新選組 年表 
baku 幕末年表 matu より 新選組関連の名前が出ている項目を抜粋しました。

文化五年 1808


    ?    天然理心流創始者 近藤内蔵助、死亡

文政九年 1826

    ?    芹沢鴨 常陸国行方郡芹沢村に生まれる(?天保元年か)

文政十年 1827

    ?    佐藤彦五郎 生まれる

文政十一年 1828

  1月15日 島田魁 生まれる
 10月20日 篠原泰之進 生まれる


文政十二年 1829

  3月 1日 井上源三郎 日野に生まれる

天保元年 1830

  2月 1日 小島鹿之助 多摩小野路に生まれる
  5月     近藤周助 天然理心流三代目継承
 10月10日 清河八郎 庄内藩領清川村に生まれる
    ?    芹沢鴨 常陸国行方郡芹沢村に生まれる(文政9年か)

天保四年 1833

    ?    佐々木只三郎 会津に生まれる
    ?    山南敬助 仙台に生まれる(?天保7年か)
    ?    沖田光 生まれる

近藤勇
近藤勇 肖像写真

新選組局長として名を残した近藤勇
多摩、江戸、京都、甲府、流山、板橋
35年の生涯は、今後も語り継がれる。
何故、京都で 何故、甲府に行く前に 何故、流山で
彼にしか分からない数々の疑問。
解き明かされるのが少し恐い気がします。
私は、幕末に興味を持ち始めたころ
新選組が嫌いでした。今それを恥じています。
立場が少し違っただけでした。
誠の隊旗のもとで京都の治安を守った。
与えられた仕事に命を掛けて貫いた男達に
感謝と敬意を込めたいと思います。
近藤 勇胸像

近藤 勇胸像  京都市壬生寺

1990年11月25日撮影

中島登の近藤勇錦絵
中島登の近藤勇錦絵
土方歳三
土方歳三 肖像写真

鬼の副長、土方歳三のイメージは悪い。
しかし、土方歳三のファンが私も含めて多いのは
この肖像写真から考えられない愛嬌が
残されている豊玉発句集や手紙ににじみ出ていて
おのれをつらぬいた生涯に共感とあこがれ
自分自身もこうなりたいと思ってしまう。
不思議な魅力があるからではないでしょうか
中島登の土方歳三錦絵
中島登の土方歳三錦絵

天保五年 1834


 10月 9日 近藤勇 多摩に生まれる

天保六年 1835

  5月 5日 土方歳三 多摩石田村に生まれる
    ?    伊東甲子太郎 常陸国志筑に生まれる(天保七年説有)

天保七年 1836

  1月22日 大野右仲 江戸に生まれる
    ?    山南敬助 生まれる(?天保4年か)
    ?    新見錦 生まれる


天保八年 1837

  7月12日 鈴木三樹三郎 常陸国に生まれる

天保九年 1838

  2月 2日 中島登 多摩小田野に生まれる
  6月     土方歳三の姉周(16歳)死亡

天保十年 1839

    ?    近藤勇の母(38)病没
  9月12日 永倉新八 江戸松前藩邸内表長屋に生まれる(4/11か?)
 10月     近藤周助 江戸市ヶ谷柳町に試衛館を開く
 11月 9日 加納道之助 伊豆に生まれる

天保十一年 1840

    ?    原田左之助 伊予に生まれる
    ?    土方歳三の母恵津(48歳)死亡
    ?    土方歳三 大洪水のため被災現在地に移転


天保十三年 1842

    ?    沖田総司 江戸に生まれる

弘化元年 1844

  1月 1日 斉藤一 江戸に生まれる
  9月12日 藤堂平助 江戸に生まれる
    ?    土方歳三の姉のぶ(14歳)日野宿名主の佐藤彦五郎に嫁入


弘化二年 1845

    ?    沖田勝次郎 病死
    ?    土方歳三 江戸上野松坂屋呉服店に丁稚奉公に出るが程なく店の者と喧嘩をし家に戻る


嘉永元年  1848

  7月     小島鹿之助 天然理心流入門
 11月11日 宮川勝太 天然理心流入門

嘉永二年 1849

  6月     宮川勝太 天然理心流の目録を授かる
 10月19日 宮川勝太 近藤周助の養子となる

嘉永三年 1850

    ?    佐藤彦五郎 天然理心流入門

嘉永四年 1851

    ?    土方歳三 江戸大伝馬町に奉公に出るが奉公先の女性と関係を持ち暇を出される
    ?    土方歳三 天然理心流近藤周助に入門

嘉永六年 1853

    ?    永倉新八 神道無念流切紙を授けられる

安政二年 1855

    ?    永倉新八 元服し名を栄治より改める

安政三年 1856

 12月     島田魁 坪内主馬道場に入門
    ?    永倉新八 神道無念流本目録を授けられる

安政四年 1857

 11月10日 永倉新八 江戸松前藩屋敷で父母に勘当願いを書き家出


安政六年 1859

  3月 9日 土方歳三 天然理心流に正式入門
  4月12日 沖田総司 日野、児島鹿之助邸に出稽古


万延元年 1860

  2月 4日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  3月29日 近藤勇 松井ツネと結婚
閏 3月20日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  4月 2日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  4月17日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  6月 8日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  8月29日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問し明神額揮毫を依頼
  8月     剣客人名録「英名録」刊行

  9月30日 近藤周助 府中六所宮で天然理心流献額の神事、土方歳三型試合を披露
 10月 1日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問し一泊
 10月14日 近藤勇、土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
 12月 2日 土方歳三 小島キクに見舞状を書く


文久元年 1861

    ?    島田魁 心形刀流免許皆伝を授かる
  3月23日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  4月12日 土方歳三、沖田総司 小野路を出稽古に訪問し橋本道助宅に泊る
  4月23日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問し一泊
  4月24日 土方歳三 谷保村の本田覚庵宅より帰路に着く
  5月20日 清河八郎 水戸浪士との会合の帰途、町人を斬殺
  5月28日 清河八郎 出奔
    ?    島田魁 大坂南堀江種田流槍術谷万太郎道場入門

  8月27日 府中六所宮大黒魂神社 天然理心流四代目、近藤勇襲名披露野試合
  9月 1日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
 11月 8日 本田覚庵に土方歳三病の報せが届く

文久二年 1862

    ?    近藤勇 妻つね女子を出産
    ?    清河八郎 幕府官費による浪士隊の設立を上申、老中板倉勝静の許可を得る
  2月27日 土方歳三 小島鹿之助宅より本田覚庵を訪問
  3月 1日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問し一泊
  3月25日 土方歳三 谷保村の本田覚庵を訪問
  4月21日 近藤勇、土方歳三 橋本家で出稽古を行い一泊する
  4月22日 近藤勇、土方歳三 橋本家を出る
  5月 9日 土方歳三 橋本家に出稽古
  7月 1日 近藤勇、土方歳三 橋本家で出稽古を行い一泊する
  7月 2日 近藤勇、土方歳三 橋本家を出る

