷吉之助訪問
  8月 3日 中岡慎太郎 西郷吉之助を訪問
  8月14日 西郷吉之助、大久保一蔵、小松帯刀 京都藩邸で倒幕挙兵の密議
  9月 7日 西郷吉之助 後藤象二郎より大政奉還案、提出を聞くが賛成せず薩土盟約を破棄
 10月 8日 大久保一蔵 倒幕の宣旨降下を請う書を作成し西郷吉之助、小松帯刀の連署で提出
 10月17日 西郷吉之助、大久保一蔵、小松帯刀 京を出る
 10月22日 西郷吉之助、小松帯刀 山口に入り木戸準一郎と会談、倒幕挙兵を確認
 10月23日 西郷吉之助 鹿児島に向う
 10月26日 西郷吉之助 鹿児島に帰藩

    ?    坂本龍馬 西郷吉之助に新政府綱領八策と新官制擬定書を指めす
 11月13日 島津忠義 西郷吉之助を参謀に3千の兵と鹿児島を出港
 11月16日 西郷吉之助 藩主、島津忠義と三田尻に入り木戸準一郎と会談
 11月23日 島津忠義、西郷吉之助 3千の兵と入京し相国寺に本営を置く
 11月28日 西郷吉之助 後藤象二郎と会談
 12月 4日 西郷吉之助 河原町土佐藩邸に後藤象二郎訪問
 12月 8日 西郷吉之助 岩倉具視に意見書を提出

 12月12日 西郷吉之助参与職となる
 12月28日 谷干城 西郷吉之助と相国寺で会見
 相国寺
相国寺 相国寺



京都市上京区今出川通烏丸東入


2006年11月2日撮影
明治元年 1868

  1月 3日 木戸準一郎 品川弥二郎に西郷吉之助、大久保一蔵の失策を指摘する手紙を書く
    同    西郷吉之助 大久保一蔵に初戦に勝利した喜びを伝える手紙を書く
  1月10日 西郷吉之助 鹿児島の桂久武に官軍の大勝を伝える手紙を書く
  1月11日 征討大将軍仁和寺宮嘉明親王 西郷吉之助と大坂城に入る

  2月 2日 西郷吉之助 大久保一蔵に徳川慶喜の処分を厳しくするようにと手紙を書く
  2月 3日 西郷吉之助 東征大総督府参謀に就任

  2月12日 徳川慶喜 上野寛永寺大慈院で謹慎恭順
    同    西郷吉之助 京を出発、駿府に向う

  2月24日 西郷吉之助 駿府に入る
  3月 5日 西郷吉之助 京の吉井幸輔に官軍の士気旺盛と手紙を書く
    同    勝海舟 西郷吉之助に外国の介入及び汚名を後世に残すと手紙を書く
  3月 9日 西郷吉之助 駿府で山岡鉄舟と会見し恭順降伏の条件を示す(8日か?)
  3月11日 西郷吉之助 駿府を出る
  3月12日 西郷吉之助 勝海舟に明日高輪藩邸で会おうと手紙を書き板垣退助にも勝手に動くなと手紙を書く
  3月13日 西郷吉之助 江戸高輪薩摩藩邸に入る
    同    勝海舟 正午に江戸高輪薩摩藩邸の西郷吉之助を訪問し静寛宮を人質にしない事を明言

  3月14日 江戸田町薩摩藩邸 西郷吉之助、勝海舟会談 江戸総攻撃中止
    同    板垣退助 西郷吉之助を訪問し総攻撃中止に抗議

  3月15日 西郷吉之助 京に向う
  3月16日 西郷吉之助 駿府に入る

  3月17日 西郷吉之助 会談の結果を有栖川宮に報告し京に向う
  3月19日 西郷吉之助 京に入る
  3月20日 西郷吉之助 参内、徳川慶喜助命の勅裁を得る

  3月22日 西郷吉之助 京を出る
  3月25日 西郷吉之助 駿府大総督に復命
  3月28日 西郷吉之助 横浜のパークスを訪問(27日か?)
  3月29日 西郷吉之助 池上本門寺に入る

  4月 2日 西郷吉之助 池上本門寺で江戸城受け取りの軍議を開く
  4月 5日 西郷吉之助 大久保一蔵に経過報告と公私混同を避けるため勝海舟に会わずにいると手紙を書く
  4月 6日 西郷吉之助 横浜でパークスと会見
  4月29日 西郷吉之助、山県狂介 大坂に向う
閏 4月 4日 西郷吉之助、山県狂介 大坂に入る
閏 4月 5日 西郷吉之助 京に入る
閏 4月 6日 西郷吉之助 大久保一蔵を訪問後、大久保と岩倉具視邸に行く
    同    西郷吉之助 木戸準一郎に 上京を促す手紙を書く