  7月15日 沖田総司 町田小野路で麻疹にかかる
閏 8月 7日 清河八郎の妻 蓮、牢内で病死
 12月28日 幕府 清河八郎の浪士募集策、議決する

 八木邸
八木邸跡 八木邸跡
 
 八木邸跡

京都市中京区坊城通り

新選組発祥の地

1990年11月25日、2003年11月13日撮影

何故か血の匂いを感じてしまう。
八木邸跡 八木邸跡
八木邸跡 入場券

識者による詳しい解説と
お茶菓子付 千円で八木邸内に
入る事が出来ます。

右は、隊士腰掛の石
八木邸跡
笹塚さんのイラス
笹塚さんのイラストです
  
壬生寺
壬生寺で沖田総司は、よく子供と遊んだ
 前川邸
前川邸 前川邸



京都市中京区坊城通り


2003年11月13日撮影
 新徳寺
新徳寺

京都市中京区坊城通り  新徳寺

2003年11月13日撮影
清河八郎
清河八郎
 常安橋
常安橋 常安橋

常安橋

大阪市 北区 西区  2006年3月3日撮影

文久三年 1863


  1月 7日 松平容保 公用局を設ける
    同    老中、板倉勝静 松平忠敏に浪士隊募集の沙汰を出す
  1月10日 土方歳三 小島鹿之助に年賀状を書く
  1月15日 土方歳三 小島鹿之助より刀を借りる
  1月     土方歳三 「豊玉発句集」を書く

  2月 4日 小石川伝通院 浪士隊234名顔合わせ
  2月 5日 小石川伝通院で浪士隊編成と諸注意

  2月 6日 近藤勇 近藤周斎に京行きを報告
    同    洛予定の浪士隊 編成完了

  2月 8日 浪士隊 江戸を出発し中仙道を京に向う
  2月10日 芹沢鴨 宿割りで激怒、本庄宿路上で大篝火を焚く
  2月17日 近藤勇 組頭になる
  2月23日 浪士隊 壬生に入る 新徳寺で清河八郎、演説
  2月24日 清河八郎 学習院に上書を奉じ受理される
  2月29日 近藤勇ら御所拝観
    ?    島田魁 種田流槍術の免許を与えられる
  3月10日 浪士残留組 見廻組、佐々木唯三郎のとりなしで松平容保宛の嘆願書提出
  3月12日 浪士残留組 会津藩預かりになる

  3月13日 清河八郎指揮の浪士隊 江戸に向う 近藤勇派8名、芹沢鴨派5名、八木邸に残留
    同    土方歳三 井上源三郎の兄井上松五郎訪問

  3月16日 浪士残留組 京都守護職邸で松平容保に拝謁
  3月18日 近藤勇 蔭山新之丞に留守宅の世話を頼む手紙を書く、何か事が起これば土方歳三を派遣するとも書かれている
  3月19日 土方歳三 井上源三郎と井上松五郎を訪問し四条芝居茶屋で酒宴

  3月22日 芹沢鴨、近藤勇 十八名連名で板倉勝静に将軍東帰反対の建白書を提出
  3月25日 会津藩士本田四郎ら六名 壬生を訪問し浪士残留組と昼食を共にする
  3月26日 土方歳三 小島鹿之助、橋本道助に上洛後挨拶の手紙を書く

  3月28日 清河八郎の浪士隊 江戸に入る
  3月     島田魁 浪士残留組に入隊
  4月 2日 浪士残留組 大坂平野屋五兵衛より百両の軍資金を借用
    同    井上松五郎 大坂八軒家で浪士残留組と出会う
  4月 8日 土方歳三 井上源三郎と井上松五郎を訪問
  4月10日 土方歳三 井上源三郎と井上松五郎を訪問し芹沢鴨の事を相談する

  4月13日 清河八郎(34歳) 麻布一之橋で佐々木只三郎らに暗殺される
  4月16日 土方歳三 沖田総司と井上松五郎に手紙を送る
  4月17日 井上松五郎 壬生訪問、田中茶屋で土方歳三、井上源三郎、沖田総司、山南敬助、斉藤一と近藤勇が天狗の件で相談
    同    江戸に戻った浪士隊 新徴組と名を変えて江戸市中の取り締まりを命じられる
  4月20日 土方歳三 井上源三郎と井上松五郎を訪問
  4月21日 徳川家茂 大坂城に入る 壬生残留浪士組警護のため同道し八軒家京屋忠兵衛方に泊る
  4月22日 井上松五郎 土方歳三、井上源三郎を訪問し沖田総司を加えて登楼
  4月24日 浪士残留組 大坂常安橋会所で家里次郎を切腹させる

  5月11日 徳川家茂 京に入る 壬生残留浪士組警護のため同道
  5月25日 壬生残留浪士組 総員三五名連名で幕府に攘夷断行と兵庫開港反対の上書を提出
  6月 2日 壬生残留浪士組 大坂に巡邏に出発
    同    土方歳三 井上松五郎を訪問

  6月 3日 壬生残留浪士組、芹沢鴨 大坂蜆橋で力士を殺害その後力士達と乱闘
  6月 9日 徳川家茂 京出発、大坂に向う 浪士組警護
  6月10日 近藤勇、土方歳三、井上源三郎、永倉新八、野口健司、佐伯又三郎、平山五郎他五名 井上松五郎送別の酒宴を開く
  6月26日 芹沢鴨、新見錦、野口健司 浪士組を装い金策した植村長兵衛を斬殺し首を千本通三条上ルに晒す
  6月     壬生残留浪士組 大坂相撲と和解し京都相撲との合併興行の約束を取付ける
  7月 2日 土方歳三、山南敬助 壬生浪士偽称の石塚岩雄を殺害し天神橋欄干に首を晒す

  7月 4日 芹沢鴨、近藤勇 大坂鴻池より三十両借用
  8月 2日 壬生残留浪士組、佐伯亦三郎 隊士、佐々木愛次郎を斬殺
  8月 7日 祇園で大坂相撲と京都相撲の合併興行が開催され壬生残留浪士組が警護

  8月10日 壬生残留浪士組 佐伯亦三郎を粛清する
  8月12日 壬生残留浪士組に対する礼相撲が壬生寺で開催

  8月13日 芹沢鴨一派 大和屋に大砲を撃ち込む
    同    壬生寺の礼相撲 二日目
  8月17日 松平容保 壬生残留浪士組に出動命令を出す
    同    秋月悌次郎 壬生残留浪士組に松平容保の命令を伝える

  8月18日 朝廷より壬生残留浪士組に新選組の隊名が下賜される
  8月21日 松平容保 新選組に対し市中見廻りを昼夜行う事を命じる
    同    新選組 三条木屋町に桂小五郎の捕縛に向う
  8月22日 新選組 三条縄手に平野国臣の捕縛に向うが失敗
  8月24日 新選組 平野国臣潜伏先の豊後屋を急襲し古東領左衛門を捕縛

  9月 8日 新選組、新見錦 局中法度違反により切腹
  9月16日 芹沢鴨、平山五郎、天然理心流一派に殺害される 平間重助、逃亡
  9月18日 芹沢鴨、平山五郎 壬生寺で葬儀

  9月25日 新選組 朝廷より下賜金拝領
  9月26日 新選組 隊内に潜入の長州間者を粛清
 10月10日 京、一力亭で諸藩周旋方会議 近藤勇出席

 10月15日 新選組 禄位返上の上書を京都守護職に提出
 11月11日 新選組 西条幸次郎を捕縛
 11月21日 松本捨助 新選組入隊を願うが許されず
 11月     土方歳三 小島鹿之助に近況報告の手紙を書く
 11月     土方歳三 平忠兵衛、作兵衛に挨拶の手紙を書く
    ?    新選組 局中法度を発令

 12月28日 新選組 原田左之助、野口健司を殺害(永倉新八の手記によると27日に前川邸で切腹)

 平野屋跡
平野屋跡 平野屋跡



天五は天王寺屋五兵衛

平五は平野屋五兵衛

向い合って営業していたので

五兵衛+五兵衛=十兵衛横町





大阪市中央区今橋1丁目開平小学校南側

2006年3月3日撮影
 旧鴻池家本宅跡
旧鴻池家本宅跡 旧鴻池家本宅跡



大阪市中央区今橋2丁目


2006年3月3日撮影
 八軒家船着場の跡
八軒家船着場の跡

熊野街道
八軒家船着場の跡

八軒家船着場の跡

 八軒家船着場の跡


大阪市中央区天満橋京町

永田屋昆布本店前

2006年3月3日撮影


八軒家船着場の南側にある階段と石垣 当時からあるのだろうか
八軒家 階段 八軒家 石垣
 蜆橋
蜆橋跡


蜆橋跡



大阪市曽根崎新地


2005年6月11日撮影
蜆川跡
 萬福寺
萬福寺


萬福寺 大阪屯所跡



大阪市天王寺区生玉寺町


2007年 1月20日 撮影
萬福寺

萬福寺
 天満橋
天満橋

天満橋
天満橋

天満橋



大阪市 北区 中央区


2006年3月3日撮影
 南禅寺山門
南禅寺山門 南禅寺山門



京都市左京区南禅寺


2005年4月24日撮影
 古高俊太郎邸跡
古高俊太郎邸跡 古高俊太郎邸跡


京都市四条木屋町

1990年11月25日撮影



捕らえられた古高俊太郎は
前川邸で土方歳三の
過酷な拷問を受け
池田屋の変を呼び
そして蛤御門の変の勃発で
六角獄舎で斬殺される。
 祇園会所跡付近
祇園会所跡付近 祇園会所跡付近



京都市東山区祇園


2005年11月6日
八坂神社より撮影
 池田屋騒動
池田屋騒動の碑

この池田屋事件により
新選組の名が鳴り響いていく

池田屋騒動の碑  京都市三条木屋町

1990年10月21日撮影
笹塚さんのイラストです
笹塚さんのイラスト
 死亡  長州藩 杉山松助 吉岡庄助 吉田稔麿
      土佐藩 石川潤次郎 北添佶麿 野老山吾吉郎
            藤崎八郎 望月亀弥太
      肥後藩 松田重助 宮部鼎蔵
      播磨藩 大高又二郎
      新選組 安藤早太郎 奥沢栄吉 新田革左衛門

 捕縛  長州藩 内山太郎左衛門 佐伯稜威緒 佐藤一郎
            山田虎之助
      播磨藩 大高忠兵衛
池田屋騒動の碑 池田屋騒動の碑

15年後に訪問した池田屋址

2005年11月6日撮影
 一力亭
一力亭 現在も営業を続ける一力亭



京都市東山区花見小路


2005年4月24日 撮影

元治元年 1864


  1月 2日 新選組 将軍警護のため大坂に入る
    同    新選組 大坂天保山で徳川家茂を出迎える
  1月10日 土方歳三 平忠右衛門、平作兵衛に年賀状を書く

  1月14日 新選組 徳川家茂入京を前に伏見城裏を警備
  1月15日 新選組 徳川家茂に従って入京し屯所に戻る
  2月 2日 早朝、会津藩と新選組を批判する立札が四条大橋東詰め高札場で発見される
    同    富沢政恕 壬生を訪問し土方歳三、沖田総司、井上源三郎と酒宴を開く

  2月 4日 松平容保 新選組に恩賞金を出す
  2月 9日 土方歳三、沖田総司、井上源三郎 富沢政恕の宿を訪問するが不在
  3月 3日 土方歳三 井上源三郎と富沢政恕を訪問、清水寺を参拝後、祇園藤屋で酒宴
  3月 5日 近藤勇 土方歳三、沖田総司、井上源三郎、藤堂平助と富沢政恕を誘い島原木津屋で酒宴
  3月11日 近藤勇 土方歳三、沖田総司、井上源三郎、藤堂平助、武田観柳斎と富沢政恕を誘い花見の後、島原木津屋で酒宴
  4月11日 近藤勇 土方歳三、沖田総司、井上源三郎と富沢政恕の送別会を千紅万紫楼で開く
  4月12日 土方歳三 佐藤彦五郎に鉢鉄添え状を書く
    同    佐藤彦五郎 土方為二郎に手紙を書く
  4月13日 土方歳三 前日の手紙、日記、鉢鉄を富沢政恕に託して井上源三郎と伏見まで見送る

  4月26日 京都見廻組結成 佐々木只三郎、与頭に抜擢される
  5月 3日 近藤勇 会津公用方に上書を提出
  5月 6日 徳川家茂 京を出て江戸に向う 大坂まで新選組警護
  5月16日 徳川家茂 天保山より乗船 新選組、安治川河口を警備
  5月17日 新選組 近藤勇以下九名は大坂に残留し土方歳三以下の隊士は京に戻る
  5月20日 新選組 大坂天満橋で西町奉行所与力、内山彦次郎(67歳)暗殺
  5月     新選組 平隊士の脱走者が増える

  6月 1日 新選組 宮部鼎蔵下僕、忠蔵を捉え南禅寺山門に晒す
  6月 4日 新選組 道具屋御用改、古高俊太郎を捕縛し前川邸で拷問

  6月 5日 池田屋の変
  6月 6日 新選組 池田屋惣兵衛を逮捕
    同    会津藩 新選組屯所に医師を派遣
  6月 7日 会津藩手代木直右衛門、広沢富次郎 新選組に松平容保からの褒美の金品を渡す
  6月10日 明保野亭事件 会津藩より新選組派遣の柴司、土佐藩士麻田時太郎を浪士と誤り負傷させる
  6月13日 会津藩士、柴司の葬儀に土方歳三、井上源三郎、武田観柳斎、朝野藤太郎、河合耆三郎参列

  6月20日 土方歳三 佐藤彦五郎に幕臣取立てを知らせる手紙を書く
  6月21日 新選組 会津藩の探索依頼を受け東六条に出張し西本願寺に宿泊

  6月24日 新選組 東本願寺周辺を警戒中に会津藩広沢富次郎の依頼を受け竹田街道に出陣
  7月 2日 土方歳三 九条河原から佐藤彦五郎に長州の布陣を知らせる手紙を書く
  7月 7日 備前藩士 新選組隊士松山幾之助を藩内で斬殺し首を晒す

  7月13日 池田屋惣兵衛 六角獄舎で獄死
  7月19日 蛤御門の変 新選組九条河原より御所に出動し会津藩兵と守備に着く
  7月20日 六角獄舎の平野国臣(37歳)、古高俊太郎ら多数斬殺される
    同    新選組 天王山に敗走の真木和泉らを追討するため会津藩と伏見に宿陣