  4月11日 三条実美、西郷吉之助 京を出発
閏 4月17日 三条実美、西郷吉之助 大坂より薩摩汽船「豊瑞丸」に乗船し江戸に向う
閏 4月23日 三条実美、西郷吉之助 江戸に入る
閏 4月28日 勝海舟 西郷吉之助に江戸鎮撫のため徳川慶喜を復帰させ没収した知行地を返還せよと手紙を書く
  5月10日 西郷吉之助 大久保一蔵と吉井幸輔に江戸、越後、奥羽の情況を知らせ兵の増援と医師の派遣を依頼する手紙を書く
  5月20日 西郷吉之助 大久保一蔵と吉井幸輔に彰義隊討伐の様子を伝える手紙を書く
  9月27日 西郷隆盛 鶴岡に入る
  9月29日 西郷隆盛、黒田清隆、大山綱良 鶴岡を出る
    ?    西郷隆盛 鹿児島に帰国

明治二年 1869

  2月25日 西郷隆盛 鹿児島藩参政に任命
  6月     山県有朋、西郷従道 海外視察のため長崎より出港
 12月 4日 大久保利通、木戸孝允に毛利敬親、島津久光、西郷隆盛に上京命令を伝えるため帰国せよの命令が出る

明治三年 1870

   1月 8日 西郷隆盛 参政を辞退、相談役になる
   2月10日 西郷隆盛 三田尻近くの中関に入港
   2月11日 西郷隆盛 山口で木戸孝允に面会
   2月13日 西郷隆盛 毛利敬親、元徳に拝謁
   2月14日 西郷隆盛 山口を出、鹿児島に向う

   6月     人見勝太郎 薩摩に入り西郷隆盛を訪問
   7月     西郷隆盛 太政官より大参事に任命
  11月16日 西郷隆盛 月照十三年忌に弔誌を送る


明治四年 1871

  1月 3日 西郷隆盛、大久保利通 鹿児島を出発
  1月 8日 西郷隆盛、大久保利通 山口の木戸孝允訪問
  1月17日 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允 土佐に入る
  2月 2日 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、山県有朋、板垣退助 東京に入る
  2月15日 西郷隆盛 新兵徴集のため鹿児島に入る

  4月21日 西郷隆盛 新兵5000名と上京
  6月25日 政府首脳人事更迭 西郷隆盛、参議就任 木戸孝允以外の参議辞職
  7月 1日 山県有朋 西郷隆盛を訪問
  7月 6日 九段坂上、木戸孝允邸 西郷隆盛、大久保利通、山県有朋会合


明治五年 1872

  5月23日 明治天皇 西国巡幸のため東京を出る 西郷隆盛同行
  7月19日 西郷隆盛 陸軍元帥、近衛都督を兼務

 11月     西郷隆盛 鹿児島に入り島津久光より詰問14ヶ条を受け詫び状を出す
 西郷隆盛 関原読軍記石碑
西郷隆盛 関原読軍記石碑

西郷隆盛 関原読軍記石碑  長浜市石田三成出生地

1994年5月2日撮影
西郷隆盛 関原読軍記石碑   
 西郷屋敷跡
西郷屋敷跡   西郷屋敷跡
西郷屋敷跡   鹿児島市 武二丁目

2000年 5月4日撮影
南洲翁使用の井戸 南洲翁使用の井戸
徳の交わり 徳の交わり
明治六年 1873

  3月     西郷隆盛 東京に入る
  5月10日 西郷隆盛 陸軍大将兼参議となる
  7月29日 西郷隆盛 板垣退助に手紙を出す
  7月31日 西郷隆盛 板垣退助を訪問
  8月 3日 西郷隆盛 三条実美に手紙を書く
  8月16日 西郷隆盛 三条実美を訪問

  8月17日 西郷隆盛 朝鮮派遣使節任命議決
  8月18日 西郷隆盛 三条実美を訪問
  8月19日 西郷隆盛 板垣退助に手紙を書く 板垣退助 西郷を訪問

 10月14日 岩倉具視 西郷隆盛に閣議欠席を要求、西郷これを拒否
 10月15日 西郷隆盛欠席の閣議で朝鮮使節採決 大久保利通、辞意を表明し退席

 10月17日 大久保利通、木戸孝允、大隈重信 辞表提出 西郷隆盛、三条実美に上奏を迫る
 10月18日 三条実美 西郷隆盛を自邸に呼び改説を願うが拒否される西郷帰宅後、精神異常

 10月22日 西郷隆盛、板垣退助、副島種臣、江藤新平 予告なしで岩倉邸訪問 上奏を迫る
    同    西郷隆盛 大久保利通邸を訪問、後事を託す
 10月23日 西郷隆盛 辞表提出