  7月21日 新選組 天王山に出陣
  7月22日 新選組 大坂で残党狩り
  7月23日 新選組 長州兵の武器弾薬多数を押収し八軒家より乗船、壬生に戻る

  8月 4日 幕府 新選組に池田屋事変の感状と恩賞金を出す
  8月15日 新選組に徳川家茂より感状出る
  8月19日 土方歳三 小島鹿之助と橋本道助に近況報告の手紙を書く
  9月     藤堂平助 江戸に向う
  9月 5日 近藤勇 江戸に隊士募集に行くことが決まる
  9月 6日 近藤勇 永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎と将軍出陣嘆願と新選組隊士募集のため江戸に向う
    同    新選組 葛山武八郎切腹
  9月     近藤勇一行 箱根の関所を乗り打ちにする
  9月     藤堂平助 江戸で伊東甲子太郎を訪問、新選組入隊を願う
  9月 9日 近藤勇一行 江戸に入る
  9月10日 近藤勇 江戸会津藩公邸に入り出府の目的を告げる
  9月16日 土方歳三 勝海舟に佐久間象山の遺児を新選組で預っている事を伝える手紙を書く
  9月21日 土方歳三 小島鹿之助に上溝村の火事見舞いと挨拶を兼ねた手紙を書く

  9月25日 佐藤彦五郎 近藤勇に手紙を書き新選組の規律重視を願う
  9月26日 新選組 長州の間者、楠小十郎、御倉伊勢武、荒木田左馬之亮を斬殺
    ?    近藤勇 江戸松前藩邸で老中、松前崇広に面会し建白書を提出
 10月 5日 土方歳三 隊士篠塚峰三の離隊を認める
 10月 7日 土方歳三 日野より訪れた松木元太郎と小林重太郎の入隊を認めず
 10月 9日 土方歳三 近藤勇、佐藤彦五郎に近況報告の手紙を書く
 10月11日 近藤勇 松本良順を訪問
    ?    近藤勇 試衛館で伊東甲子太郎と対面
 10月14日 近藤勇 松本良順を再び訪問し診察を受け健胃制酸下剤を処方してもらう
 10月15日 近藤勇一行 京に向う
 10月20日 近藤勇 佐藤彦五郎にお礼の手紙を書く
 10月27日 近藤勇一行 京に入る
 11月 1日 土方歳三 実家に鉄扇を送る

 11月14日 伊東甲子太郎一行 京に向う
 11月27日 橋本道助 小島鹿之助に土方歳三が実家に鉄扇を送ったと手紙を書く
 11月     新選組 長州への「行軍録」を作成
 12月     小島鹿之助 「行軍録」を筆写

 12月 1日 伊東甲子太郎一行 八名京に入る
 12月 3日 伊東甲子太郎一行 八名新選組入隊

 三縁寺 池田屋殉難烈士の墓
三縁寺 三縁寺本堂

三縁寺本堂
池田屋殉難烈士の墓 池田屋殉難烈士の墓

三条大橋東側より移転しています。

池田屋殉難烈士の墓


京都市左京区岩倉花園町

2005年4月24日撮影
 光縁寺
新鮮組之墓 光縁寺

京都市下京区綾小路通大宮西入  光縁寺

2003年11月13日撮影
光縁寺本堂

光縁寺本堂
山南敬介の墓
山南敬介の墓
 大利鼎吉遭難之地
大利鼎吉遭難之地 大利鼎吉遭難之地



大阪市中央区瓦屋町1丁目


2007年1月20日 撮影

慶応元年 1865


  1月 8日 新選組 大坂で、ぜんざい屋襲撃、土佐脱藩浪士、大利鼎吉(24歳)闘死
  1月10日 近藤勇、土方歳三 連名のぜんざい屋事件の報告書を谷万太郎、正木直太郎に会津藩まで届けさせる
  1月     朝廷 新選組に禁門の変の感状を下す
  2月 9日 土方歳三 佐藤彦五郎に近況報告の手紙を書く

  2月21日 山南敬助 新選組脱走
  2月23日 山南敬助(33歳)切腹、光縁寺に埋葬される
  2月     土方歳三 西本願寺と屯所移転交渉
  3月 1日 土方歳三 佐藤彦五郎に屯所移動などの近況報告の手紙を書く

  3月10日 新選組 西本願寺太鼓楼に屯所移転
  3月15日 新選組、撃剣指南 田中寅蔵(27歳)長州内通の疑いで切腹
  3月21日 沖田総司 佐藤彦五郎に土方歳三江戸下向と山南の件を伝える手紙を書く
  3月     土方歳三 隊士募集のため江戸に向う
  4月 5日 土方歳三 江戸に入る
  4月 6日 佐藤彦五郎 江戸の土方歳三を訪問
  4月12日 土方歳三 日野の佐藤彦五郎家訪問
  4月14日 土方歳三 日野で小島鹿之助と会う

  4月27日 土方歳三 新隊士55名をつれ京に向う
  5月 9日 土方歳三 草津に宿泊
  5月10日 土方歳三 京に入る

  5月26日 新選組 大坂町人の藤井藍田を捕縛、万福寺大坂屯所に連行拷問
  5月     新選組 隊規の更新と新編成を行う
閏 5月22日 新選組 徳川家茂を三条蹴上まで出迎え二条城まで警護
閏 5月23日 松本良順 西本願寺新選組屯所に近藤勇を訪問し病室の設置と清潔な環境を保つことを進言
閏 5月24日 新選組 徳川家茂を藤ノ森まで警護
  6月20日 新選組隊士、瀬山多喜人、真田次郎 不義密通の罪で切腹
  6月21日 新選組、酒井兵庫 脱走
  7月     新選組、酒井兵庫 大坂住吉神社潜伏中を発見され沖田総司他に殺害される
  7月22日 土方歳三 大坂の井上松五郎に残暑見舞いを書く

  7月25日 新選組、平隊士 佐野牧太郎、隊規違反により斬首される
  9月     新選組 第二次の「行軍録」を作成
  9月 9日 土方歳三 近藤周斎、宮川総兵衛、近藤ツネに「行軍録」添えた近況報告の手紙を書く
 11月 2日 土方歳三 近藤周斎、宮川音五郎、宮川金次郎、佐藤彦五郎宛てに近藤勇の出張を知らせる手紙を書く

 11月 4日 長州訊問使一行 広島に向う 永井主永正、近藤勇、伊東甲子太郎ら同行
    同    近藤勇 佐藤彦五郎、小島鹿之助に手紙を書き
         新選組は土方歳三に天然理心流五代目宗家は沖田総司にと後のことを託す
 12月12日 土方歳三 井上松五郎に近藤勇の出張を知らせる手紙を書く
 12月22日 近藤勇 松平容保に報告

 蹴上
蹴上 蹴上

現在の蹴上交差点


京都市左京区

2005年4月24日撮影
 西本願寺太鼓楼
西本願寺太鼓楼 京都市下京区 西本願寺太鼓楼

2003年11月13日撮影
西本願寺太鼓楼
西本願寺太鼓楼
 亀山本徳寺
亀山本徳寺


新鮮組屯所
亀山本徳寺

亀山本徳寺本堂

西本願寺北集会所が移築された

亀山本徳寺本堂

新選組隊士の刀傷がはっきりと残されている



姫路市亀山

2006年8月18日撮影
刀傷

刀傷
 不動堂村屯所跡
不動堂村新選組屯所跡

不動堂村新選組屯所跡
不動堂村新選組屯所跡


不動堂村新選組屯所跡



京都市下京区


2003年11月13日撮影
 高台寺月真院
高台寺月真院 高台寺月真院



京都市東山区


1998年7月4日撮影


高台寺党と呼ばれた御陵衛士は

新選組に叩き潰される。

慶応二年 1866


  1月 3日 土方歳三 佐藤芳三郎宛てと土方隼人、土方伊十郎宛に二通の年賀状を書く
  1月26日 近藤勇、伊東甲子太郎、尾形俊太郎、篠原泰之進 広島に向う
  2月     土方歳三 佐藤彦五郎に刀を添えた手紙を書く
  2月 3日 近藤勇、伊東甲子太郎、尾形俊太郎、篠原泰之進 広島到着

  2月12日 新選組 会計方、河合耆三郎(25歳)隊金私消の罪で斬首される
  3月12日 近藤勇 尾形俊太郎と広島より京に戻る
  3月18日 伊東甲子太郎、篠原泰之進 広島出港

  3月27日 伊東甲子太郎、篠原泰之進 広島より京に戻る
  3月29日 土方歳三 宮川音五郎、粂次郎兄弟、近藤ツネ宛てに近藤勇帰京を知らせる手紙を書く

  4月 1日 新選組七番隊長 谷三十郎の斬死体、祇園石段下で見つかる
  4月20日 松原忠司 自殺

  6月 1日 近藤勇 黒谷、会津本営で松平容保を見舞う
  6月23日 新選組、平隊士 芝田彦太郎、隊規違反により切腹する
  8月     土方歳三 平作平に一揆鎮圧を労う手紙を書く

  8月29日 京三条制札事件始まる
  9月10日 新選組が密かに警備するなか京三条制札再び立てられる

  9月12日 三条制札事件犯、土佐藩士宮川助五郎他7名 新選組と乱闘
  9月19日 土佐藩 新選組の近藤勇、土方歳三、伊東甲子太郎、吉村貫一郎を祇園栂尾亭に招き和解
  9月26日 伊東甲子太郎 醒ヶ井、近藤勇休息所で新選組分離を申し出る
  9月28日 新選組五番隊長 武田観柳斎、薩摩藩と内通の疑により斉藤一、篠原泰之進に斬殺される(慶応3年6月22日説あり)
 10月     新選組 元見廻組大沢源二郎を捕縛

 10月20日 新選組に会津候より三条制札事件の感状と賞金が出る

 八坂神社
八坂神社
この石段の下で谷三十郎は暗殺される

京都市東山区祇園  2005年11月6日撮影
明治四年ごろの四条通

明治四年ごろの四条通 正面は八坂神社
 谷累代之墓
谷累代之墓 本傳寺

谷三十郎、万太郎、昌武(周平)の墓


大阪市北区兎我野町 本傳寺

2007年1月1日撮影
 伊東甲子太郎殉難の碑
伊東甲子太郎殉難の碑 伊東甲子太郎 肖像画
伊東甲子太郎

伊東甲子太郎殉難の碑



下京区油小路


1990年11月25日撮影

慶応三年 1867


  1月 1日 伊東甲子太郎、斉藤一、永倉新八 島原角屋で3日まで流連
  1月 3日 伊東甲子太郎、斉藤一、永倉新八 謹慎

  1月10日 沖田総司 小島鹿之助に年賀状を出す
    同    新選組隊士、田内知 士道不覚悟により切腹
  1月18日 伊東甲子太郎 九州遊説に出発
  2月 2日 伊東甲子太郎 大宰府で中岡慎太郎と会見

  3月12日 伊東甲子太郎 京に戻る
  3月13日 伊東甲子太郎 近藤勇、土方歳三に新選組分離案を提示
  3月16日 伊東甲子太郎 近藤勇、土方歳三と新選組分離案で話し合い
  3月20日 伊東甲子太郎一派 新選組離脱、孝明天皇御陵衛士を拝命、五条橋東詰長円寺に入る
  4月     新選組隊士、田中寅蔵 脱走
  4月15日 新選組隊士、田中寅蔵 京寺町本満寺に潜伏中を捕縛される
  4月16日 新選組隊士、田中寅蔵(27歳)切腹
  6月 5日 近藤勇 幹部一同と共に京都守護職屋敷で幕府直参取立の内示を受ける

  6月 8日 御陵衛士 高台寺月真院に移る
  6月10日 近藤勇 二条城で新選組幕府直参取立ての沙汰を受ける
    同    幕府直参となることを潔しとしない新選組隊士十名、伊東甲子太郎に同盟を乞うが時期早しと拒否される

  6月13日 新選組隊士十名 京都守護職邸で嘆願書を提出
  6月14日 幕府 二条城で親藩会議、近藤勇出席
    同    新選組隊士十名 京都守護職邸で襲撃され四名斬殺、六名は京を放逐される
    ?    近藤勇 関白、二条斉敬に建白書を提出

  6月15日 新選組 不動堂村に屯所移動
  6月22日 新選組五番隊長 武田観柳斎、斬殺される(慶応二年9月28日説あり)
  6月23日 新選組 正式に幕臣に取り立てが決定
  6月24日 近藤勇の建白書を土方歳三、山崎燕、尾形俊太郎、吉村貫一郎が柳原前光、三条実愛を訪問し届ける

  7月 6日 島原、亀屋芸奴、小常 永倉新八の子、お磯を生む
  7月27日 伊東甲子太郎 中岡慎太郎を訪問
  8月18日 中岡慎太郎 高台寺月真院訪問
  9月15日 伊東甲子太郎 篠原泰之進と名古屋に向う

  9月20日 後藤象二郎 大目付永井玄蕃守邸で近藤勇に会う
  9月     土方歳三 隊士募集のため井上源三郎と江戸に向う

 10月 8日 土方歳三 日野の佐藤彦五郎邸訪問
 10月21日 土方歳三 新隊士を連れ京に向う 途中品川釜屋で昼食
 10月22日 土方歳三一行 大磯に宿泊
 10月23日 土方歳三一行 箱根に宿泊
 10月28日 近藤周斉 没
 11月 1日 土方歳三 佐藤彦五郎宛と推定のお礼と道中報告の手紙を書く
 11月 3日 土方歳三一行 京に入る

 11月 4日 近藤勇に周斉没の知らせ入る
 11月10日 斉藤一 高台寺党離脱
 11月13日 伊東甲子太郎 坂本龍馬を訪問

 11月18日 伊東甲子太郎(32歳)暗殺される油小路事件 藤堂平助(24歳)死亡
 11月21日 高台寺党生残り 中村半次郎により伏見薩摩藩邸に送られる
 11月23日 高台寺党の遺体、光縁寺に埋葬される(明治元年2月13日戒光寺に改葬)
 11月26日 永井尚志 近藤勇に事情聴取、近藤勇犯行を否定
 12月 2日 土方歳三 剣術の小手を購入