 10月28日 西郷隆盛 品川より乗船し鹿児島に向う
 11月10日 西郷隆盛 鹿児島に入る
 私学校跡
私学校跡
鹿児島市城山町

2000年 5月5日 撮影
私学校跡   私学校跡
私学校跡   西南戦争の銃弾跡
私学校跡 私学校跡
明治七年 1874

  3月11日 江藤新平 鰻温泉で西郷隆盛と会う
  4月 4日 西郷従道 陸軍中将に任命される
  4月 9日 西郷従道 長崎に向う

  4月26日 政府軍 台湾出兵 征討総監、西郷従道
  5月22日 政府軍 西郷従道台湾上陸
  6月     鹿児島私学校設立
 11月16日 大久保利通 台湾に入り西郷従道に撤兵を指示
 西郷隆盛 洞窟
西郷隆盛 洞窟

西郷隆盛 洞窟   鹿児島市城山町

2000年 5月5日 撮影

西郷隆盛は、この戦争で得た物があったのだろうか

兄弟や仲間が倒れていくのをどう感じていただろう。
せごどん
 西郷隆盛 洞窟   西郷隆盛 洞窟
 西郷隆盛 終焉の地
西郷隆盛 終焉の地


西郷隆盛 終焉の地
晋也この時4歳
西郷隆盛 終焉の地

西郷隆盛 終焉の地

鹿児島市城山町

2000年 5月4日 撮影

西南戦争は、此処で終わる。
明治十年 1877

  2月 1日 西郷隆盛に襲撃事件伝わる
  2月 5日 私学校講堂で西郷隆盛を向え幹部会議
  2月19日 西郷隆盛の上京趣意書、熊本城に届く
  2月27日 西郷小兵衛(31歳)高瀬で戦死
  4月26日 西郷隆盛 人吉土手町永国寺に入る
  5月29日 西郷隆盛 加久藤超えで宮崎に向う
  8月 2日 西郷隆盛 延岡に入る
  8月15日 和田越の戦い 西郷隆盛陣頭指揮 北川町、児玉熊四郎宅に入る
  8月16日 西郷隆盛 直筆解散布告書発令 書類、軍服を焼く

  9月22日 薩軍使者、河野圭一郎、山野田一輔 征討軍本営に入る 山県有朋 使者に西郷隆盛宛の書簡を託す
  9月23日 西郷隆盛 薩軍290名の名簿を書く
  9月24日 城山総攻撃 西郷隆盛(51歳)切腹 桐野利秋(39歳)戦死 別府晋介(31歳)切腹 村田新八(41歳)切腹?戦死か
                  池上四郎、戦死 辺見十郎太(28歳)戦死 西郷他埋葬される 西南の役終結
 西郷隆盛の墓
鹿児島市上竜尾町

南洲神社

2000年 5月5日 撮影
西郷隆盛の墓

西南之役薩軍戦没者名碑
南洲神社
勝海舟歌碑  勝海舟歌碑
  西郷屋敷の玄関セット NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」で

使用された西郷屋敷の

玄関セット
明治十一年 1878

  5月24日 西郷従道 文部卿 川村純義 海軍卿になる
 12月24日 西郷従道 陸軍卿 山県有朋 参謀本部長に就任

明治十二年 1879

  7月22日 伊藤博文、西郷従道 避暑のため日光に滞在中のグラントを訪問し琉球問題の調停を願う

明治十七年 1884

 11月     勝海舟 吉井友実より西郷隆盛の長男寅太郎が洋行し軍人になるよう説得することを頼まれる
    ?    勝海舟 西郷隆盛の長男寅太郎と会う


明治十八年 1885


 12月22日 官制大改革、新内閣制度発足 内閣総理大臣兼宮内大臣、伊藤博文 外務大臣、井上馨 内務大臣、山県有朋
                  大蔵大臣、松方正義 陸軍大臣、大山巌 海軍大臣、西郷従道 司法大臣、山田顕義 文部大臣、森有礼
                  農商務大臣、谷千城 通信大臣、榎本武揚 内閣書記長官、田中光顕 法務局長官、山尾庸三


明治二二年 1889

  2月11日 大赦により西郷隆盛の賊名が解かれ正三位、藤田東湖、佐久間象山、吉田松陰正四位を追贈、江藤新平罪を許される

明治二三年 1890

  1月18日 前庄内藩主、酒井忠篤 南洲翁遺訓出版

明治二七年 1894

  7月19日 陸軍大臣、西郷従道 陸奥宗光に戦端を開くときの外交上の問題を質問

明治三一年 1898

    ?    元帥府創設 皇族以外に山県有朋、西郷従道、大山巌元帥となる
 12月18日 上野山王台に西郷隆盛の銅像除幕式

明治三五年 1902

  6月     西郷従道 入院
  7月18日 西郷従道(59歳)病没
    ?    西郷愛加那(66歳)死亡
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