 12月 7日 天満屋事件 中井庄五郎(21歳)死亡、紀州藩士、三浦休太郎警護の斉藤一に斬られる
 12月 8日 新選組 大坂の商家十軒より四千両を借用

 12月11日 会津藩 新選組に伏見奉行所に移るよう指令を出す
    同    永倉新八 妻子と別れる
    同    新選組 大坂の商家十軒に三千両を返済

 12月12日 新選組 二条城に入る
 12月13日 新選組 伏見より大坂に向う

 12月14日 新選組 幕閣の指示により大坂天満宮に入る
 12月15日 新選組 幕閣より伏見奉行所に移るように支持を受ける

 12月16日 新選組 伏見奉行所に移る
 12月18日 近藤勇 二条城の軍議に参加 伏見に戻る途中、墨染で高台寺党に狙撃される
 12月20日 近藤勇、沖田総司 大坂に護送
 12月27日 土方歳三 尾張藩からの伏見退去の要求を拒否
 12月29日 土方歳三 小幡三郎を薩摩陣営に潜入させる

 戒光寺 御陵衛士の墓所
戒光寺 御陵衛士の墓 戒光寺 御陵衛士の墓

戒光寺 御陵衛士の墓


京都市東山区泉湧寺

2004年8月21日撮影
 天満宮
天満宮 天満宮 天満宮

大阪市北区天満4丁目

2006年3月3日 撮影
 二の丸付近太鼓櫓跡
太鼓櫓跡 太鼓櫓跡

二の丸付近太鼓櫓跡


大阪市中央区 大阪城内

2006年3月3日 撮影
 池尻橋


東京都新宿区大京町29


池橋尻 千駄ヶ谷、植木屋平五郎宅付近

2010年10月30日 撮影
 板橋宿平尾脇本陣豊田家
板橋宿平尾脇本陣豊田家

板橋宿平尾脇本陣豊田家



東京都板橋区

2010年10月29日 撮影
板橋宿平尾脇本陣豊田家

板橋宿平尾脇本陣豊田家

明治元年 1868


  1月 3日 鳥羽伏見の戦い 朝廷、薩摩、長州、土佐に官軍の称を与える
  1月 4日 新選組 鳥羽街道で戦闘後、淀城下に宿陣

  1月 5日 井上源三郎(38歳)戦死、山崎烝重傷、佐川官兵衛右目下に炸裂弾を受け負傷
    同    会津藩、新選組 淀城に入れず大坂橋本に敗走  薩長軍淀城に入る

  1月 6日 橋本の戦い 佐々木只三郎、腰に被弾重傷
    同    新選組 天満橋西詰代官屋敷に入る

  1月 7日 新選組 大坂城二の丸に入る
  1月 9日 新選組 永倉新八他の隊士と「順動丸」に乗船し天保山を出港
  1月10日 新選組 近藤勇、土方歳三負傷者と介護の隊士と「富士山丸」に乗船し兵庫に停泊
  1月11日 幕府軍艦「富士山丸」新選組を乗せ兵庫を出港し由良港に碇泊する 山崎烝艦内で死亡

  1月12日 「順動丸」品川に入港し新選組隊士、釜屋に入る
    同    佐々木只三郎 紀州で死亡
  1月14日 「富士山丸」横浜に入港 新選組負傷者仮病院の仏語伝習所に収容

  1月15日 新選組 品川に上陸 近藤勇、沖田総司 神田和泉橋の幕府医学所に入り他は釜屋に入る
  1月16日 近藤勇、土方歳三 江戸城登城
  1月18日 近藤勇、土方歳三 佐藤彦五郎、粕屋良循と会う
    同    近藤勇、土方歳三 会津藩邸で二千両の軍資金を得る
  1月20日 新選組 鳥居丹後守邸に移る
  1月22日 土方歳三 戎屋に三五両の支払いをする
    同    土方歳三 洋式軍服を受け取る
  1月23日 新選組 釜屋より秋月右京亮宅に移る
    同    土方歳三 移転の費用五両を支払う
    ?    土方歳三 髪を総髪にして写真を取る
    ?    沖田総司 千駄ヶ谷池橋尻、植木屋平五郎宅に移る
  2月 3日 横浜仮病院収容の新選組負傷者 幕府医学所に移る

  2月12日 近藤勇 登城し徳川慶喜の警護を命じられる
  2月13日 伊東甲子太郎他、高台寺党の遺体戒光寺墓地に改装される
  2月28日 近藤勇 沖田総司を見舞う
    同    新選組 甲陽鎮撫を命じられる

  3月 1日 新選組主力の甲陽鎮撫隊江戸出発、内藤新宿で豪遊する
  3月 2日 甲陽鎮撫隊 府中に宿泊
  3月 3日 近藤勇、土方歳三 佐藤彦五郎宅を訪問し歓待を受ける
  3月 4日 甲陽鎮撫隊 笹子峠を越える

  3月 5日 新政府軍 甲府城を接収
    同    甲陽鎮撫隊 八王子より駒飼に進み徹夜で軍議

  3月 6日 土方歳三 援軍を神奈川まで迎えに行く
    同    勝沼の戦い 甲陽鎮撫隊、八王子に退却解散、江戸に向う
  3月 8日 近藤勇 阿佐谷玉野家に潜伏
    同    土方歳三 援軍要請失敗し駒飼に戻る

  3月 9日 永倉新八、原田左之助 離散隊士をまとめる
  3月10日 近藤勇 和泉橋医学書に入り永倉新八、原田左之助らの訪問を受けるが決別
  3月11日 永倉新八、原田左之助 靖兵隊を組織
  3月12日 新選組 負傷隊士二十数名を会津に先発させる
  3月13日 新選組 先発隊士五兵衛新田の金子健十郎宅に入る
  3月14日 近藤勇 新選組隊士と五兵衛新田に入る
  3月15日 土方歳三 新隊士を連れ近藤勇と合流
    ?    斎藤一 会津に向う
  4月 1日 新選組 流山に移転開始、味噌醸造元長岡屋を本陣とし光明院に分宿

  4月 2日 新政府軍東山道総督軍 流山に向う
  4月 3日 新政府軍東山道総督軍 流山に入る 土方歳三、内藤隼人として応対、武装解除の命を受ける
  4月 4日 近藤勇 大久保大和の名を語り東山道総督府副参謀、有馬藤太に投降する
    同    土方歳三 勝海舟訪問後、鴻台(市川)に向う
  4月 5日 近藤勇 板橋の東山道総督府本営に送られ高台寺党、加納道之助に見破られ総督府の訊問を受ける
  4月 8日 近藤勇 取り調べ
  4月     近藤勇 板橋宿平尾脇本陣豊田家に幽閉される
  4月10日 土方歳三 今戸に入る
  4月11日 土方歳三 旧幕府陸軍と鴻台で合流
    同    永倉新八、原田左之助 靖鋭隊と江戸出発
  4月12日 土方歳三 軍議で参謀に就任し宇都宮に向かい進軍
  4月16日 土方歳三 下妻陣屋を屈服させ下館に向う
  4月17日 土方歳三 下館藩に武器、食料を供出させる
  4月18日 土方歳三 蓼沼に布陣
  4月19日 土方歳三 旧幕府陸軍と宇都宮城を攻撃、味方逃走兵士を斬殺し士気を高め宇都宮城を奪取
  4月20日 土方歳三 秋月登之助(会津藩士江上太郎)と連名で笠間藩重役に宇都宮出向を強要する書簡を書く
  4月23日 土方歳三 左足指を負傷し今市に宿陣
  4月24日 土方歳三 治療のため会津に向う
  4月25日 近藤勇(35歳)板橋平尾一里塚で斬首され晒される
  4月26日 土方歳三 会津田嶋陣屋に入る
  4月28日 近藤勇の遺骸、親族が掘り出し三鷹竜源寺に埋葬
         (警備厳重で近藤の親族は捕縛の対象になっているために不可能か?)
  4月29日 土方歳三 会津城下七日町清水屋に入り松本良順の治療を受け流山脱出隊士と合流

    ?    松平容保 近藤勇に法名をつけ天寧寺に墓を作る
    ?    斉藤一(山口次郎) 土方歳三治癒までの間、新選組隊長になる
閏 4月 5日 斉藤一(山口次郎) 松平容保に拝謁、軍資金を賜る
閏 4月 8日 近藤勇の首 三条河原に晒される

閏 4月22日 斉藤一(山口次郎)指揮の新選組 白河城下に着陣
    ?    原田左之助 靖兵隊を抜け彰義隊に投じる
  5月15日 彰義隊討伐 原田左之助重傷
  5月17日 原田左之助(27歳)死亡
  5月30日 沖田総司(25歳)死亡 専称寺に葬られる
  6月15日 土方歳三 覚王院義観と面談
  7月 1日 土方歳三 全快

  7月 6日 土方歳三 戦線に復帰し新選組と合流し福良に出張
    同    近藤芳助 兄近藤隼雄に土方歳三戦線復帰を知らせる手紙を書く
  7月29日 新選組 町守屋より郡山の進出を計るが断念
  8月 1日 新選組 町守屋より湖南に移る

  8月17日 新選組隊士、松本喜次郎(23歳)三代で死亡、正福寺に埋葬される
  8月18日 新選組 猪苗代城下に移る
  8月19日 土方歳三 母成峠に布陣
  8月21日 母成峠の戦い 大鳥圭介隊、土方歳三隊敗走
    同    土方歳三 湖南方面守備の会津兵に援軍を求める手紙を書く
  8月22日 土方歳三 滝沢峠を防戦するが敗走

  8月23日 新選組 米沢街道塩川に退却宿陣
    同    土方歳三 大塩村で大鳥圭介、松平定敬に会う
  8月25日 土方歳三 米沢に入る

  9月 3日 土方歳三、榎本武揚 仙台青葉城で軍議に出席、土方歳三軍事総督就任を要請されるが意見が合わず拒否
  9月 4日 斉藤一(山口次郎) 新選組一隊を率い如来堂村に向い観音堂に布陣
  9月 5日 新政府軍 如来堂村を攻撃 斉藤一(山口次郎)ら数人脱出し塩川村に戻らず

  9月 9日 新選組 塩川村を出立し福島土湯村に宿泊、仙台に向う
  9月12日 榎本武揚、土方歳三 仙台青葉城で抗戦を訴えるが仙台藩の藩論変わらず
  9月16日 新選組を含む旧幕府軍 仙台に入る
  9月17日 松平定敬随行の桑名藩士一七名 新選組に入隊
  9月20日 土方歳三 杉浦清介と便面亭で面談
 10月 9日 旧幕府軍 折ノ浜に移動 土方歳三船人足に代金を支払う
 10月10日 土方歳三 新選組と「大江丸」に乗船
 10月12日 榎本艦隊 「大江丸」「鳳凰丸」を加え仙台を出港 総勢2300名
 10月13日 榎本艦隊 宮古湾に入り燃料、食料を補給

 10月18日 榎本艦隊 宮古湾出港、新選組隊士中島登諜報活動のため宮古に残留
 10月20日 榎本艦隊 噴火湾鷲ノ木沖に投錨
 10月21日 榎本軍 鷲ノ木に上陸
 10月22日 土方歳三 一隊を率い川汲峠越えで五稜郭に向かい進軍し砂原に宿陣
 10月23日 土方歳三隊 鹿部村に宿陣
 10月24日 土方歳三隊 川汲で斥候数名を撃退
 10月25日 土方歳三隊 上湯ノ川に宿陣

 10月26日 土方歳三隊、大鳥圭介隊 五稜郭入城
    同    新選組 箱館市中取締を命じられる
 10月28日 榎本軍 土方歳三隊を筆頭に松前攻略のため行軍を開始、有川村まで進み宿陣
 10月29日 土方歳三隊 茂辺地に宿陣
 10月30日 土方歳三隊 木古内に宿陣
 11月 1日 永倉新八 東京に戻る
    同    土方歳三隊 知内に宿陣
 11月 2日 土方歳三隊 知内に滞陣
 11月 3日 土方歳三隊 福島に入る
 11月 4日 土方歳三隊 福島を占領
 11月 5日 土方歳三隊 松前城を占領、松前兵江差方面に退却
 11月 6日 土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月 7日 土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月 8日 土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月 9日 土方歳三隊 松前城下に滞陣
 11月11日 土方歳三隊 江差に向け北上を開始し小砂子に宿陣
 11月13日 土方歳三隊 大滝峠の敵兵を撃退
 11月15日 土方歳三隊 「開陽丸」の援護を受け江差を占領
 11月16日 土方歳三 江差に入る
 11月18日 土方歳三 松前に帰陣
 12月15日 土方歳三隊 箱館に凱旋し蝦夷地平定の祝賀会を各国領事を招き開催
         弁天砲台、五稜郭、各軍艦、各国艦祝砲を放つ
    同    榎本軍 共和国政府の役員を選挙で決定
          総裁、榎本武揚 副総裁、松平太郎 軍艦奉行、荒井郁太郎 陸軍奉行、大鳥圭介 陸軍奉行並、土方歳三
          開拓奉行、沢太郎左衛門 箱館奉行、永井尚志 松前奉行、人見勝太郎
 12月29日 土方歳三 酒井孫八郎を訪問

 三条大橋
三条大橋 三条大橋


京都市東山区

2005年4月24日撮影


沢山の罪人の首が晒された河原

しかし、近藤勇は決して罪人ではありません。
 土方歳三最後の地
土方歳三最後の地
土方歳三最後の地


函館市若松町

1998年 6月17日 撮影


京都を追われてから
此処にたどり着くまでに
彼が求めていたものは
死に場所だったのでしょうか
土方歳三最後の地 土方歳三最後の地
 
   土方歳三と新選組隊士の供養碑    土方歳三と新選組隊士の供養碑
土方歳三と新選組隊士の供養碑  函館市船見町 称名寺

明治二年 1869


  1月 1日 土方歳三 小柴長之助と酒井孫八郎を訪問
  1月 6日 酒井孫八郎 土方歳三を訪問
  1月14日 酒井孫八郎 榎本武揚、土方歳三を訪問
  1月19日 酒井孫八郎 土方歳三を訪問
  1月28日 土方歳三 新選組の市中取締を賞し金千疋を隊士に与える
  2月     永倉新八 松前藩帰参
  2月10日 永倉新八 江戸両国橋で鈴木三樹三郎と会う
  3月 4日 酒井孫八郎 土方歳三を訪問
  3月16日 新政府軍艦隊の3隻 宮古湾入港 新選組隊士中島登箱館に急報
  3月19日 中島登の急報、土方歳三に届く 五稜郭内で緊急軍議
  4月 3日 「高雄丸」乗船の島田魁 箱館に戻る
  4月 9日 土方歳三隊 二股口守備のため五稜郭を出陣
  4月10日 土方歳三隊 二股口に着陣し胸壁を構築
  4月13日 二股口の戦い 土方歳三、奇略を用い新政府軍を後方に退かせる その夜、陣地を巡り兵士達を労う
  4月14日 二股口の新政府軍 撤退
  4月15日 市村鉄之助 土方歳三の写真を持ち箱館を脱出、日野を目指す
  4月23日 二股口攻防戦 夜半より始まる
  4月25日 二股口の新政府軍 退去
  4月29日 二股口の土方歳三隊 後方遮断を恐れ五稜郭に引揚げる
  5月 1日 土方歳三 弁天台場と七重浜守備兵を訪問
  5月 4日 土方歳三 五稜郭に戻る
  5月 9日 土方歳三 会津藩士、小野権之丞を訪問
  5月11日 一本木の戦い 土方歳三(35歳)戦死

  5月13日 新政府軍 弁天台場籠城組に勧降使を送る 新選組隊士、相馬主計これに応接
  5月14日 相馬主計 永山友右衛門と五稜郭に行き榎本武揚に会い降伏勧告について議する
  5月15日 相馬主計 弁天台場に戻り衆議、降伏を決定
  7月     土方歳三の写真、市村鉄之助(16歳)により佐藤彦五郎のもとへ届く
    ?    永倉新八 松前に移り医師、杉村松伯の養子になる


明治三年 1870

   3月     永倉新八 東京を出る
   3月     島田魁 尾張藩預かりになる
   4月17日 永禁錮を解かれた佐川官兵衛他会津藩士 品川を出港し斗南に移住を開始、斉藤一(一戸伝八)移住に同行
   5月     永倉新八 杉村松伯の娘、松子と婚姻 名を杉村義衛と改める
   8月15日 新選組隊士 横倉甚五郎(35歳)大石鍬次郎、小塚原で処刑される

明治四年 1871

    ?    大野右仲 豊岡県参事となる


明治五年 1872

  6月     島田魁 尾張藩より釈放される

明治八年 1875

    ?    永倉新八(杉村義衛)上京
    ?    大野右仲 豊岡県参事七等判事兼任となる
 11月     大野右仲 千葉県准判任御用掛を拝命


明治九年 1876

  5月     永倉新八(杉村義衛) 松本良順の協力を得て板橋に新撰組隊士供養塔を造立
    ?    斉藤一(藤田五郎) 旧会津藩大目付、高木小十郎の娘時尾と婚姻、仲人は松平容保、下仲人は山川浩、佐川官兵衛
 新撰組隊士供養塔
新撰組隊士供養塔







東京都北区滝野川寿徳寺境外墓地
板橋駅東側


2010年10月29日撮影






 

明治十年 1877

  2月     斉藤一(藤田五郎) 警視局警部補に任官
  5月18日 斉藤一(藤田五郎) 九州に出張
 10月28日 斉藤一(藤田五郎) 東京に戻る

明治十一年 1878

    ?    斉藤一(藤田五郎) 警視局警部試補になる

明治十二年 1879

    ?    斉藤一(藤田五郎) 警視局警部補になる

明治十三年 1880

    ?    永倉新八(杉村義衛)北海道に戻る

明治十五年 1882

 10月     杉村義衛(永倉新八) 北海道樺戸監獄の剣術師範になる
 11月     中島登 栽培に成功した葉蘭を写生させる


明治十七年 1884


    ?    中島登 鉄砲販売の免許を受ける

明治十九年 1886

    ?    杉村義衛(永倉新八) 東京に撃剣道場を開く
  5月24日 中島登の妻よね(34歳)死亡

明治二十年 1887

  4月 2日 中島登(50歳) 浜松で死亡

明治二一年 1888

    ?    斉藤一(藤田五郎) 警視局警部になる
  8月25日 大野右仲 山形県南村山郡長になる


明治二二年 1889

  9月20日 大野右仲 山形県南村山郡長を退職
  9月22日 大野右仲 秋田県警察部長になる


明治二三年 1890

    ?    永倉新八(杉村義衛)鉄道で京都に行く

明治二四年 1891

  4月     斉藤一(藤田五郎) 警視局を退官後、東京師範学校に勤務を始める

明治二五年 1892

  2月 1日 子母澤寛 生まれる
  7月21日 近藤つね(56歳)死亡
  8月 1日 大野右仲 青森県警察部長になる

明治二六年 1893

  3月21日 大野右仲 青森県警察部長を退職


明治三二年 1899

  4月     斉藤一(藤田五郎) 東京師範学校を退職
    ?    永倉新八(杉村義衛)小樽永住を決意

明治三三年 1900

  3月20日 島田魁(73歳) 西本願寺境内で死亡

明治三五年 1902

 10月27日 加納道之助(63歳)死亡

明治四四年 1911

  6月11日 大野右仲(76歳)東京港区の自宅で病死
  6月13日 篠原泰之進(84歳)死亡


大正二年 1913

  3月     永倉新八の「新選組顛末記」小樽新聞に連載開始

大正四年 1915

  1月 5日 永倉新八(76歳)死亡
  9月28日 斉藤一(71歳) 東京の自宅で死亡 会津若松阿弥陀寺に墓

大正八年 1919

  7月11日 鈴木三樹三郎(83歳)死亡

大正十一年 1922

  7月     近藤芳助(79歳)死亡

昭和三年 1928

 11月15日 子母澤寛 八木為三郎と終日会談

昭和十三年 1938

  1月13日 最後の新選組隊士 池田七三郎(90歳)死亡

昭和三三年 1958

 12月14日 函館市立若松小学校に土方歳三最期之地碑建立

昭和四三年 1968

 11月 1日 日野石田寺に土方歳三の石碑建立

昭和四五年 1970

  7月     函館市立若松小学校の土方歳三最期之地碑グリーンベルト上に移転

昭和四七年 1972

 12月18日 函館市称名寺に新選組慰霊碑建立

昭和五十年 1975

    ?    佐々木只三郎の墓 紀州より会津武家屋敷に移される

平成三年 1991

  5月11日 土方歳三資料館開館

平成四年 1992

 11月 7日 土方歳三最期之地碑が小公園として整備され再移転

平成七年 1995

 11月 3日 高幡不動で土方歳三銅像除幕式

平成十五年 2003

  6月15日 新選組不動堂村屯所跡 記念碑除幕式

中島登
中島登
中島登自身の錦絵
中島登自身の錦絵

島田魁
島田魁

永倉新八
永倉新八

中島登の斎藤一錦絵
中島登の斎藤一錦絵
 新選組展
新選組展 これほどの新選組資料を

一度に見る機会は

もう無いかもしれません。

新選組展

2004年6月26日撮影
新選組展
 京都駅前の歓迎新選組看板
歓迎新選組看板 JR京都駅を降りると

どでかい新選組の看板がありました。



2004年8月21日撮影
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